ちょうど、山のそのあたりに、おびただしい豚の群れが飼ってあったので、悪霊どもは、その豚の中に入ることを許してくださいと願った。イエスはそれを許された。悪霊どもは、その人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れはいきなり崖を駆け下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ。
ルカによる福音書 8章32節-33節
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当時の映像や新聞記事等の歴史的資料を交え、1972年2月の『あさま山荘事件』に至るまでの日本赤軍の軌跡の再現を試みた映画作品。2008年公開。監督は若松孝二。190分。
観ていて思い出したのはドストエフスキーの『悪霊』。そして、その冒頭に引用されている悪霊に取り憑かれた豚が集団自殺する新約聖書の1節。共産主義思想というイデオロギーに取り憑かれ、人としての道を踏み外し、破滅へと至る彼らのストーリーには普遍性がある。生物学的な条件において彼らも同じ人間ではあるが、特定の思想体系や洗脳に近い社会装置(総括や自己批判など)によって非人間化され、やがて時代錯誤で、不合理で、倒錯した狂信者となった。
実際、今の私から見ると、ただの滑稽で迷惑な連中なんだが、その度合いが強すぎて、世界中で多くの死者を出すほどのレベルでやらかしているので無邪気に笑うことはできない。政治的主張のための世界初の無差別テロ(テルアビブ空港乱射事件など)を行ったりする彼らに日本中の人々がドン引きし、団塊の世代が熱狂した全共闘の学生運動が収まる転換点となったそうだ。私はキューバ革命の闘志たちは心の底から格好いいと思うが、連合赤軍(日本赤軍)の人達はただの滑稽なバカだと思う。彼らの革命的信条や行動原理に足りていないのは、自らを客観視し、己の矛盾を笑い、赦す、ユーモアの精神に思えてならない。本作の終盤で「勇気がない!」という重要な台詞があるが、彼らに足りていない、自分の弱さを見つめ直す勇気の必要性を喝破した制作者の主張であるように思えた。
「世の中には、どうしてこんなに酷いことができる人がいるんだろうか」と、そんな問いが浮かぶ度、いつも私が辿り着くのは、彼らの心に良質な物語が足りないせいではないかということである。ナラティブな豊かさ、と言い換えてもいい。固有名詞や人間的情感を排した抽象的な論理や教条のみを信奉する者は、他者の物語を尊重することができず、血を伴った他人の痛みや温もりを共感することができない。チベットを弾圧する中国の共産党、イスラムのIS、かつてのオウム真理教やポルポトもそう。良質な物語の拡散こそが世界平和に繋がるという信念に基づき、このブログは運営されている。残虐な彼らに足りないのは、素晴らしい物語で心を動かした体験であろう。