当初より抱いていた目標の通り、10年間続けたのでこのブログの更新を終えようと思う。
始まりは中学校時代に遡るだろうか。直感として、自分の人生を救うのは漫画や小説だと思っていた。1990年代の終わり頃、インターネットがなかった時代、世界は謎に満ちていて、人生の攻略法を知る手段は限られていた。北海道の地方都市、低所得層が入居する公営住宅で育った自分は、ミスチルの歌詞やスラムダンクやハンターハンターに多くを学んだ。精神科医になるという夢を抱き、社会の下層から高みを目指して戦った。その過程で体験した多くを、様々な物語作品に重ねた。苦しく、不安で、悲しいことは沢山あったが、物語作品がいつも自身に光明をもたらしてくれた。暗い宇宙を彷徨う自分に、幾千億光年離れた数多の星々が放つ光。時代や場所を超えて、自分を導いてくれる誰かの願い。有限の命を燃やして放つ、魂の熱と輝き。物語作品は、いつだって、そういうものだった。
初期研修医の頃に始めたこのブログは、自身にとっての備忘録、文章力のトレーニング、意志や価値観の表明であるとともに、何より、精神科医としての能力向上のための手段として機能していた。結局のところ、精神医学の臨床の能力は「患者の物語を読む力」が何より大事であると、当初からなんとなく気づいていたし、今も確信に近づきつつある。生物学的な機序と転帰を「読む」一般の医学の視点に加え、幼少期からのエピソードや断片的に得られる情報を総合し一つの人間性を形成していく物語を読む力、社会や歴史の一部の構成要素に過ぎない一個人から全体を想像し流れを読む力、など、ストーリーを感じる力が何より大切である。過去から現在に至り、未来へと流れるストーリーの中で、最適な一手を見つける力。それが私の考える、精神科医として最も必要な能力である。
などという理屈を長々と説明しても、耳を傾けてくれる奇特な人はあまりいないと思うので、誰に意図を説明するでもなく、好きな物語作品の感想や考察を淡々と書き続け、公開する方法を私は選んだ。リアルな知り合いがブログを訪れた場合、何を考えているかわからず、偏執狂的で、気持ち悪がられることも多分にあったであろうことは想像に難くないが、己の精神科医としての糧になったことは疑いなく、後悔は全くない。作家としての素地を作ったような気もするし、ブックカフェのオーナーや書評家になる道に繋がったかもしれない。
そして、今の私は、「精神鑑定のできる法律家」になる道を選んだ。精神医学的診断の究極である精神鑑定の道に邁進するとともに、法曹としてのダブルライセンスを目指すことを決意し、法律の勉強をしている。ベースとして、このブログを書きながら水面化で育まれた思考の経路があるのだが、説明は長く複雑になるので割愛する。つまるところ、このようなブログを書きながら精神科医を10年やった結果、無性に法律家になりたくなったのだ。そんな条理を外れたクレイジーな道を選ぶ己の決断には、割と満足している。そのプロセスを本にしたらさぞ面白いだろう、と思っているので、ブログに記録し、そのうち書籍化を予定している。
日中は医療に従事し、時間外は法律の勉強に明け暮れているせいで、小説を読んだり映画を観れない日々が続いているのが不満ではある。しかし、この「渇き」が、いつかより深く作品を味わえるスパイスになるだろうという予感もある。年をとってからの楽しみにとっておこうか。読みたかったのに読めなかった作品が積まれて大量に残るなら、それもいい。
誰が読んでいるのかわからないまま書き続けたこのブログだが、たまに感想をもらえたときは嬉しかった。面白いと思った作品の話を、友と語り合えるのが人類普遍の喜びであるように思える。漫画や小説や映画にとどまらず、思い出話や苦労話や猥談だってそう。人の心は物語でできている。それを共有することで、人は人と繋がり、歓びが生まれる。
だいたいそんな悟りに至ったので、このブログに価値はあったと思う。いつまで公開を続けるかは未定だが、偶然読んだ誰かが素敵な物語に出会うきっかけになったらいいと常に思っている。