ドストエフスキーの短編4本入りの文庫本。
光文社古典新訳文庫。2015年発行。安岡治子訳。
『白夜』
表題作になっている中編小説。副題は「感傷的な小説(センチメンタル・ロマン)」「ある夢想家の思い出より」。内気で空想癖のある(陰キャな)20代の青年が、白夜の夜に街を散歩しているときにワケありな女性に出会い、恋をした数夜の顛末。ドストエフスキー27歳頃の1848年に発表された小説で、主人公の青年は若き日の作者の投影が少なからずあるだろう。狙ってやってる部分もあろうが、全体に青臭い内容。深く心に突き刺さりはしない。
『キリストの樅ノ木祭りに召された少年』
ごく短い短編。『マッチ売りの少女』や『フランダースの犬』のような、可哀想な子供を描いた児童向けの童話という風情。晩年の『作家の日記』という連作に登場した作中作らしい。本編収録の作品の中では一番好き。
『百姓のマレー』
無知で粗野な農奴の善性について考察する、上から目線な回顧形式の作品(時代背景を考えると、悪気はないと思うが)。こちらも『作家の日記』に登場。これもまあまあ好き。
『おかしな人間の夢』
副題は「幻想的(ファンタスティック)な物語」。自殺を図った男が、キリスト教的な幻想に満ちた世界を旅する。ドストエフスキーが晩年たどり着く、このキリスト教的な愛の理想が、何回読んでもどうもしっくり来ない。結論ありきというか、押し付けがましいと言おうか。いつか分かる日が来るのか。
『一八六四年のメモ』
ドストエフスキーの最初の妻(マリア、マーシャ)が亡くなったときに書いたとされる、思弁のメモ。これもキリスト教どっぷりな思考回路が、どうも自分にはしっくり来ない。キリスト教価値観が支配する世界に生まれ育つと、必然的にそのような思考に辿り着くのか。まだ私にはわからない。
全体の感想。
若い頃のドストエフスキーは、比較的凡庸な作家だったと思う。貧困層への憐憫、キリスト教的価値観に基づく愛などの理想はあったが、その表現も、理想も、凡庸で他の作家を抜きん出ることはなかったように思う。1848年頃のてんかん発病、ペトラシェフスキー事件に連座しての逮捕、死刑宣告、シベリア送りなどの過酷な苦難を経験する中で、その思弁にハードなヤキが入り、人類史を代表する偉大な作家として仕上がっていったんだろう。その原型を見ることのできるのが本作の収録作品であるが、単体で楽しんで読めるかというと、あんまり、、、な作品が多かったというのが感想。偉大な作家の足跡を追うのは楽しいことではあるので、興味のある人は読む価値はあると思う。