2016年6月8日水曜日

あなたのための物語



 サマンサ・ウォーカーがひとり、病気療養中の自宅でこの世を去ったのは、三十五歳の誕生日まぢかの寒い朝だった。それが、彼女という物語の結末だった。


・・・

 死と人工知能と物語の話。

 ”マイクロソフトの街”シアトルにあるバイオテクノロジー企業ニューロロジカル社の若き創業者でもある研究者サマンサ・ウォーカーが主人公。予期せぬ病で余命が1年もないことを宣告され、精神および身体的に苦しみながらも、脳内活動をコンピューター上に記述し転写するITP(Image Transefer Protocol)という技術の研究を続ける。その一方で、進行中だった《wanna be》という人工知能に物語を書かせるという実験を通して、サマンサ自身の考えにも様々な変化が訪れ…という話。

 脳科学やコンピューター関連の衒学的な記述が多く、文章が冗長で個人的に好みではない。難しい理屈がくどくて物語が頭に入りづらい。冒頭の凄惨な当事者主観の死の描写など、文学的表現力の見せ所があるが、あまり胸を揺さぶる感じにはならず。日本人作者がアメリカ人を描いているという違和感がある、という先入観のせいかもしれない。

 とは言え、死に直面することで浮き彫りになる生の一回性、生身の人間同士の社会的繋がりの価値、身体性と人間の尊厳、コンピューターで再現される精神活動と固有の肉体をもつ人間の精神活動の差異、など、21世紀の人類が直面する哲学的な話題多し。というかそれが本作品の主題で、ストレートな問いを提示し、検討する物語作品になっている。

 人ひとりの人生と物語の関係。ナラティブ・ベイスド・メディスン(個人の物語をベースとした医療)との親和性が高い。小難しい哲学的思索を楽しむべき一冊。
   

0 件のコメント:

コメントを投稿

ブログ アーカイブ