読んだのは新潮文庫の江川卓訳。1969年(昭和44年)版。
孤独で自意識過剰な40代の男の手記という体裁をとった小説である。長年にわたり醸成された自身の考えを披瀝する前半(地下室)と、知人や娼婦とのあいだに起きた具体的なエピソードを語る後半部分(ぼた雪に寄せて)に分かれる。ボリュームは控えめで、中編小説程度の長さである。
個人的には後半の展開が胸に突き刺さり、ドストエフスキー作品では上位にランクイン。男は卑屈な元役人であり、人とうまく交われず、孤独な「地下室」(比喩表現)にこもって生きる人間である。自意識過剰で、自暴自棄で、観念にとらわれ、屈辱的な記憶を反芻し続けて強化し、無尽蔵に自身や他人への蔑みや憎しみを生み出し続ける。太宰治の『人間失格』を読んで自分のことが書いてあると衝撃を受けるのに近い感じで、この『地下室の手記』に己を重ねる若者は多そうだ。世界中でしばしばみられる、ある日突然、凶悪犯罪を起こす引きこもり男性に近い心理だと思われる。
この苦しさや悲しみは『最強伝説黒沢』が近いと思った。黒沢は2000年代の日本の土方、本作の主人公は1860年頃のロシアの知識階級という違いはあるが、不器用で自意識過剰で孤独な中年男、というあたりが通じる。結局は、社会に馴染めず、孤独をこじらせ、過去の失敗の記憶が毒となって、精神を蝕み続ける地獄にいる。それは時代や場所を超えて、普遍的に見られる現象なんだろう。地球上、あらゆる地域に、数えきれぬほど似たような中年男性がいる。
彼を救うことができるのは何か。それはきっと女性的な愛のようなものなんだろう、ということが後半の娼婦とのエピソードから見て取れる。ドストエフスキーの『罪と罰』の発想の萌芽はここにあるんだろう。その苦しみと救いは、その後の作品郡の中で重要なモチーフとなり、形を変えて描かれ続ける。
観念にとらわれ、俗悪な衆生に交われぬ地獄。似たような境遇にいた、かつての自分を重ねて読んだ。なかなかいい読書体験だった。
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