2017年7月20日木曜日

ブコウスキーの酔いどれ紀行


 アメリカ人の無頼な作家チャールズ・ブコウスキーが飲んだくれながらヨーロッパを旅する旅行記。原著は1979年が初出。今回読んだのは2017年に出たちくま文庫の新訂版。

 仕事のために女連れでドイツとフランスを訪れ、酒を飲んだくれて歴訪するだけの記録なのだが、何ともいえない独特の味がある。権威や流行など意に介さず、酒と女と友人との語らいに自分の人生の価値を見出す生き方に迷いはない。作者が本当にどうしようもない人間であることは疑いないが、ここには個人の価値観や人生哲学の在り方として普遍的な価値がある。Oasisのリアム兄弟の救いようのないバカさがみずみずしい魅力を持つのと同様、ロックで無頼な男の美しさがこの文章には宿る。

 理屈で説明しても伝わらないので、下記の引用を読んでほしい。

・・・

 これまでずっとわたしはとんでもない作家で、街のさまざまな場所の名前、風景や季節、それに崇高な気持ちなどについては何一つとして書き留めてはこなかった。そんなものはいずれにしても取るに足りないたわごとでしかない。
 23パリ行きの列車 p202 

 列車は驀進し続け、車窓の外を見れば小さな村々が過ぎ去って行く。ドイツと同じように、こぎれいではあるが、へんてこで、どこかおとぎ話の世界から抜け出てきたようでもある。丸石が敷かれた細い道にとんがり屋根。しかしそれらの村々にもさまざまな苦悩が溢れている。肉欲、殺人、狂気、背信、役立たず、不安、無気力、邪神、強姦、酒浸り、麻薬、犬、猫、子供たち、テレビ、新聞、詰まったトイレ、盲いたカナリアたち、孤独……創作は逃避手段となり、叫びをあげるひとつの方法だが、とんでもない創作ばかりで、詰まって流れないトイレに、詰まって流れない創作。
 同 p203-204 

 魚は彼の手に吊り下げられ、死んでわたしたちの前にその姿をさらしている。長くてぬめぬめとしたその殺し屋は、死んでもなお見事で、見まがうことは決してなく、余分な脂肪もまったくついていず、まやかしとも無縁で、完璧な姿だ。突き進み、激しく動きまわり、あたりをきょろきょろと見回し、泳ぎ回る、ほとばしる生命の塊。道徳もなければ、信仰もなく、友だちもいない。
 同 p209 
   

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