2018年7月26日木曜日

混沌ホテル


 ザ・ベスト・オブ・コニー・ウィリスと銘打たれる短編集の前半。アメリカSF界の大御所であるネビュラ賞、ヒューゴー賞受賞作が並び、お笑い重視の作品を集めているとのこと。

 正直、コニー・ウィリスの作品に宿る知的でユーモラスな雰囲気や愛のある辛辣さは好きなのだが、笑いのツボが自分に合っているとはいいがたい。複雑系の中で真実を探そうと奔走する登場人物の態度は好き。売れっ子霊媒師のインチキを暴く『インサイダー疑惑』、異星人の行動様式の解明を目指す『まれびとこぞりて』のような系統が読んでいて楽しい。異色の月経SF『女王様でも』も秀作ではある。

 知的興奮と愛のある物語を享受できる作品ではある。ちなみに同作者の個人的ベストは『航路』である。
   

2018年7月20日金曜日

戦の国


 冲方丁が描く連作短編集。2017年作品。戦国時代の桶狭間の戦いから江戸時代初期の大阪城夏の陣までの約55年を、6人の武将をメインに据えてそれぞれの視点から描く。登場するのは織田信長(覇舞踊)、上杉謙信(五宝の矛)、明智光秀(純白き鬼札)、大谷吉継(燃ゆる病葉)、小早川秀秋(真紅の米)、豊臣秀頼(黄金児)。

 それぞれ基本的な構成としては、主人公個人の歴史を描いたのちに人生最大の決戦の場面が描かれる。時代背景、置かれた状況、個人の心性や信念など、主人公の物語性を最大限に引き出したのちに命をかけた激しい戦に挑む流れは、結果を知っていても引き込まれて胸が熱くなる。娯楽作品として秀逸である。

 電子書籍で読んだが、販促用に無料で入手できる解説記事も含め、非常によかった。自分の心の成分として、冲方丁の視点が生きているのだと実感した。実存主義的な、人の世の理と個人の限界を受け入れた上でのポジティブな姿勢。命を使い尽くして生きていきたいという気持ち。そういう作者の理想の断片が、各作品の主人公たちに宿っている。いつかまた読みたい。
   

2018年7月19日木曜日

6年目


 「世界一の精神科医って、どんなだと思う?」

 目の前に現れた相手のストーリーを適切に読み解き、最も必要なものを選択できる。必要な言葉。必要な薬。必要な環境調整。その選択のために、長年にわたる医学教育の過程があり、膨大な研究報告があり、日々積み重ねられる臨床現場における試行錯誤がある。生物学的なストーリー、心理モデルに基づく解釈、社会的・歴史的な文脈における位置付け。多面的で複合的な、不定形で予測し難い、完全に理解するのが困難な人間という存在の物語の読解。私の目の前に現れたあなたは、どんな道を通って、どんな風な経験を経て、どのような状態に至ったのか。あなたの人生の物語。その読解と解釈。物語を理解する力。

 そのような力を求め、その体得のための手段を探し続けて辿り着いたのが、このブログだったような気がする。いい漫画や小説を読み、いい音楽を聴いて、いい映画を観て、その体験をシェアする。得た感覚や知識を言語化する鍛錬の場とする。適当でいい加減に、無理せずゆるゆると続いていく。偶然に物語と物語が繋がり、化学反応が生まれたりもする。当初の熱い志は時間とともに醒めても、習慣となって手や脳に染み付いた動きが、半自動的に物語の感想を生み出し続ける。

 最近とみに忙しくて、更新頻度が落ちているが、そういう時期が続くと良質な物語に触れたくなる。心の滋養になるような、人間の理解をいっそう深めるような。日常のふとした選択や思考の癖が、ミスチル冲方丁の影響を受けていることに気づかされることがよくある。「ああ、あのときのあれだな…」と、『スラムドッグ$ミリオネア』的な感じでデシジョンメイキングすることがよくある。なんとなくの、言語化以前の識閾下での選択の精度をあげるために、これまでに読んだ物語が一役買っているとなんとなく確信している。

 世界一の精神科医は、最強の読解力を持っている。あらゆる物語を読み解き、適切な介入手段を選択し、目の前の相手に救いを与えることができる。そんなヒーロー像を昔から漠然と抱いていて、なんとなくいつもそういうものを目指している。そのために、もう少しこのブログも続けようと思っている。
    

2018年6月21日木曜日

クラッシュ


 感想:『マグノリア』・『スリービルボード』系だ…。

 『ミリオンダラーベイビー』を書いたポール・ハギス初監督の2003年作品。2002年頃のロサンゼルスを舞台に、憎しみが満ちた空気の中で暮らす人々の愛憎を描く群像劇である。アカデミー作品賞作品ということで期待して観たが、ジャンルとして確立されつつある様式だとつい頭で考えてしまい、素直に感動できなかったのも事実。質の高い作品ではあると思うのだが、もう少し新奇な要素が欲しくなるのは私の心がひねくれているのか。

 この手法を使えば『釧路』とか『室蘭』とか、そういう作品が量産できそうだ。
 憎しみは連鎖する。そして、赦しや愛も。
    

2018年6月14日木曜日

ハドソン川の奇跡


 実話に基づく2016年作品。
 クリント・イーストウッド監督。トム・ハンクス主演。

 舞台は「ハドソン川の奇跡」(The miracle of Hadson)として知られる2008年の飛行機の不時着事故のあとの世界。主人公サレンバーグ(原題:Sullyは彼のニックネーム)は1人の犠牲者も出さずに大型旅客機の着水を成功させたパイロットとして、その判断と技術に対し世界中のメディアから称賛を受けていた。だが一方で、川への着水を選んだ判断の正当性について事故の調査委員会の厳しい追及が続いていた。彼は喧騒と追及の日々の中で「あの判断は本当に正しかったのか?」という苦悩に苛まれ続ける。

 本作のテーマは「英雄の条件」だろうか。どのような人物が真に英雄として讃えられるべきか。静かに男を張るヒーローのダンディズム。一貫してイーストウッドが描こうと求め続ける英雄(ヒーロー)の像が示されている。DVD特典のドキュメンタリーを観ると、いっそう理解が深まってよい。幼少期からのサレンバーグの生き様を通して知ることで、緊急時の判断が決して偶然の産物ではないことがわかる。

 これはかなりよくて、生涯のベストムービーのリストに入れたい。題材の選択、潔い構成、飽きさせない展開、程よい表現の抑制、などイーストウッドのセンスがいい感じに出ている作品だと思う。こういう映画を観て生きていきたい。
   

2018年5月20日日曜日

The Indifference Engine


 伊藤計劃の死後に出版された短編集。2012年初出。

 『虐殺器官』のスピンオフである表題作、草稿段階の『Heavenscape』あたりは期待通り。短編漫画の『女王陛下の所有物』、『From the Nothing, With Love』あたりは007シリーズオタクにはたまらないと思われるが、予備知識がないと初読での理解は難しい。ただし、特に後者については定型化された行動パターンと意識についての切れ味鋭い洞察が敷衍されており、これぞSF文学、という感じがして読んでいて非常に楽しい。『解説』は円城塔(個人的に好きじゃない)とのコラボだが、文学としての極北という感があり、難解すぎて理解を諦めた。

 良くも悪くも、伊藤計劃ワールドの全体像を楽しめる作品群。数をこなして読むと、登場人物に仮託された作者の潜在的な願望や理想像が見えてきて、興が醒めてしまうのはどの作家も同じか。過剰なハードボイルドとニヒルさよ。彼が生きていたら、この後、どんな言葉を紡いだだろうか。その行き着く先が見られなかったのは残念。
   
       

2018年5月19日土曜日

監督不行届


 安野モヨコと庵野秀明の新婚生活の話。2005年作品。

 シンゴジラを観てから庵野秀明について調べ始め、ここに辿り着いた。エヴァで一世を風靡し、オタク界の頂点を極めた生粋のオタクである男の私生活の様子がよくわかる。妻の安野モヨコも大御所の漫画家であるが、「現実の女」感という特異な属性を持っており、その化学反応が見ていて楽しい。

 両者とも人としては濃いめで面白い人たちであることは疑いないが、ギャグタッチで描いても隠しきれないダメな部分も垣間見える。そのへんも含め、共通の話題でつながりつつも互いに欠けたものを補い合って支え合うことができるいい夫婦なのかな、と思う。

 人の心のお勉強に是非。
   

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