2020年7月21日火曜日

8年目


 人間は物語(ストーリー)でできている。わたしたちの記憶は、生きてきた一秒一秒の公平中立な蓄積ではない。さまざまな瞬間を選びとり、それらの部品から組み立てた物語(ナラティブ)だ。だから、同じ出来事を経験しても、他人とまったく同じようにその経験を物語ることはない。さまざまな瞬間を選びとる基準は人それぞれで、各人の個性を反映している。 

 『偽りのない事実、偽りのない気持ち』 テッド・チャン 

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 このブログを開始して丸8年が経過した。ナラティブ研究会というのは、そもそも私が大学生のときに作ったサークルの名前だ。自分が好きな小説、漫画、映画などの話を、ただ語り合う仲間がほしい、という単純な目的で、2007年頃に結成された。その後、大学を卒業して医師になり、精神科の研修をしていた頃に、インターネット上のブログにその働きを求めた。それが2012年の話。

 今や2020年で、世界は新型コロナウイルスの流行で大混乱をきたしている。仕事や遊び、家庭生活や芸術など、従来の社会活動が大きく制限される一方で、秋以降には空前の経済的不況が来るのは必定であり、米国のBlack Lives Matterの運動や中国と他国との衝突や対立を見ると、世界情勢も一筋縄ではいかなさそうだ。日本のみならず、各国の社会的なフレームワークは瓦解し、世界同時規模で、誰も見たことのない乱世が訪れるかもしれない。そんな、先が読めず、これまでの常識が通じない混沌とした世界で、各個人が拠って立つべき価値観や判断の基準とは、どのようなものであるべきか。

 そうした、各々の価値判断の尺度を形成するのは、個々の体験した物語なのだろう、と私は考えている。その大部分は、個人の人生経験に負うところが大きいが、他者が編み、娯楽や史料として提供される物語作品には、時間の蓄積の中で、自然淘汰と適者生存のメカニズムを経て洗練された、因果律や、事物の本質や、世の理、その攻略法や対処法、安全予防策など、この世界を生き抜くヒントが詰まっている。好きで観たり、聴いたり、読んだりした物語は、深いところで血肉となり、思考の核となり、己の判断に影響を与えている。そうした直観は当初からずっと変わらない。

 年月が変われば好みも変わり、最近はハードなSF小説だったり、人文科学的な歴史や地理の学識に裏付けされた骨太の物語が好きだ。劉慈欣の『三体』、テッド・チャンの短編小説高城剛の文章なんかに面白みを感じている。とはいえ、私の精神世界の根底の部分には、10代の頃から親しんだミスチルの歌詞やハンターハンターバガボンドが息づいているのだと思う。これまで生きてきた中で、偶然に出会ったり、必然的に辿り着いた無数の人文科学的物語作品。そのコラージュが私の精神世界である。

 このブログは10年続ける予定だったので、残りはあと2年を切った。無意識に読み集め、深く考えずに心に残した痕跡を、言語化してアウトプットし続けるというこの試みは、自分の中に何を残すだろうか。昔は作家になりたい思いが強かったが、最近じゃそういう目的意識も影を潜め、ただおもむくままに鑑賞するようになりつつある。医師としての臨床、研究、教育などにリソースをだいぶ割かれているせいもあるんだが。家族や友人と過ごす時間もほしいし。

 なんのためにこんなブログを続けているのか。そのすべての意匠を事細かに説明し、他人に理解を得ることは困難だろう。読みたい人だけ読んでくれればいい。そして、いくばくかの部分を共有できた場合には、どこかで感想を話し合えれば嬉しい。そういうスタンスで、更新は続いていく、はず。気になった人は、いつでもご連絡を。
   

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