2016年9月29日木曜日

Fantôme


 昨日発売の8年ぶりの宇多田ヒカルのニューアルバム。
 iTunesで購入し、当直中に聴いている。

 1998年に15歳でデビューしたHikkiも今や33歳。「人間活動に専念するため」と宣言して活動休止を宣言したのが2010年、それから母親の死を乗り越え、イタリア人の男性と再婚し、男児が生まれ、子育てを経て、2016年のこの作品に至る。

 正直、筆者は宇多田ヒカルの熱心なファンではなく、世間で流行っていた2000年頃の熱狂を共有できたわけではなかった。それでも、きっかけは忘れたが最近なぜか気になっており、Twitterでフォローしたりして、人間・宇多田ヒカルの人間性に魅かれていた。頭が良くて、誠実で、愛がある、こういうタイプが好きなのである。人間の脆さや醜さを知り、悲しみを受け止めた上で、歓びを享受し、光明を求めようとする。言うなれば菩薩系女子。(プロモーション用の企画『#ヒカルパイセンに聞け!』で人生観が分かる)

 そして、このアルバム。なんとなく全編に死の匂いが漂う。音楽的には過剰な装飾がなく、すっきりして聴きやすい。歌詞は日本語主体で、言葉も分かりやすい。様々な体験を経て、無駄なものが削がれ、洗練された感じ。懐かしいのに新しい。ミスチルReflectionに抱いた感覚に近い気がする。#3 花束を君に、#8 荒野の狼、が現時点ではお気に入り。

 生の苦しみを知り、諦めを経て、愛がある。
 こういうのが好きです。

  

荒野のグルメ


 中間管理職のグルメ漫画。

 原作はこれまた久住昌之。30代なら『孤独のグルメ』、60代なら『野武士のグルメ』、40〜50代には本作が対応する。企業戦士として日々戦う(古い表現…だが主人公のセルフイメージに近そう)50近くの男が、都会の荒野にある「オアシス」と見立てた小料理屋で日々の疲れを癒す。基本は男のひとりメシであるという点は同じだが、ほとんど毎回同じ店であるところが他の作品とは異なる。

 ひとりでメシを食う、という単純で原始的な癒し。過剰なオリジナリティの押しつけを嫌い、自身の生まれ育った文化を再確認することで主人公は息をつく。昭和生まれの日本人、という特定の集団(世代)の感性の典型例。職場の管理職の男性の心を掴みたい人には最良の指南書となるだろう。彼らの等身大のダンディズムを尊重することで自尊感情をくすぐり、思うがままに操ることができる(かもしれない)。

 ひとり飲みができれば人生は楽しい。きっとそういうのが大事。
    

2016年9月23日金曜日

野武士のグルメ


 還暦グルメ漫画。

 原作者は『孤独のグルメ』の久住昌之。したがって、絵柄は違うが路線は一緒。定年退職した初老の男(香住武)がそのへんの店にふらっと入って食事する話が一話完結で続く。野武士は個人的なセルフイメージで、主人公は普通のおっさんである。

 精神科医をやっていて、雑多な言語情報の処理をひたすらし続けて脳が疲れることがよくある。そういうときはこういう本を読むのが楽しい。自由にメシを食うというシンプルで原初的な人間の歓び。年を取っていくごとに、こういうのが好きになるんだろうという気がする。

 野菜たっぷりのタンメン。
 焼きそばとビール。
 特別な味はなくてもいい。
 美味しいものを食べることができる人生は素晴らしい。
   

マルドゥック・スクランブル[完全版]


 完結編の『アノニマス』に向け、Kindleでシリーズの合本版を購入して通読に挑戦。3部作の最初の『スクランブル(完全版)』を読了したので感想。前のバージョンはこちら

 完全版は2003年発売の初稿を2010年に大幅に改稿したもの。ブリーチのポエムっぽい巻頭の単文、冒頭のバロットの心情描写、バンダースナッチカンパニー(畜産業者)の成員の背景などが追加されている(参照 作者のブログ)。説明臭くなりすぎた感じがして、個人的には初稿のバージョンの方が好き。

 内容については、筆者がSFを読み慣れたおかげもあってか、前よりも理解が深まった。そして、小説的技巧のハンパなさを再確認。卵関係で繋げるネーミング、ネズミと少女のイメージ、人魚姫と身体的欠損のモチーフ、都市の論理と病理、社会生物学を引用する会話や独白の妙。そして、それらを土台に描くカジノシーンには頭脳戦や信念の勝負の醍醐味が詰まっており、圧倒的な緊迫感とカタルシスがある。

 そして、この作品は「不適応者が掴む適応の物語」だと筆者は考えているため、己の存在様式がつい登場人物に重なってしまう。有用性を求め戦うドクターとウフコック、己の実存を勝ち取ろうとするバロットの決意、ボイルドの虚無、など。筆者が常々考えるレジリエンス(逆境を跳ね返す力)を獲得するための物語として、最良の部類に入るものであると思う。この本を読み込んだ人と酒でも飲みつつ延々と語らいたいものだ。

 そして次は前日譚の『ヴェロシティ』へ。読んでいて単純に幸福な気持ちになるので、それが嬉しい。
  

2016年9月14日水曜日

MESSI メッシ 頂点への軌跡


 しばしば史上最高のサッカー選手と評されるリオネル・メッシのドキュメンタリー映画。小学校時代の教員や友人、FCバルセロナ入団以降の彼を知るチームメイト、監督、スポーツ記者らがレストランで会食し、幼少期からのメッシの思い出とその魅力について語り合う、という形式。2014年の作品。

 アルゼンチンの貧民街出身、小人症(成長ホルモンの分泌障害)による低身長とその克服、家族との愛情、控えめな性格、など。なぜ多くの人が彼を応援し、その姿に魅せられてきたのが分かる。小刻みなステップと加速で圧倒的な突破力と決定力を見せるピッチ上でのプレーは勿論、ほんの時折見せる人間くささや、ロナウジーニョらバルセロナのチームメイトとの友情もいい。こりゃあ応援したくなるわ、と納得。

 本人のインタビューがないこと、再現映像を交えている点に少し不満を持つ人はいるかもしれないが、近しい者達から見た実存在のメッシ像は高い精度で表現されているんじゃないかと思う。もの静かで、いい奴で、ひたむきな情熱を持った愛すべき男だというのがよくわかる。そんな人間リオネル・メッシの物語である。逆境を跳ね返す方法論の教材にしたい。
   
   

2016年9月13日火曜日

放浪の天才数学者エルデシュ


 20世紀が生んだ最強の数学オタク、ポール・エルデシュの評伝。ほとんど定宿をもたず、世界中の数学者のもとを泊まり歩いては研究を続け、死ぬまでに約1500本の論文(多くは共著)を執筆した。死ぬまでの10年はアンフェタミン(覚醒剤)を内服して1日19時間数学に没頭して暮したという。

 一見、他人の迷惑を屁とも思わない変人だが、心は純粋で慈悲深く、多くの人に愛されていたのが本書に出てくる証言の随所から伝わる。ハンガリー生まれのユダヤ人であり、ナチのホロコースト、ソ連のハンガリー侵攻、米ソの冷戦など世界情勢に翻弄されながらも、数学の真理を一心に追い求め、数学仲間との交流を楽しみ、母との時間を大切にし、無条件に子供を愛した。

 イチローの野球や、手塚治虫にとっての漫画みたいに、人生のすべてをかけて何かを追い求めて生きる人の姿は格好いい。愛があり、情熱があり、歓びがあり、その生き方には嫉妬や侮蔑等、人間の醜い感情が入り込む余地はない。こんな人生を送りたいもんだ、と筆者は常々思う。

 『フェルマーの最終定理』も面白かったが、己の道を突き進む数学者の生き様には何ともいえない魅力がある。とりわけ、彼のような突き抜けた変態的天才の話は読んでいて楽しい。そして、発作的に数学がやりたくなる。
   
   

2016年9月6日火曜日

点と線


 感想:今イチ。

 社会派ミステリーの古典として名高い本作は昭和32年(1957)に連載された松本清張の推理小説である。北九州で発見された男女の死体の捜査で不審な点が見つかり、若い刑事が同日北海道へと出張していた容疑者のアリバイトリックに挑む…という筋。

 きっと後進の作家達に鮮烈なインスピレーションを与え、多くの模倣品(『火曜サスペンス』劇場とか)が世に氾濫した時代を生きた筆者から見ているせいだろう。既視感のある筋立て、登場人物、舞台装置がお約束どおりに進んでいくという印象が終止湧き起こり、推理小説の定型となる様式美を学習しているような気分になった。肝腎のトリック(あるいは真相)が割とツッコミどころが多いのも純粋に楽しめなかった要因であると思う。

 昭和30年代を生きる人々の思考および生活の様式がどのようなものであったか、というところが読んでいて面白かった。デジタルな記録がない時代の警察は大変だということと、昭和の日本人の不合理と人情が印象的だった。
   

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