2021年5月27日木曜日

林蔵の貌


 北方謙三の時代小説。初出は1996年。電子書籍版をDollyで読了。文庫で上下巻。

 実在の人物である北方の探検家の間宮林蔵(安永9年-天保15年、1780-1840)が主人公である。文化年間(1804-1818)の幕末の樺太や北海道が物語の主な舞台となり、独力での北方の測量やアイヌとの交流を行う生活がベースとなっていた彼の元に、幕府や朝廷や諸藩の陰謀が絡んでくる。孤高に生きる男が時代の荒波に揉まれる物語、と表現して差し支えないと思う。

 長い歳月を酷寒の地で過ごした間宮林蔵の顔貌は凍傷で崩れ、手指は曲がったまま拘縮している。彼は寡黙で、他人と感情を通わせることはほとんどないが、自身が生き抜くためなら、己の手を汚すような苛烈な決断を厭わない侠気がある。作中では苛酷な冬の海上や、山中の厳しい自然と戦う場面が多く登場する。厳寒の地の極限状況で洗練されたライフスタイルは、まさしくハードボイルドである。

 以前読んだ『草莽枯れ行く』や『水滸伝』もそうだが、北方謙三の時代小説は、その定型の「型」に忠実である。装飾的な表現を削ぎ落とした硬質な文体で物語は紡がれ、漢たちが志のために命を賭け、戦い、死ぬ。何作か読むと、展開がある程度読めてくるようになるにもかかわらず、心をとらえる何かがある。本作もそんな物語の一つである。

 形而上学的に仮定された、理想の「男」という存在であろうとする心性。それは普遍的で、時代を超えて人々に何がしかを訴えかける、成熟した価値観であるように思われる。そんな「男」の生き様を描くこと。それが、北方謙三のハードボイルド小説の魅力なのである。
    

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