2018年2月22日木曜日

ハーモニー


 健康的な生を強制されるディストピアを描く伊藤計劃の長編小説。2008年作品。

 舞台は2070年。21世紀の初頭に起きた〈大災禍〉(ザ・メイルストロム)という人間同士が大規模に殺し合った暗黒期(おそらく『虐殺器官』と関連)を経て訪れた世界が描かれる。”生命主義”と呼ばれる思想に基づき、互いの生命を最大限に尊重しようとする空気が世界を覆っている。そこで人々は血管内に取り込まれた医療分子(メディモル)により構築された”WatchMe”というシステムにより健康状態を監視され、嗜好品の摂取や偏食など、肉体に危害を及ぼす恐れのある行為を禁じられている。日常生活においても精神衛生に害を及ぼす過剰な刺激な取り除かれ、メディアや学校や家庭での会話には耳あたりのいい言葉が溢れる。そして、そんな「優しい世界」に息苦しさを感じた少女たち3人がこの小説の主人公である。

 その息苦しさをなんと説明すればいいかと考え、ふと思いついたのが、最近、オリンピックの選手が試合後のインタビューで「応援してくれた人々への感謝」しか話さなくなった現象についてである。一見、謙虚で対他配慮に満ちた優しい世界の構成員として模範的な発言ではあるが、その実態は、たぶん、感謝を述べないと袋叩きにあうという世間の空気を表しているのだと思う。善意の皮を被った精神と行動の支配。一見もっともらしい正論で個人の自由を奪う世界の息苦しさ。本作が描いているのはそういう世界の究極形であるように思う。そして実際、現実社会も着実にそんなディストピアに近づいていると思う(ネット炎上のクソさよ)。

 もう一つ、作品の背景として、作者が骨の悪性腫瘍で入院中に一気に書き上げた作品であるという事実が、作品に宿る身体性へのリアリズムを裏打ちしている。化学療法の副作用に苦しみ、肺を切除し、足を切断し、身体的な要素にセンシティブにならずにはいられなかったであろう、と推察できる。その心境はいかなるものか……。ネット上に残されたウェブ日記などを読みながら、私はしばしば考える。

 作者生前の最後の作品となった本作には、透徹した理系の視点と遊び心が詰まっている。ぜひ一読を勧めたい。
   

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