2016年4月27日水曜日

GDP 〈小さくて大きな数字〉の歴史


 精神科医をやっていて、医療関係者やそれ以外の知人達からの「どうして自ら死にたがっている人を助ける必要があるのか?」という問いにしばしば直面する。そんな時に私が答えることにしているのは「人がひとり生きているだけでGDPが上がり、国が豊かになるから」という内容である。本書はそんなGDPという経済指標の歴史を辿る解説書である。

 GDP(Gross Domestic Product;国内総生産)は第二次世界大戦の軍事費用の調達のため1940年代にアメリカで開発された「国の豊かさ」の指標である。「一定期間内に国内で生み出された付加価値の総額」(wikipedeia)のことであり、乱暴に要約すると、1年間にその国で作った商品やサービスの価値をなんでもかんでも足したものである。弱点は沢山あるが、その国の経済規模や成長率を測定するのに非常に役立つ指標であり、2016年現在でも世界中で使用され、アメリカの経済分析局に「20世紀でもっとも偉大な発明のひとつ」と評されていたりもする。

 人が一人生きているだけで、その人が食べるための食料の生産、流通、保存、調理、廃棄のための経済活動が生まれる。たとえ、その人が障害のために世間でいう「仕事」ができなくても、その人が生きているために食料供給、住居環境の整備、医療や社会福祉サービス、娯楽の提供…etc.という様々な経済活動が生まれ、結果として雇用を創出し、国が豊かになり、皆がうまいものを食べたり休日にコンサートや旅行を楽しめたりするのだ…と説明するのである。GDPの数値は個人の視点では見えない「国の豊かさ」を可視化し、認識しづらいマクロな経済活動を概念化することを可能にする。ちなみに人がひとり生きているだけでGDPを平均2億円を押し上げる効果があるとか(※長谷川豊のブログで読んだが、ソースは不明)。

 本書はそんなGDPの物語である。「そんなの詭弁だ」「なんかスッキリしない」とよくいわれるが、それはマクロ経済の視点が足りないミクロな世界の意見だね、と私はバッサリ切る。いまだに論破されたことはない。経済学は「資源の最適利用」のための学問であり、精神医学に応用が効く示唆に富んでいると筆者は考えている。
   

0 件のコメント:

コメントを投稿

ブログ アーカイブ