2015年12月15日火曜日

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか


 昭和29年12月22日、「昭和の巌流島」と題されてテレビ中継され、日本中が熱狂し注目したプロレスの試合で力道山の騙し討ちに遭い破れた木村政彦の心情を、その生涯を詳細に辿りながら綴っていくノンフィクション。

 読み進める中で、筆者はかつての自身の体験と交錯し、平常心ではいられなかった。木村政彦を陥れた力道山のような「卑劣で面倒くさい怪物」は存在する。筆者が周囲にしばしば漏らす大学生活における不愉快な思い出は、約2名ほど同学年付近にいたこの力道山系の人物に起因する。利用価値のある者にはおもねってすり寄り、価値がないと判断した相手は掌を返して使い捨てる。他人が築き上げたものを剽窃し、相手の善意や信頼を簡単に裏切り、陥れる。不器用でも筋を通し、気高くあろうとする武士道のような理想を生きる人間が食い物にされる。インターネット上で悪く書かれている在日朝鮮人の振る舞いの王道をいく感じ、と言えばいいだろうか。信用して付き合うとマジで厭な目に遭うのである。自身の築き上げた栄光を汚され、下劣な欲望の手段として利用された木村政彦のように。

 読むと力道山のゲスさに生理的嫌悪感が生じるが、その屈辱を木村政彦がどのように受け止めて後半生を生きたか、という心情に作者は詳細に史料を検証しながら迫っていく。柔道の正史から抹消され、力道山の引き立て役として貶められた木村政彦という柔道史上最強の(おそらく人類の格闘技史上最強レベルの)誇り高き格闘家の名誉復権の物語である。常人には決して届き得ない型破りで圧倒的な強さを手に入れた男の栄光、没落、悲哀、救済、葛藤、そうしたものをリアルに味わえる。不当に貶められたまま歴史の闇に葬られかけていた、不器用で純粋な愛すべき男の人生に、柔道経験者の作者が光を当てる。
 
 その生涯には綺麗も汚いもない、命の輝きと儚さがある。読めば人間への理解に深みが出る。
 今年読んだ評伝ではベスト。グイグイ引き込まれる骨太の物語である。
    

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