2021年12月31日金曜日

narrative of the year 2021

1位 進撃の巨人(漫画、アニメ)
今年一番熱中した物語作品。豊穣で示唆に富む展開や設定が良かった。原作のラストをしっかり締めてくれたのがありがたい。

2位 吉原御免状(小説)
娯楽小説としての価値とともに、被差別民の歴史が背景にあるのが良い。隆慶一郎作品をもっと読みたい。

3位 オッドタクシー(アニメ)
コンパクトに観ることができるミステリー。オシャレ感もあり全体の調和が良い。

4位 三体 Ⅲ 死神永生(小説)
正直、最高傑作はだと思うが、これはこれで傑作。

5位 アクティベイター(小説)
程よいボリュームと濃度だった。現代が舞台の冲方丁作品をもっと読みたい。

6位 命がけの証言(漫画)
出版の価値であれば今年No.1。目を逸らさず、1人でも多くの人に実態を知って欲しい。

7位 チェンソーマン(漫画)
アニメ公開決定済み。2022年はチェンソーマンの年になるだろう。

8位 ゴールデンカムイ(漫画)
北海道への経済効果は計り知れず。何度も読み込む価値がある。

疲れた頭に優しい漫画だった。

10位 渋江抽斎(史伝)
重厚で硬質な文章の味わい。
  

2021年12月30日木曜日

ゴールデンカムイ


 大正時代の北海道を舞台に冒険する漫画。既刊28巻。
 まわりに奨められて夏頃から読んでいた。

 日露戦争の帰還兵の杉本佐一は、北海道で砂金採掘をしている途中で、あるアイヌの男が大量の黄金を隠したという噂を聞く。網走監獄にいた「のっぺらぼう」という男が、黄金の在処を示す暗号として、囚人に刺青を掘ったという。杉本は隠された黄金を求める中で、アイヌ、帝国陸軍などの戦力が入り乱れ、北海道を舞台とする激しい戦いに巻き込まれていく。

 暗号解読を目指し、財宝を巡り幾つもの勢力が争いを繰り広げるという筋は、娯楽作品としては定番だが(思い浮かんだのは『クリプトノミコン』)、本作ではいくつもの独特のエッセンスが加わる。日露戦争前後の日本および北海道の歴史、自然描写、アイヌの民俗文化やグルメ、猟奇犯罪が組み合わさっていく。内容は重いようで、けっこうキツめの下ネタや、悪ノリが過ぎるおふざけが箸休めになる。

 『鬼滅の刃』なんかもそうだが、徹底した時代考証および文化風俗の交渉、キャラクターの背景の作り込みをしてから、長編の物語を書くのが最近のトレンドなのか。後半明らかになる、物語の伏線や、仕込みにも唸らされる。精緻に準備された舞台の上で、交錯する登場人物たちのドラマが際立つ。敵も味方も魅力的な人物が多いが、個人的に推すのは、優しそうな風貌でいて、実は最も冷徹でイカれてるウイルク。

 現在ヤングジャンプで連載中の物語も佳境で、2022年末頃には終わりそうだ。最後まで読むのが楽しみな漫画である。この時代に生きられる幸せを感じる。
 

2021年12月29日水曜日

ポリス・ストーリー/香港国際警察


ジャッキー・チェンの代表作の一つ。1985年作品。

1980年代の香港を舞台に、主人公のジャッキー・チェン扮する刑事が麻薬組織のボスを捕まえるために奮闘する話である。派手なアクションの大捕物、恋人や敵方の女との微妙な関係、仲間の裏切りや友情、などが含まれる。コメディ・色恋・身体能力・勧善懲悪を楽しめるザ・娯楽映画という風情である。

内容については、全体に粗雑な時代だったんだなあ、と感慨。性に関しても、人を侮辱する笑いに関しても、コンプライアンス的な縛りをほとんど感じさせず、良くも悪くも下品でおおらかである。1980年代は世界的にそんな雰囲気だったんだろう。危険を顧みず撮った派手なアクションは見応え抜群ではある。撮影中に大怪我が多発したのは確実だと思われるが、今だったら許容されるのだろうか。

古き良き香港映画の様式美を楽しめる、王道的映画であろうと思う。1980年代の時代の空気、香港の空気が保存されていることにも価値がある。深く考えずに観たが、思いのほか得るものは多かった。
   

2021年12月27日月曜日

司法試験予備試験 完全攻略本


 LEC東京リーガルマインドより出版。同社講師の柴田 孝之が著者。
 2014年(平成26年)発行。

 諸事情により司法試験に挑むことにしたので、その戦略策定にあたり、1冊で全体像が把握できそうな本書の電子書籍版をジャケ買い(タイトルで選んで購入)した。

 内容は期待通り。500ページ超とボリュームが多いが、概ね必要十分で満足できた。大学の法学部もロースクールも関係のない素人が、予備試験ルートで司法試験合格に挑むまでのイメージが掴める。前半は試験制度の解説、法律学習の概要、学習のコツと注意点と来て、ラストに旧司法試験と予備試験ルートの新司法試験の2人分の合格体験記がついている。これを一冊読めば、司法試験の戦いに挑むための準備は整った、という気分にさせてくれるだろう。実際、特に質の悪い部分は思いつかない。著者の(予備校講師然とした)軽妙な語り口が人を選ぶくらいだろうか。

 司法試験の受験は物語である。厳しい試験であり、多くの人が人生を賭けて挑み、様々なドラマが生まれる。本書は単なる資格受験の指南書のようでありながら、描かれなかった膨大な数の人々の辛苦が宿り、威厳を与えるように思う。読んで身が引き締まるとともに、自分の頭脳ひとつで人生を変えようという、大学の医学部受験に似た情熱を思い起こさせた。

 いつかどこかで語るかもしれないが、10年間このブログを書き続けたのは、司法試験に挑むための下準備だったような気がしている。試験勉強の日常や所感を記録する別のブログを始めたので、興味がある読者はそちらを参照されたい(リンク)。
   

2021年11月22日月曜日

進撃の巨人(漫画)


 今年6月発売された34巻で完結。別冊マガジンで連載していた。
 Netflixのアニメから入ったが、ファイナルシーズンの途中で電子書籍をDollyで購入し、iPadで一気読み。

 豊穣な物語である。内容は世界文学の水準にあると思う。北欧神話に材を取っているらしく、壁、巨人など、登場する要素は神話めいている。ストーリーについては、これから読む人のためにネタバレしないように気を使うため、説明が難しい。とりあえず、壁の向こうにいる巨人と戦う話であると認識しておけば間違いない。

 原作である漫画は、前半は画力がイマイチだったり、キャラクター造形に独特のクセがあるため、初読者のハードルは高いように思える。だが、途中何度も山場があり、己の認識が180度転換するような場面がある。私はアニメ版から入ったが、進行は概ね同じであり、展開に衝撃を受ける。人類VS巨人という単純な構図かと思われた物語が、その世界の全貌をやがて現し、読者を深い思弁へと誘う。

 作者はどの段階でこの物語の構想を完成させていたのか?
 途中、驚きっぱなしで、考え続けたが、無論、最初からである。世界を完全に構築し、物語の時間軸や人物造形を全て定めてから、描き始めている。緻密に張り巡らされた伏線にも唸らされるが、設定だけではなく、テーマが切実で深い。人は何故争うのか、を示し、人間にとって何が大切か、を教えてくれる。民族紛争、人種差別、少年兵の悲劇など、普遍性があるテーマが多数登場。反出生主義を扱う部分もある。 

 今年は『進撃の巨人』に出会えた年として、自分の中で記憶に残るだろう。コロナ禍の出口のない不安に苛まれる日々の中で、物語に没頭することができた。エレンや、リヴァイや、ジャンやライナーやベルトルトの心境に思いを馳せた。この作品を観た人と、じっくりと語り合えれば楽しいことは間違いない。個人的には『スラムダンク』や『ハンターハンター』級の人生に影響を与える作品だった。ただただ読めて幸せだった。
 

2021年10月30日土曜日

白夜/おかしな人間の夢


 ドストエフスキーの短編4本入りの文庫本。
 光文社古典新訳文庫。2015年発行。安岡治子訳。

『白夜』
 表題作になっている中編小説。副題は「感傷的な小説(センチメンタル・ロマン)」「ある夢想家の思い出より」。内気で空想癖のある(陰キャな)20代の青年が、白夜の夜に街を散歩しているときにワケありな女性に出会い、恋をした数夜の顛末。ドストエフスキー27歳頃の1848年に発表された小説で、主人公の青年は若き日の作者の投影が少なからずあるだろう。狙ってやってる部分もあろうが、全体に青臭い内容。深く心に突き刺さりはしない。

『キリストの樅ノ木祭りに召された少年』
 ごく短い短編。『マッチ売りの少女』や『フランダースの犬』のような、可哀想な子供を描いた児童向けの童話という風情。晩年の『作家の日記』という連作に登場した作中作らしい。本編収録の作品の中では一番好き。

『百姓のマレー』
 無知で粗野な農奴の善性について考察する、上から目線な回顧形式の作品(時代背景を考えると、悪気はないと思うが)。こちらも『作家の日記』に登場。これもまあまあ好き。

『おかしな人間の夢』
 副題は「幻想的(ファンタスティック)な物語」。自殺を図った男が、キリスト教的な幻想に満ちた世界を旅する。ドストエフスキーが晩年たどり着く、このキリスト教的な愛の理想が、何回読んでもどうもしっくり来ない。結論ありきというか、押し付けがましいと言おうか。いつか分かる日が来るのか。

『一八六四年のメモ』
 ドストエフスキーの最初の妻(マリア、マーシャ)が亡くなったときに書いたとされる、思弁のメモ。これもキリスト教どっぷりな思考回路が、どうも自分にはしっくり来ない。キリスト教価値観が支配する世界に生まれ育つと、必然的にそのような思考に辿り着くのか。まだ私にはわからない。

 全体の感想。
 若い頃のドストエフスキーは、比較的凡庸な作家だったと思う。貧困層への憐憫、キリスト教的価値観に基づく愛などの理想はあったが、その表現も、理想も、凡庸で他の作家を抜きん出ることはなかったように思う。1848年頃のてんかん発病、ペトラシェフスキー事件に連座しての逮捕、死刑宣告、シベリア送りなどの過酷な苦難を経験する中で、その思弁にハードなヤキが入り、人類史を代表する偉大な作家として仕上がっていったんだろう。その原型を見ることのできるのが本作の収録作品であるが、単体で楽しんで読めるかというと、あんまり、、、な作品が多かったというのが感想。偉大な作家の足跡を追うのは楽しいことではあるので、興味のある人は読む価値はあると思う。
 

2021年10月24日日曜日

シリコンバレー式 自分を変える 最強の食事


 アメリカでベストセラーになった健康になるための食生活の指南書。原題は"THE BULLETPROOF DIET"(防弾の食事という意味)。 英語版は2014年、日本語版は2015年発行。電子書籍版をDollyで読了。

 作者のデイブ・アプスリー氏は米国のIT企業家で、社会的な成功を収めたが、長年体調不良に悩まされていた。そんな彼がバイオハック(生体を研究して攻略すること)に挑み、長い試行錯誤を経て、自身の体調を整える食事の黄金律を見つけるに至る。そんな彼の知見をまとめたのが本書である。

 私が読んでいる高城剛氏のメールマガジンでよく言及されるので読んでみたが、医学的な観点から見て、合理的な内容が多いように思えた。現代人は炭水化物を取りすぎで、適度に減らすと体調が良くなる、というのは自分でも実践して実感するところである。高脂肪、高タンパク、低炭水化物、朝のバターコーヒー(MCTオイル入り)などが本書が紹介する食事の売りである。背景理論については内容を参照されたいが、ざっくり言うと、体内の炎症を減らすことに重きが置かれている。

 ただし、作者のアメリカンな思考様式、豪快で繊細さに欠けるスタンスでは気になる。日本食への造詣は深くないようで特に触れられることはなく、他国の伝統的な発酵食品などについても、疑わしきは排除、という記載が引っかかる。万人に安全な食事法を伝える入門編としてはいいかもしれないが、日本食を含め、各国の伝統食品の愛好者は反論したくなるだろう。納豆や梅干しの力で驕ったメリケンの安全神話に一泡吹かせてやりたい、考えるのは自然なことであろう。

 などと思いつつ、体質は各人によって異なるものであり、遺伝子によって解毒の得意不得意もあるので、それぞれ自分に合った食事を見つけましょう、という助言が添えられており、全体としては学術的に誠実で好印象である。食事の見直しによって体質改善を図る端緒とするための好著と言えよう。部分的であれ実践すると、昼に眠くならない、日中のだるさが消える、など体調が良くなるのを体験できる(実体験)。

 なお、本ブログでこの本を紹介するのは、作者の生き様に物語を感じたからである。IT長者が食と健康の伝道者になるというストーリーは、面白い。
 

2021年10月8日金曜日

チェンソーマン


 『ルックバック』と同様、藤本タツキ作。2019年から2021年まで週刊少年ジャンプで連載。既刊11巻(第一部完結)。

 内容は最近ジャンプで流行りのダーク・ファンタジー。舞台は悪魔が存在する世界。親が作った借金を背負い、劣悪な環境で暮らす主人公の少年デンジが「チェンソーの悪魔」であるポチタと融合し、悪魔と戦う。既存の道徳を嘲笑うようなエグい展開、グロとエロが溢れているのが特徴的。

 一回読んでよく分からなかったが、考察動画などを観て、二週目を読んで傑作だと思った。絵が多くサクサク読めるが、設定が込み入っており、説明が少ないために、一回でストーリーについていくのが難しい。作画や構成力は抜群に良く、何気ない構図や台詞に伏線が仕込まれており、多くを語らずとも、徹底的に作り込まれた世界観、展開であることが伝わってくる。

 テーマは愛だろうか。ダークな世界で描くことで際立つ美しさがある。『ウシジマくん』の作者が言っていた「激辛の奥の旨味」のような感覚。中学生くらいの頃に読むと、心に一生残るであろう深みがある。少年誌のコンプライアンスぎりぎり(アウト)のこの作品を連載させたあたり、近年のジャンプ編集部の凄みを感じる。

呪術廻戦』や『進撃の巨人』を手がけるMAPPA制作でアニメ化が決まっており、これは間違いなく動画が映えるだろう。動く悪魔たちが観られるのを楽しみにしている。
   

2021年9月12日日曜日

ルックバック


 『チェンソーマン』の作者の読み切り漫画。
 2021年9月発売の単行本をDollyで読了。

 藤子不二雄の『まんが道』、デスノートの作者の『バクマン。』のような、漫画家の漫画である。地方都市の小学校に通う女子二人が、学級新聞の漫画掲載が縁で互いを知り、協力して漫画を描くようになり、そして、、、という話である。

 読み切りだが、143ページと長め。前半は一つの道に打ち込む少女たちの成長物語、後半の展開は実際の事件(京アニの事件)を材に取っており、胸に重くのしかかる。後半のやや突飛で面食らうような心象風景の描写も、変に言葉で説明しすぎないあたりセンスが良い。初読で分からなくても、少し考えれば意味はわかる。言葉にできない関係性や成長過程の、儚さや美しさを描く漫画である。

 そして、成長途上の主人公たちの過程を全て描くことができるプロの漫画家の技量って凄いな、と気付かされる。画力、構成力、キャラクター造形など、これぞプロという凄みを感じる。漫画家を目指すすべての若者に読んで欲しい。
   

2021年8月27日金曜日

テネット


 クリストファー・ノーラン監督の映画。2020年作品。
 NETFLIXで視聴。

 ウクライナの首都キエフのオペラ会場でのテロから物語は始まる。CIAの特殊部隊の工作員である主人公の男(ジョン・デイヴィッド・ワシントン、デンゼル・ワシントンの息子)にとあるきっかけで白羽の矢が立ち、巨大な陰謀と戦うために世界各国を飛び回ることになる。時間が反転して人や物が過去へと向かう技術が途中で出現し、未来から時間を逆行してくる人間と戦う時間SFの設定が物語の肝となる。

 壮大な規模でパズルのような物語作品を作るのが趣味のクリストファー・ノーラン作品の中でも、長年にわたり構想を温めていた肝煎りの作品らしい。難解さは突出しており、前情報一切なしで観てみたが、全くついていけなかった。1時間ほどインターネット上の考察を読んで、ようやく全体像が見えてきた。用語や設定の説明も少なくて混乱するが、特に時間軸が難しい。

 面白いかどうかでいうと、まあそれなり。分からなすぎて途中で諦め、よくわからないまま終わったが、考察を読むのは楽しかった。役者のまとう空気には味があり、映像技術はすごかった。鑑賞直後は2度目を観たいような気がしたが、数日経った現在、まだ手は伸びず。まあ、そういう映画である。暇があったらまた観たい。

 個人的には、クリストファー・ノーラン映画は『インセプション』>『インターステラー』>『テネット』>『メメント』という感じ。
   

2021年8月20日金曜日

オッドタクシー


 2021
4月からテレビ放映されていたアニメ作品。
 全13話。アマゾンプライムで視聴。

 舞台は現代の東京で、動物の姿をした人々が都会の中で生きている。セイウチの姿をした個人タクシーの運転手である小戸川という男が主人公。数週間前に失踪した女子高生の事件を軸に、半グレ風のアンダーグラウンドな人々、アイドルやお笑い芸人ら芸能関係者、インフルエンサーの大学生、ネトゲ廃人、汚職警官などが絡み、群像劇が繰り広げられる。

 下手な内容への言及はネタバレになるので説明が難しいが、とても良かった。お洒落で、クスッとできて、風刺が効いていて、サイコホラーな要素を含みつつ、それでいて本格的なミステリー作品になっている。観終わってみると、
成る程よくできている、と唸らされるような仕掛けが張り巡らされている。重すぎず軽すぎない内容と、構成要素が有機的に繋がっていく構成や会話の妙は、伊坂幸太郎の小説作品が近いように思う。

 6時間ほどあればアマゾンプライムで全話観て、内容を補完するYouTubeのオーディオドラマを聴くことができるだろう。老若男女、多くの人に薦めたい。今年のベスト候補な娯楽作品である。
   

2021年7月21日水曜日

9年目

 

 先にあったことは、また後にもある。先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。「見よ、これは新しいものだ」と言われるものがあるだろうか。それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。
伝道者の書 第1章9−10節

・・・

 このブログを始めて、丸9年が経過した。
10年でいい区切りなので、1年後にはやめる予定である。公開はしばらく続けるかもしれないが、更新はしなくなると思われる。本を1冊読むたび、漫画を全巻読むたび、映画を1本観るたびに書くのは、結構な負荷ではあった。記事一つにつき書くのは大体30分もかからないが、それなりに脳と指先の筋肉を使った。習慣化するに至り、なかなかいいトレーニングになっている気はするが、それなりに大変だった。毎日ブログを更新している糸井重里は半端ないと思う。

 このブログの目指すところは何か、と問われれば、物語作品を観たり読んだりして浮かんだ感想を、誰かと共有したいということに尽きる。小説、評伝、漫画、映画、アニメシリーズ、音楽作品など。形式はなんでもいいが、なんらかの物語作品を鑑賞し、自身の中に生まれる心の動きを共有したかった。「こんな面白い本があったんだけど、、、」という話をする相手がいなかった大学時代の残念な時期の怨念(のようなもの)が年月とともに変質し、現実世界に顕現し具象化したのが、このブログである。

 そして、己のトレーニング。私が
目指していた(今やっている)精神科医、作家、ブックカフェ経営者として、鑑賞した物語作品の紹介や感想の言語化は、最良のトレーニングの一つであると今も昔も信じている。時間や場所や所属する文化圏を超えた多様な物語の蒐集は、精神医学の診療見立てに大いなる力を与える。物語のサンプルの蓄積は、新たな物語を生み出そうとする作家にインスピレーションや手本を与える。ブックカフェ経営者は、文学作品の知識の蓄積が必要なのはいうに及ばない。良質な物語の集積は、臨床家として、創造者として、経営者として、揺るぎないバックボーンになる。人の理を、世の理を、学ぶ手段として、実践可能かつ有効な手段のあるべき姿を探し求め、このブログの形式に辿り着いた

 だいたいそういう感じの意義や雰囲気を直観で感じ取り、人知れず行われる趣味と鍛錬を兼ねた公開練習の場として、このブログは存在している。ラスト1年、活動は加速するかもしれないし、失速するかもしれないし、同じノリで続くかもしれない。同じくらいのペースで、淡々と続けられれば僥倖である。この文章を読んでくれているあなたと、いつか、好きな作品について感想を述べあい、情報交換ができればなお良いだろう。そんな日が来ることを願っている。という気持ちであと1年続く、はずである。
   
   

2021年7月20日火曜日

未来世界から来た男


フレドリック=ブラウンの短編集。
日本語訳は1963年(昭和38年)初版。

副題は「SFと悪夢の短編集」の通り、SFとサイコホラーの要素にブラックユーモアを加えた2〜4ページほどの超短編が多数収録されている。内容は『ドラえもん』や星新一作品が近い、というよりむしろ、時系列を考えると、藤子・F・不二雄や星新一に影響を与えた本家がこちらであろう。作者はアメリカのSF黄金時代と称される1950年代を代表する作家である。

作品が年代物のせいか、訳が古いせいか、理解が及ばず楽しめなかったものも多かった。ユーモアが性的な内容に偏りがちなのも時代のせいか。好きだったのは『報復宇宙艦隊』、『黄色の悪夢』あたり。洗練されたブラックユーモアが個人的な好み。
   

2021年7月11日日曜日

吉原御免状


 隆慶一郎の小説デビュー作。単行本の初版は昭和61年(1986年)。

 舞台は江戸時代初期の明暦3年(1657年)。宮本武蔵の弟子として肥後(熊本)の山中で育った青年・松永誠一郎が、武蔵の遺言に従い、後に江戸を代表する色街となる新吉原を訪れるところから物語が始まる。庄司甚右衛門という人物を探していたところ、偶然出会った幻斎という異形の老人に案内され、色街を生きる人々や文化を知るとともに、朝廷や江戸幕府を巻き込む巨大な陰謀に巻き込まれていく、というのが筋。

 娯楽小説としてテンポよく進みながら、当時の文化風俗の紹介、資料文献を参照する歴史考証、迫真の戦闘シーン、官能小説のような妖艶な性描写、拷問の凄惨な描写、など、贅沢な作りになっている。一見するとよくある時代ものの伝奇小説だが、歴史的事実に基づく著者の吉原成立に関するビッグアイデアが底にあり、単なる剣豪活劇にとどまらない深い味わいを残す。

 ネットで考察を探していたところ、松岡正剛氏が言及していた(リンク)が、網野善彦という中世日本史の研究者の理論が底にあるようである。人を支配下に置き自由を奪おうとする幕府という権力機構と、自由と遊興を愛する漂白の民との戦いの歴史があるらしい(そう考えるとワンピースも近い)。公界、無縁、道々の輩、遊女や非人などの被差別民についても学びたくなった。学校の歴史の教科書には載っていない、国や歴史を動かしてきた衆生の力動について学ぶことができるように思える。

 鬼滅のアニメの吉原編が秋公開に迫っているのに加え、『一夢庵風流紀』が面白かったので手に取ってみたが、もっと隆慶一郎作品を読みたくなった。日本の時代物を通して、無慈悲な世界と、理想的な生き様を学べる。こういう魂の滋養のような娯楽作品を読んで生きていきたい。
   

2021年7月4日日曜日

三体Ⅲ 死神永生


 三体シリーズ三部作のラストを飾る作品。日本語訳は2021年6月発売。上下巻。電子書籍リーダーDolyで読了。

 前作の『三体Ⅱ 黒暗森林』はきれいな終わり方をしたが、その続きはどうなるのか、、、という前作までのファンの期待や不安に、真正面から応える作品である。

 特筆すべきは物語の世界観の深さや広さ。太陽系より外の宇宙との往還や交流にとどまらず、異なる次元とのコンタクトや、異星の文明の社会学などが、精緻な理論と繊細な描写で描かれる。SF的なイマジネーションの限界に挑戦した作品であり、めまいがするような、途方もないスケールの作品である。

 理論物理の議論が頻回に登場するゴリゴリのハードSFであり、途方もないスケールの世界を舞台にしながらも、情緒的な物語として成り立たせていることに本作の特殊性がある。無慈悲な攻撃により人類が幾度となく絶望に晒され、胸が締め付けられるような苦しみと、その後の束の間の解放感を、読んでいて何度も味わう。そして、広大で荒涼とした世界の中で、儚げに光る灯火のような人性や愛慕が、物語作品としての味わいを添える本作の中盤に出てくる作中作の雲天明(ユンティエンミン)のおとぎばなしなんかも最後まで読んでから読み返してみると、より深く味わえる。

 全作を通して、人間の想像力の限界を見せてくれる、素晴らしい作品だった。これぞSFという知的興奮と感動が入り混じる醍醐味を、読んでいてずっと味わえる。もはや人類の宝という感がある。いつかまた読み返したい。
   

2021年6月19日土曜日

憚りながら


 山口組系の暴力団の元組長・後藤忠政の回顧録。単行本は2010年初出。読んだのは2011年の文庫版。

 後藤忠政は1942年(昭和17年)東京生まれ。四人兄弟の末っ子であり、幼少期に母が死別し、静岡県の富士宮で育った。幼少期に貧困を経験し、10代の頃から喧嘩に明け暮れ、少年院や刑務所への収監を繰り返しながら名を上げ、組織を拡大し、極道の世界でのし上がっていった。日本最大の指定暴力団の山口組の幹部にまで上り詰め、2008年(平成20年)に引退して仏門に入り、その後の
インタビューを原稿化したものが本書である。

 日本の「やくざ」のメンタリティを学べる本であり、暴力団の歴史の本である。創価学会との攻防や山一抗争の顛末など、実在の事件の裏話を含むリアルな後日談が散りばめられた、日本の裏の戦後史とも言えよう。淡々と語られる内容は凄絶であり、現実離れしている。人死にの出るような暴力の応酬について他人事のように恬淡と語り、(笑)の登場するポイントに凄みを感じる。

 侠客たらんとするメンタリティは、次郎長を生んだ静岡という土地柄が育むものなのか。「やくざ」であるという職業上の美意識がそうさせるのか。日本の歴史上の必然なのか。悪でありながらも、抗い難い危険な魅力があるその振る舞いは、多くの歴史的、郷土的、文化的な事象が凝縮し、洗練されたものなんだろう。

 非学術的な語り口の中に、辺縁にいる人間にしか出せない深みがある。人間が生きることの純粋な意味を見出せるだろう。なかなかいい読書体験だった。
   

2021年6月18日金曜日

天地明察


 12年ぶりに再読。
 2009年初出。冲方丁の時代小説。

 江戸時代の実在の人物、渋川晴海(しぶかわはるみ)が主人公の時代小説である。碁打ちの家系に生まれ、算術を愛し、神道を重んじる人物が、改暦という幕府や朝廷を揺るがす大事業に挑む。4代家綱から5代綱吉(西暦1660年〜1700年頃)の江戸が舞台で、同時代人である本因坊道策、関孝和、山崎闇斎、水戸光圀、保科正之などが登場する。

 さほど有名ではなかったこの人物を見つけ出し、とことん惚れ込んで、時代小説の主人公として取り上げたという事実が、冲方丁の精神性の本質を現しているように思われる。途方もなく大きなスケールの課題に全身全霊で挑み、事を成そうとするメンタリティ。挫折しても立ち直り、嫌なやつにならず、ひたむきに、一生懸命に、己の命を人の世の輝きのために捧げる創造性とサービス精神。本作の渋川晴海は冲方丁の理想の人間像の投影である。もうひとつの理想は、冴えた知性と猛る野性を併せ持つ水戸光圀であろう(そちらは『光圀伝』で描かれる)。

 時代小説の枠組みの中で、理系のロマンを追求する作品でもある。作中に出てくる解けそうでなかなか解けない図形の問題などの仕掛けも楽しい。囲碁、算術、天文学など、芸術の域にまで高められた理論の真剣勝負へのリスペクトが読んでいて心地よい。算額絵馬や私塾での数学バトルを楽しむ江戸の庶民の暮らしぶりからも、洗練された町の空気が伝わってくる。

 今読むと、人物の描写はライトノベル感があって少し鼻についたが、それもまた作者のサービス精神の発露であろうと思う。読むと力が湧いてくる、何かに全力で挑みたくなる、エネルギーを秘めた作品である。大学生の頃に読めたことに感謝したい。
   

2021年6月13日日曜日

1日外出録 ハンチョウ


 ギャンブル漫画『カイジ』シリーズのスピンオフ作品。既刊11巻。 

 地下の強制労働施設が舞台の地獄ちんちろ編(『賭博破戒録カイジ』の1巻から5巻に所収)に出てくる悪役三人組がクローズアップされる。物腰が低く、鷹揚に振る舞いながら、狡猾な手段で労働者たちから搾取をする大槻班長が主人公。

 基本的には1話完結で、40歳から50歳くらいの壮健な男たちが東京での一日外出を楽しむ話が延々と続く。いかに休日をエンジョイするかの指南の書であり、グルメ漫画であり、日常ものであり、独身の男たちの人生の慰安が描かれる人間賛歌でもある。

 格安のビジネスホテルに泊まり、友人と外食がしたくなる。人生を祝福する書である。
 

2021年5月30日日曜日

しんがり 山一證券 最後の12人


 平成10年(1998年)に経営破綻した山一證券に最後まで残り、破綻の原因究明に挑んだ社員たちの戦いを描いた記録である。清武英利著。初出の単行本の刊行は2013年。文庫版は2015年。2014年度講談社ノンフィクション賞受賞。


 百年の伝統を誇り、日本の四大証券会社の一角であった山一證券であるが、平成9年(1997年)11月22日の朝、社員や役員たちも知らされぬまま、突然に自主廃業となることが報じられた。日本中に衝撃が走り、会社中が未曾有の混乱に襲われるさ
なか、会社が3兆円の負債を抱え、2000億円を超える簿外債務が明らかになる。社員たちが沈没船のような会社から次々と逃げ出す状況下、場末の業務監理部門に追いやられていた主人公の嘉本らは、経営破綻の真相究明に乗り出す。

 「しんがり」とは退却する軍の最後尾を担当する部隊(殿軍)のことである。日の目を浴びず、損な役回りであるが、不誠実でモラルが破綻していた旧経営陣が目を逸らし、隠し続けた会社の暗部を日の下に曝し、筋を通すために、心あるごく一部の社員たちが究明を買って出た。粛々と清算業務を続ける会社に残された社員たちとともに、彼らこそが歴史に埋もれた真の英雄である、というのが本書のテーマであろうと思う。

 小説のようであるが、多くのインタビューや取材に基づいており、バブル崩壊前後の平成初期の空気が伝わってくる。世界観が全体的に情緒的で、牧歌的で、非科学的と言おうか、インターネット登場以前の、なんとも言えない時間の流れのゆるやかさがある。そして、
会社という所属する組織を失う人間の悲哀が伝わってくる。『七つの会議』の考察で触れられていたように、かつての日本人にとっては、所属する会社こそがアイデンティティの大きな部分を占める、存在の母体となるコミュニティだったんだろうな、と改めて気付かされる。

 『半沢直樹』のような派手な社内闘争はないが、当時の時代や、現実に戦った人間の記録として、この本には価値がある。
  

2021年5月27日木曜日

林蔵の貌


 北方謙三の時代小説。初出は1996年。電子書籍版をDollyで読了。文庫で上下巻。

 実在の人物である北方の探検家の間宮林蔵(安永9年-天保15年、1780-1840)が主人公である。文化年間(1804-1818)の幕末の樺太や北海道が物語の主な舞台となり、独力での北方の測量やアイヌとの交流を行う生活がベースとなっていた彼の元に、幕府や朝廷や諸藩の陰謀が絡んでくる。孤高に生きる男が時代の荒波に揉まれる物語、と表現して差し支えないと思う。

 長い歳月を酷寒の地で過ごした間宮林蔵の顔貌は凍傷で崩れ、手指は曲がったまま拘縮している。彼は寡黙で、他人と感情を通わせることはほとんどないが、自身が生き抜くためなら、己の手を汚すような苛烈な決断を厭わない侠気がある。作中では苛酷な冬の海上や、山中の厳しい自然と戦う場面が多く登場する。厳寒の地の極限状況で洗練されたライフスタイルは、まさしくハードボイルドである。

 以前読んだ『草莽枯れ行く』や『水滸伝』もそうだが、北方謙三の時代小説は、その定型の「型」に忠実である。装飾的な表現を削ぎ落とした硬質な文体で物語は紡がれ、漢たちが志のために命を賭け、戦い、死ぬ。何作か読むと、展開がある程度読めてくるようになるにもかかわらず、心をとらえる何かがある。本作もそんな物語の一つである。

 形而上学的に仮定された、理想の「男」という存在であろうとする心性。それは普遍的で、時代を超えて人々に何がしかを訴えかける、成熟した価値観であるように思われる。そんな「男」の生き様を描くこと。それが、北方謙三のハードボイルド小説の魅力なのである。
    

2021年5月23日日曜日

俺か、俺以外か ローランドという生き方


 カリスマホスト、ローランドの本。
2019年3月発売。
 ソーシャルスキルとしての対人コミュニケーション能力に関するミニレクチャーを担当する機会があり、役に立ちそうなので読んでみた。読んだのはKindle版。

 ローランドに注目しはじめたのは去年くらいだったか。
 面白くて、格好良くて、周りを幸せにする、コミュニケーション強者であるローランドの立ち居振る舞いは、公私にわたり参考にしている。

 ローランド、何がいいんだろう。
 自己評価が高い人は、それだけでエンターテイメントになるということ。本人もそれを自覚していて、意識的にキャラクターを演じている。それがホストという職業の役割であり、彼はそれを理解している。ローランドのファンの大部分は、自分に自信を持てない人なんだろうと思われる
。自分を大切にし、愛し、特別視している彼を見ることで(ローランドは五感で味わうべきだそうだが)、その自己肯定感を追体験できるんだろうと思う。ああ、自分を大切にしてもいいんだ、という気づきを得る人は多いだろう。

 そして、軽薄なようでいて、芯があるということ。
 彼の「名言」に凝縮された人生哲学には、人が幸せになるためのメンタリティとして、普遍的な価値がある。個人的に好きなのは、「Noを言えない人間のYesに価値はない」「男が誰を尊敬するのかは自分で決める」あたり。高校卒業までサッカーをガチでやっていたり、名実ともに歌舞伎町No.1ホストになるという目標を実現したり、真剣に戦い抜いた人間が持つ経験や思弁の蓄積がある。そんな彼の言葉には、深みや含蓄がある。それを、あえて軽く見えるように出している。それが彼のプロフェッショナリズムである。

 精神科医療者として、彼に学ぶべきものはなんだろう。
 自尊感情の高さは、目の前の相手や周囲に伝播し、人に幸福感を与える効果があること。清潔感、容姿、ユーモア、優しさ、誠実さの大事さ。際限のない甘やかしや妥協は自身にも相手のためにもならないこと、など。病棟のスタッフに1人ローランドがいれば、圧倒的な戦力になるだろう。患者を癒やし、現場の士気を高め、関わった全員が大切な何かに気づくはずだ。

 なかなか学ぶべきことが多い本だった。これからも、彼に多くを学ぶだろう。
   
   


2021年5月15日土曜日

新編 SF翻訳講座


 1989年(平成元年)から1995年(平成7年)にかけてSFマガジンに連載されていたコラムである『SF翻訳講座』の書籍化。読んだのは2012年の河出文庫版。

 SF翻訳家、大森望の物語である。いまや日本のSF小説ファンで知らぬ人はいないであろう大御所であり、マルドゥック・アノニマス(今読んでいる)でいうならば、日本SF小説界の交通整理をするロード・キーパーとして、その界隈では尊敬を集める存在である(たぶん)。編集者出身で、英語圏のSF小説の翻訳、解説、アンソロジー編纂、イベントの司会など、幅広く活動しており、軽やかな筆致で作品の要点や楽しみ方を紹介する語り口は職人芸の域にある。バランス感覚がよく、推薦作にハズレがないので、私は昔からひいきにしている。
 
 本書はそんな氏が30歳前後の頃に書いていた連載コラムであり、平成初期のバブル当時の日本の文化風俗を学べる。全体に世の中が浮かれており、連日飲み明かし、麻雀の卓を囲み、カラオケで熱唱し、ドラクエ5やストリートファイターⅡが発売して社会現象になったりする。そんな時代に、日の目を浴びない場所でワープロに向かいながら、黙々と英語から日本語へ翻訳する作業のティップスを、諧謔めいた口調で紹介していく。

 万人には薦め難いが、個人的なニーズにはスマッシュヒットした好著である。言葉とは何か、いい文章とは何か、を考える視点を提供してくれる。そして、精神科医の素養として「SF小説」と「翻訳」は押さえておくべき素養だと個人的には考えている。SFは理系と文系の交差点であるという点で精神医学に近く、翻訳は体系の異なる言語から言語へ置き換える作業が、現在症の記述に近い。こういう本を読むと、仕事に深みが出るような気がしている。
   

2021年5月4日火曜日

地下室の手記


 ドストエフスキー作品。ロシア語の原作は1864年に初出。
 読んだのは新潮文庫の江川卓訳。1969年(昭和44年)版。

 孤独で自意識過剰な40代の男の手記という体裁をとった小説である。長年にわたり醸成された自身の考えを披瀝する前半(地下室)と、知人や娼婦とのあいだに起きた具体的なエピソードを語る後半部分(ぼた雪に寄せて)に分かれる。ボリュームは控えめで、中編小説程度の長さである。

 個人的には後半の展開が胸に突き刺さり、ドストエフスキー作品では上位にランクイン。男は卑屈な元役人であり、人とうまく交われず、孤独な「地下室」(比喩表現)にこもって生きる人間である。自意識過剰で、自暴自棄で、観念にとらわれ、屈辱的な記憶を
反芻し続けて強化し、無尽蔵に自身や他人への蔑みや憎しみを生み出し続ける。太宰治の『人間失格』を読んで自分のことが書いてあると衝撃を受けるのに近い感じで、この『地下室の手記』に己を重ねる若者は多そうだ。世界中でしばしばみられる、ある日突然、凶悪犯罪を起こす引きこもり男性に近い心理だと思われる。

 この苦しさや悲しみは『最強伝説黒沢』が近いと思った。黒沢は2000年代の日本の土方、本作の主人公は1860年頃のロシアの知識階級という違いはあるが、不器用で自意識過剰で孤独な中年男、というあたりが通じる。結局は、社会に馴染めず、孤独をこじらせ、過去の失敗の記憶が毒となって、精神を蝕み続ける地獄にいる。それは時代や場所を超えて、普遍的に見られる現象なんだろう。地球上、あらゆる地域に、数えきれぬほど似たような中年男性がいる。

 彼を救うことができるのは何か。それはきっと女性的な愛のようなものなんだろう、ということが後半の娼婦とのエピソードから見て取れる。ドストエフスキーの『罪と罰』の発想の萌芽はここにあるんだろう。その苦しみと救いは、その後の作品郡の中で重要なモチーフとなり、形を変えて描かれ続ける。

 観念にとらわれ、俗悪な衆生に交われぬ地獄。似たような境遇にいた、かつての自分を重ねて読んだ。なかなかいい読書体験だった。
   

2021年5月3日月曜日

 
 綱淵謙錠の小説。初出は1975年(昭和50年)。
 読んだのは2011年に出版された文春文庫版。
 10年ぶりくらいに再読。

 元禄時代(1700年頃)から明治12年(1879年)の廃刑に至るまで、250年以上、7代にわたり、死刑囚の斬首を家業としていた山田浅右衛門(やまだあさえもん)の一族の物語である。明治に入り、社会変革の激動と混乱の時代に生きる吉亮(よしふさ)が主人公で、史実に基づき、彼の目から見た一族の運命が描かれる。

 綱淵謙錠らしい精緻な文献考証の合間に小説的な物語が挿入される構成であり、リアリズムの深い味わいが残る。物語は多層的で、社会風俗の記録、歴史物語、恋愛的要素など、いくつもの視点から味わえる。とりわけ、社会の変革の中で、家業を失い、誇りを奪われ、先が見えず、心に傷を負って滅びゆく一族を描いた悲運の物語として堪能したい。斬首という非人間的な仕事に携わる人々の心理についても示唆するところが多く、文学的情緒に富んでいる。その一端については、本文中の下記の文章を参照されたい。

 歴史的転換点において、時勢に翻弄される人々を描くという点で普遍性を持つ物語である。コロナ禍やITの隆盛で大きな社会変革が起きている、2021年の今読むにふさわしい小説だろう。重厚な物語であり、お気に入りの一冊である。

・・・
 斬首ということは無機物を機械的に斬るのではなく、人間が人間を斬るのであるから、斬る人間と斬られる人間とのあいだに一つ一つの場合でそれぞれ異なった心理的触れ合いが生じるのである。したがってつねに偶発性をともなって斬り手の心理なり感覚を揺り動かす事件が絶えない。それにたいする抵抗素がいくらできていたとしても、その衝撃はいつまでも尾を曳いて残るものであり、そもそもが人間としての反自然的行為なのであるから疲労となって神経を昂ぶらせる。とくに多量の血を見ることは本能の最も奥深いところにあるものを刺戟するらしく、生臭い血の匂いに触発されて、斬り手の全身を酩酊させる。それを〈血に酔う〉と言っている。 
本文 p181
   

2021年4月24日土曜日

パルプ

 買った本その②。

 無頼のアメリカ人作家チャールズ・ブコウスキーの遺作となった小説である。英語版の初出は1994年、新潮文庫の日本語版は1995年。ブコウスキーを知ったのは、宇宙兄弟の編集者が推していた旅行記を読んでからで、彼の小説を読むのは初めて。とにかく作りの雑さがすごかった。

 主人公はアメリカ、ロサンゼルスの私立探偵ニック・ビレーン。55歳独身、アル中で競馬狂、仕事もプライベートも行き当たりばったりで、行き詰まるとすぐに暴力沙汰になる、弁明の余地など微塵もない、ダメな中年男性である。賃料を滞納した探偵事務所にいる彼の元に不思議な仕事の依頼が来るところから物語が始まり、そこに、死んだはずの実在の作家セリーヌ、超常的な能力を持つ死神、宇宙人などが絡んでくる。

 無茶苦茶な展開をしていく物語だが、決して軽薄ではない、なんともいえない味がある。現世に対する絶望が底にあり、諧謔を交え、小説の型や整合性など気にしない狂気が全編を覆う。世界観としては、なんとなく、カート・ヴォネガット作品に近いように思われる。かつて粗製濫造された大衆小説を意味する「パルプ」という題が示す通り、劣悪なB級娯楽小説という感を隠さず、逆に開き直って図に乗っている感がある。

 本作のハイライトとして、不意に挿入されるダメ人間の主人公の悟りやぼやきが実にいい。むしろ、彼の口を通して語られる儚い達観こそが本編で、小説のストーリーはただのおまけにさえ思える。自由で、劣悪で、読んでいて楽しいのだ。それは、己を痛めつけ、感じたことを書き続けた作家ブコウスキーの魂の表白である。彼の作品には坂口安吾の堕落論に通じる、人間の本質や真実が宿る。

 深く考えずに買った本だったが、期せずして、なかなかいい読書体験になった。こういう本をはさむと、感性の幅が広がるだろう。人間への造詣を深めるための。

・・・

 外に出て、俺はスモッグを物ともせず、ずんずん歩いていった。俺の目は青く、靴は古く、誰も俺を愛していない。だけど俺にはすべきことがある。
 俺はニッキー・ビレーン、私立探偵だ。 p30

 俺は電話を切った。やれやれ。人間なんて地面一センチ一センチを確保しようと苦労するために生まれてくる。苦労するために生まれ、死ぬために生まれる。

 俺はそのことについて考えてみた。そのことについて、じっくり考えた。
 それから椅子の背に寄りかかって、タバコをゆっくり喫いこみ、ほとんど完璧な輪を吹き出した。 p34

 そして次の日の朝になり、オフィスに戻っていったわけだ。自分がまるっきり無用な人間だって気がした。そう、俺は無用な人間だ。この世には何十億という女がいるのに、一人として俺のところには来やしない。なぜか? 俺が負け犬だからだ。何ひとつ解決できない探偵だからだ。 p74

 待っているあいだにハエを四匹殺した。まったく、そこらじゅうに死が転がっている。人間、鳥、獣、爬虫類、齧歯動物、昆虫、魚、みんないつかはかならずやられる。がっちり仕組まれちまってる。どうしたらいいのか。気が滅入ってきた。たとえば、スーパーの袋詰め係を見るとする。そいつは俺が買った食い物を袋に詰めている。と、俺には見えてしまうのだ、そいつが自分の体を、トイレットペーパーやビールや鶏の胸肉と一緒に自分の墓に突っ込んでる姿が。 p93

 ベッドを出て、バスルームに出て行った。ここの鏡を見るのは気が滅入るんだが、とにかく見てみた。憂鬱と敗北が映っていた。目の下に黒っぽい隈が垂れている。臆病者の小さな目、猫につかまったネズミの目だ。筋肉にもまるで張りがない。俺の一部であることが嫌でたまらないみたいに見える。p119


2021年4月22日木曜日

サ道 心と体が「ととのう」サウナの心得


 古本屋で衝動的に買った本①。

 世にサウナブームを起こすことになったエッセイ本の文庫版。単行本版の初出は2011年、文庫版は2016年である。文章メインだが、挿絵も多く、ほぼ漫画の回もある。文庫版ではブーム発生後に描いたあとがき漫画がついている。

 漫画版と同様に、作者がサウナに出会い、はまり込んでいく過程が描かれる。最初に世に出たこのエッセイ版には、漫画版の「サ道」に至る前の、精製されていない原料のような粗さがある。「ととのう」というワードの強調に象徴されるように、漫画版やドラマ版にはビジネスの匂いを感じるというか、編集部や広告会社などの脚色や演出が加わっている。こちらのエッセイ版ではもっと純粋に、新しい世界との出会いと戸惑い、一つずつ謎を解き明かしていく過程の妙味が味わえる。

 水風呂に浸かりすぎのバッドトリップ、サウナ通いが頻回すぎて生じたと疑われる難聴(医学的妥当性は不明)など、ネガティブな話も書いている分、こちらには作者の本音とリアリティがある。作者がひそかに導師(グル)として崇める蒸しZ氏も、エッセイ版の方が深く観察されている。

 疲れた頭でサクッと読むには最適の内容。サウナに行きたくなる。
   

2021年4月20日火曜日

渋江抽斎

 森鴎外が趣味で武鑑(江戸時代の大名や役人の年鑑)を収集していたときに偶然知った無名の士である渋江抽斎(しぶえちゅうさい)に興味を持ち、徹底的に調べあげ、その実像を描き出した史伝(伝記小説)である。初出は大正5年(1916年)、東京日日新聞に連載された。

 渋江抽斎は弘前藩の医官で、文化2年(1805年)出生、安政5年(1858年)没。江戸住まい(定府)として勤める一方で、在野の考証家、書誌学者でもあった。穏和で質素を好む性格ながら、その長い時間をかけて練り上げられた該博な知識や卓見の凄みは、古書に残されたわずかな書き込みからも垣間見え、数十年の時を隔てて文豪・森鴎外の興味を引いた。

 驚くべきは、鴎外のその偏執狂的な情熱である。調査は幕末に生きた渋江抽斎の数世代前に遡り、親類、家族、交友関係、それぞれの生涯や来歴について克明に調べ上げ、
同時代人、大正の世に生きる末裔たちにいたるまで、年代ごとに、淡々と、残された資料や関係者の証言の読み解き、編み上げるようにしてその総体を解き明かしていく。鴎外自身の私見や所感は極力抑えられ、かつて確かに存在した渋江抽斎という人間の、その実像が読み進むごとに浮かび上がっていく仕組みになっている。

 綱淵謙錠の小説もそうだが、こういう文献や資料の考証に重きを置き、歴史的事実に語らせる物語作品には、生半可な創作には出せないリアリティの重厚な味わいが宿る。何より、惚れ込んだ男について徹底的に調べるという営みに興趣がある。どこまで意図したものであったか分からないが、鴎外の丹念で誠実な考証作業についていくと、次第に渋江抽斎や、その関係者たちの人間性が立ち現れ、読後には静かな感動がずっしりと胸の奥に残る。

 大学生の頃に買って挫折した一冊だったが、時間があったので再度挑戦し、読み通すことができた。古い表現が多く、決して簡単に読める本ではないが、苦労して最後まで読むと、他書では得られない比類なき味わいがあった。豊かな読書体験だった。
   

2021年4月17日土曜日

ノマドランド

 2021年公開のアメリカ映画。
 監督は気鋭の中国系女性監督クロエ・ジャオ。

 舞台は2010年代、リーマンショック後のアメリカ。企業破綻による工場の閉鎖に伴い住まいを失った初老女性が、季節労働を求め車上生活をしながらアメリカ国内を放浪する。主人公の女性ファーンを演じるのは『ファーゴ』、『スリー・ビルボード』で2度のアカデミー主演女優賞を獲得したフランシス・マクドーマンド。それ以外の出演者は、ほとんどが実際に放浪する当事者たちだという。

 登場するのは、人生の盛りを過ぎた人々、くたびれた衣服、荒涼とした山野の風景。大志を抱いたり、希望や好奇心を抱いた若者は出てこない。定住せず、車上生活をすることを選んだ中高年の男女の日々が静かに、くすんだ色調で描かれる。彼らは共通して何かを喪い、何かを抱え続けて生きているが、その過程が詳細に説明されることはない。原作はノンフィクションで、アメリカに実在する彼ら、経済危機後に住む場所を失った「現代のノマド」を取り扱っている。

 高城剛氏のメールマガジンで知り、何の気無しに観たが、なかなか味わい深かった。言葉で多くを語らず、表情や光の加減で見せる映画だった。通奏低音は悲しみ、ときどき与えられる喜びの微かな光。年齢を重ねるごとに、いっそう深く味わえるだろう。

   

2021年3月30日火曜日

九条の大罪


 『ウシジマくん』の作者の最新作。既刊1巻。
 キャッチフレーズは「いい弁護士は、性格が悪い」

 主人公はアンダーグラウンドな案件を扱う弁護士の九条という男。外貌はやさぐれた世捨て人風、物腰は柔らかい脱力系である。頭脳は明晰で、法の抜け穴を突き、依頼者の利益を確保する。

 テーマは法と道徳だろうか。
1巻では交通事故の加害者、違法薬物の売人の男が依頼者として登場する。人道上の問題がある案件であっても、九条は法律的な問題を解決するが、善悪のジャッジをしない。中立の目で世界を眺め、世間の評価にも、金銭的な報酬にも頓着しない。己の責務を淡々と果たし、多くを語らない。

 現代社会を生きる衆生の苦しみを描くという点においては『ウシジマくん』と共通する。作者が方向を模索している感もあり、匙加減をしているらしく、前作のようなエグい表現は控えめである。九条やその周辺の人物像はまだ掘り下げられておらず、その独自の行動様式に至るまでのストーリーがいずれ描かれると予想される。この先が楽しみな作品である。
   

2021年2月14日日曜日

The Taste of Nature 世界で一番おいしいチョコレートの作り方


 高橋剛プロデュース、チョコレートのドキュメンタリー映画。高城氏のメルマガで知り、特典欲しさにAmazonでレンタルしてストリームで視聴。2021年1月公開。75分。

 東京の中目黒に店舗を構えるgreen bean to bar CHOCOLATEのオーナー安達建之氏の、チョコレート作りを追う作品である。同店の商品は、チョコレート界で最も高い権威をもつフランスのコンペティション(パリのサロン・デュ・ショコラ)で2018年にグランプリを受賞するなど、国際的にも高い評価を得ているらしい。その生産の過程を丹念に追うことで、高品質な1枚のチョコレートに至るための、複雑な世界の物語を体験することができる。

 店舗名にも入っている”bean to bar”とは、カカオ豆からチョコレートになるまでの全行程を一貫して手作業で行うチョコレート製造に関する理念のこと。映像による説明が豊富で、その過程がわかりやすい。カカオ豆が、ライチのような果実の種のようなものであることを初めて知った。発酵の過程があることもこれで知った。

 構成は、華やかにチョコレートが消費される東京の店舗から導入され、チョコレートの製造過程や、安達氏がbean to barという理念に至るまでの経緯を紹介し、後半は高品質のカカオを求めて南米のアマゾンへと向かうというもの。その過程で、一筋縄ではいかない経済格差などの社会問題を映し出す。

 私は高城剛氏のファンだが、氏がメルマガなどで言及する哲学が、本作品には凝縮されている感じがする。自分の足を使って歩き回り、全身で感じ取り、試行錯誤を繰り返す。ご褒美のような最高の瞬間にたどりつくためのヒントが、随所に散りばめられている。映画の構成やテーマとしてあまり目新しいものはないが(『おいしいコーヒーの真実』とかに近い)、ドローンを駆使した繊細な映像美や、優しい環境音楽、解説のわかりやすさが調和し、内容がストレスフリーで入ってくるのが好感。

 チョコレートのドキュメンタリーだが、チョコレートだけの話ではない。
 そんな映画だと思う。

2021年2月13日土曜日

命がけの証言


 2021年1月24日発売。
 現在進行形で行われている中国共産党によるウイグル弾圧の告発の書である。

 本書の背景によるウイグルへのジェノサイドについては、前作である『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』の記事を参照。

 本書には、インターネット上で無料公開されている漫画作品のうちの未出版のものが収録されている。加えて巻頭には、モンゴル出身で日本で大学の教授職を務める文化人類学者である楊海英氏と作者の対談を収録している。内容は比較的コンパクトで、大部分は字の少ない漫画であり、1時間程度あれば読めるだろう

 忙しくて買う余裕がない方も、せめて無料公開されている漫画だけでも、下記のリンクから読んでほしい。ひとつ5分程度で読める。

 その國の名を誰も言わない
 https://note.com/tomomishimizu/n/ned24c90d3db1
 私の身に起きたこと ~とあるウイグル人女性の証言~
 https://note.com/tomomishimizu/n/nfd4c33d0fcdf
 私の身に起きたこと ~とある在日ウイグル人女性の証言~
 https://note.com/tomomishimizu/n/n42b085855154

 この本の内容に衝撃を受け、何かをしなければならないと感じる人が多いはず。そんな人は、少しでもこの漫画を、周囲の誰かに読むようにすすめてほしい。
紙媒体の書籍は1320円。余分に買って職場に置いたり、知り合いにあげたりするとよいと思う。マスメディアは黙殺し、中国をおそれて表立って発言できない人が多いので、各自精一杯できることをやるべきだと思う。これは遠い地で起きている他人事ではない。自身の国にふりかかるリスクを避けるためにも、多くの人がこの事実を知ることが必要である。
  

2021年2月4日木曜日

アクティベイター


 現代の東京が舞台の冲方丁の長編小説。2021年1月発売。

 東京の羽田空港に、亡命を求める中国国籍のステルス爆撃機が緊急着陸するところから物語が始まる。そして、謎の中国人パイロットから、機には核兵器が積まれていることが告げられ、前代未聞の大規模テロを防ぐための戦いが幕を開ける。元特殊部隊隊員の真杖太一(しんじょうたいち)のアクションがメインのパートと、警視庁の指揮官として会議室で戦う鶴来誉士郎(つるぎよしろう)のパートが交互に進み、事件の全容が次第に明らかになっていく。

 全体としては、大都市におけるテロとの戦いであり、スリルとサスペンスを味わう娯楽小説である。アメリカドラマの24(トウェンティーフォー)感があり、踊る大捜査線ザ・ムービー感もあるが、ベースは冲方流の娯楽活劇である。プロットの構成はシュピーゲルシリーズが近く、小栗旬とか綾野剛とか出てきそうな東京が舞台のクライムサスペンスなので、ライトノベルに抵抗のある層も楽しめるだろう。SF色や時代小説の色も薄く、まさに一般受けしそうな内容である。

 私は約15年ほどの冲方ウォッチャーだが、本作は、冲方丁がこれまでの作品で培ってきた技術を総動員した感がある。テンポ良く進みつつ、展開は緊張と弛緩を繰り返し、プロットは破綻せず収束していく。説明や描写がくどくないので、読んでいてストレスなく楽しめる。国際政治、官僚機構のパワーゲーム、格闘シーンの殺陣、話者の性格や人間同志の関係を表す会話の妙など、いずれも磨き上げられた職人技という感じで、キレのある描写が心地よい。米軍関係者、中国人のヒロイン、韓国やロシアの刺客など、登場人物も魅力的。

 本書は今年のNo.1候補である。家に届いてから読み始めて没頭し、一気に読み終え、幸福だった。こういう王道路線、作者にはもっと書いて欲しい。能力を持て余しがちな彼の創作の、一つの最適解であろう。
   

2021年1月31日日曜日

私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言


 東トルキスタンのウイグルの女性が、中国政府が新疆(しんきょう、シンジャン)と呼び支配する地域で受けている弾圧の内容を告発する漫画である。内容は実在の人物の証言に基づく。公開は2019年8月。書籍化は2020年11月。

 漫画の内容はインターネット上のnoteで無料公開されているので、ぜひ読んで欲しい。20ページ弱であり、読むのに10分もかからないだろう。

 https://note.com/tomomishimizu/n/nfd4c33d0fcdf


 子供の殺害、拘束監禁、強制不妊手術、親族を人質にした恫喝、など、非人道的で苛烈な人権侵害の内容は衝撃的で、初読の人には強いトラウマになるだろう。だが、これは紛れもなく起きている現実であり、インターネット上では告発の動画や証拠が溢れ、2021年1月にはアメリカ政府が公式にジェノサイド(集団虐殺)が起きていると認定した。現在も進行している恐ろしい現実について知ることは、同時代を生きる人間の生存戦略上、不可欠であろう。


 だけど、それだけでは足りない。


 本書は印刷物であり、1200円で買える。大部分が漫画で描かれ、あとがきを含め40ページ程度なので、簡単に読むことができ、その訴求性は大きい。児童書のコーナーに置かれた小冊子のようなサイズ感であり、20分もあれば内容に目を通せる。だが、この小さな絵本は、大きな力を持つ。


 一人でも多くの人がこの本を手に取り、このような非道は許さない、と態度を表明することが中国共産党を牽制し、世界を変えていくだろう。逆に、黙認する人が多ければ、日本人とて他人事ではなく、20年後や30年後に同様の目に遭う可能性が現実にある。苦しむウイグルの人々を救うために、未来の自分や自分の家族を守るために、一人一人が、声を上げる必要がある。その第一歩として、今、絶対に読むべき本である。

   

2021年1月29日金曜日

白痴


 ロシアの文豪ドストエフスキーの五大長編の2作目。初出は1868年。読んだのは2018年出版の亀山郁夫訳。全4巻。

 娯楽とは程遠く、気合いと忍耐で読み進める読書体験だった。設定が込み入り、時代背景も19世期ロシアで多くの人には馴染みが薄いので、ノーヒントで読む初心者にはハードルが高い。その上、
核心部分は意図的に隠されたまま物語が進行し、ストーリー上の意味が掴めず困惑させられる展開が多かった。キリスト教に関係する示唆に富んでいるらしいが、21世記に生きる日本人が殊更ありがたがるようなものかというと、疑問が残る。

 ストーリーは、
善良で美しい魂を持つ主人公の公爵ムイシュキン、粗野な成金の男ロゴージン、自暴自棄に生きる美女ナスターシャ、美人三姉妹の末娘アグラーヤの愛憎入り混じる人間模様が主となる。持病の癲癇の治療のためにスイスで療養していたムイシュキンが祖国ロシアに戻るところから物語が始まる。ロシアの社交界を舞台に、悪評高いナスターシャを巡る騒動の中で生じる、互いの精神力動が物語の肝となる。

 純粋な人間の登場は最終的に悲劇をもたらす、とい
うようなことがテーマだろうか。美しい心や肉体を持った人間であったムイシュキンやナスターシャが、世俗の欲望と打算に満ちた社会に汚され、壊され、堕ちていく物語であるともいえる。ムイシュキンとロゴージンは人間の善悪の表裏一体として対を為し、ナスターシャは心が壊れた美人、アグラーヤは堕ちていく箱入り娘である。鷹揚で虚言癖のあるイヴォルギン、性格がねじくれた肺病病みのイッポリート、軽薄な小役人レーベジェフなど、脇役はいい味出している感がある。惨めで愛らしい端役たちの人間劇場がドストエフスキー らしい。

 読んで何が残っただろうか、と己に問うと、あまり何も残っていない気がする。自分の中で五大長編の順位は、罪と罰>カラマーゾフ>悪霊≒白痴、という感じだ。いつかまた読むと変わるかもしれない。ひとまず、現在読んだ感触としてはイマイチ。根性で読み切ったが、この体験がいつか報われることがあってほしい。
    

2021年1月26日火曜日

太陽の帝国(映画)


 イギリス人の少年が第二次世界大戦下の上海で過ごした日々を描く映画。スティーブン・スピルバーグ監督。1987年作品。

 原作はSF作家であるJ・G・バラッドで、ストーリーは作者の実体験に基づく。上海に滞在していたイギリス人の少年(クリスチャン・ベール)が、日本軍の侵攻による混乱の中で両親と生き別れ、その後、過ごした日々を描く。

 アカデミー賞の受賞はならなかったようだが、全体に当時の雰囲気の再現度が高く、玄人向けの歴史物という感がある。上海を占領する日本人は日本人が演じており、観ていて違和感がないのが好感が持てる。戦時の生活の過酷さ、悲惨な境遇で生きる人間の醜さと美しさなどが、過剰な修飾をせずに描かれている。

 スピルバーグは迷子の物語を描き続ける監督だ、と伊藤計劃が論じていた記憶があるが、本作がまさしくそうである。『レディプレーヤー1』や『ジュラシックパーク』などの娯楽作品を作る一方で、『プライベートライアン』や『シンドラーのリスト』などのシリアスな戦争映画を作るスピルバーグの二面性は興味深い。深い悲しみを知り、大衆娯楽の作品に昇華させる手腕を見るにつけ、創造的に生きる人間の完成形という気がしてくる。

 本作には近代史を学ぶ教材として食指が伸びたわけだが、期待通りなかなかよかった。多くの人に受けるかはともかく、テーマと世界観がいい。次は原作を読みたい。
   

2021年1月10日日曜日

狄(てき)


 綱淵謙錠の歴史小説。昭和54年(1979年)発行の中公文庫版。中編の『狄(てき)』と、短編の『夷(い)』を収録。仕事で稚内に行く関係で興味を持ち、読んでみた。両編とも明治の樺太の話である。

 『狄(てき)』
 舞台は1868年(慶応4年、明治元年)の樺太から始まる。新撰組隊士だった池田俊太郎は京都からの逃避行の果てに、日本領の極北である北蝦夷(樺太)にたどり着いた。酷寒に耐え、アイヌと共生し、ニシン漁の番屋で暮らす日々の中で、己の過去を回想する。やがて、軍事力を背景に無法を働くロシア人の侵略にさらされ、蹂躙される人々の過酷な運命が描かれる。

 『夷(い)』
 実在の人物である畠山松之助の悲運を描く掌編。1875年(明治8年)の千島樺太交換条約後、ロシアの支配下となっていた樺太が舞台。畠山松之助は日本人とアイヌ人の混血であり、窃盗を働くロシア人を殺害した罪で仲間とともに捕縛される。仲間と義のために自ら死に殉じる彼の心性に、作者が歴史的な文脈を読み解きながら迫っていく。

 両作ともに、作者の至芸ともいえる精緻な時代考証が特徴で、創作の部分もあるが、実際の歴史的事実や事件に材をとった重厚な作品となっている。読めば野蛮で卑劣なロシア人のことが嫌いになるのは間違い無いであろう。ロシア人が日本人やアイヌ人におこなった非道の数々は、子々孫々にわたり、よく覚えておく必要がある。

 綱淵謙錠(1924-1996)は樺太出身の作家であり、膨大な歴史的資料の考証が生み出すリアリティと、故郷や所属を失った人間の痛みが通奏低音となっているのが特徴である。今年は彼の作品を読もうと思っている。2020年代はいまだかつてない混沌の時代であり、それが関係してか、なんとなく、そういう気分なのである。
   

2021年1月9日土曜日

呪術廻戦(アニメ)


 Netflixで視聴。第一クールは全13話。

 最近観ていた鬼滅よりもアニメ色が濃い。なんというか、掛け合いにおけるオタな濃度が濃い。私はそれが苦手なので、観ていてあまり入り込めなかった。漫画で読むと面白い表現が、それをすべて話し言葉で再現しようとすると無理がある感じをしばしば受ける。

 戦闘シーンはなかなか良い…が、これもufotable制作の鬼滅の方が勝ると思う。おそらく、テンポの問題なのだと思うが、時の流れが冗長に感じるシーンが多い。昔のスラムダンク、ドラゴンボール、幽遊白書あたりも今観ると冗長に感じるので、慣れの問題なのかもしれない(戦闘中にそんなに喋れるわけない、とか考えてしまう)。領域展開の表現は観ていて面白かった。五条悟の無量空処なんか特に格好いい。

 全体に、評価はアニメ<漫画。鬼滅では逆だったが。
 エンディングのおしゃれムービーは格好いいので好感。
  

2021年1月8日金曜日

呪術廻戦(漫画)


 最近話題のジャンプ漫画。2018年開始。既刊14巻。
 面白いと聞いて、読み始めたら確かに面白かった。

 呪術(じゅじゅつ)を用いた異能バトルものであるが、基本はハンターハンターに近い。というか、作者の冨樫愛が強いのは明らかで、隠す素振りもない。ダークな学園バトルものであり、ハンターハンター幽遊白書ジョジョ寄生獣、うしおととらあたりを混ぜた作品という感がある。ギャグに銀魂的な要素があるのは、昨今じゃ標準装備らしい。作者によるとBLEACHの影響も強いらしい(私は読んでいないが)。鬼滅よりも残虐さ、陰惨さは強い。

 そして、ルールや設定は複雑。呪力、呪術、呪骸、呪具などが出てきて、それぞれ性質が違う。敵は呪霊だったり、呪術師だったりして、彼らが領域展開したり、式神を操ったり、反転術式を使ったりする。呪力はハンターハンターでいうところのオーラである。作中での説明がないが、前提としてハンターハンターの念の系統の分化(強化系とか操作系とか)の概念がある。主人公の虎杖(いたどり、影が薄い)の戦闘スタイルは念を覚えたてのゴンであり、雷禅が憑依した幽助であり、技である逕庭拳はるろうに剣心の二重の極みである。

 先行の人気作品のエッセンスをこれでもかと詰め込んだ、豪華な具材を入れまくった鍋のような内容だが、これはこれは調和がとれており、ストーリー展開も小気味良い。特に動的なシーンにおける作画能力が素晴らしく、設定の複雑さを忘れ、勢いとノリでグイグイ読ませる。両面宿儺、五条悟、東堂葵、夏油傑など、魅力的なキャラクターもたくさん出てくる。

 読むほどに、これは人気出ますわ、という豪華な作りである。鬼滅の次のジャンプの看板作品はこれだろう(ワンピースを除く)。新刊が出るのが楽しみな漫画がまた一つ現れてくれて、嬉しい。
   

2021年1月7日木曜日

FIELDWORK 野生と共生


 アウトドア企業スノーピークの株を買うにあたり、企業の理念を学ぼうとして買った本。

 本書は株式会社スノーピークの現代表取締役社長である山井梨沙氏が自ら書いた本である。同社は一族経営で現在3代目。本書の作者は創業者の孫で、1987年生まれ。2020年3月より現職となり、2020年7月に本書は出版された。スノーピークという企業の歴史、作者の生い立ち、経営の理念などが書いてある。

 わかることは、作者は幼少期からアウトドアライフを楽しんで育ち、サブカル女子を経て、家業に回帰した人であるということ。私と世代が近く、2000年代に青春時代を過ごした人らしい思考回路を持っていると思う。リベラル左翼感があって私は苦手だが、自然と触れ合うことで学べることについてはいいことを沢山言っており、全体的に同意できる。人は野で遊んだ方が心身の健康にいい。

 スノーピークは好きになったが、読み終わる前に株は全部売った。
   

2021年1月2日土曜日

ヴィンランド・サガ


 
プラネテス』の幸村誠の中世バイキング漫画。既刊24巻。

 舞台は11世紀前半の北欧。アイスランド、イングランド、デンマークあたりが舞台。クヌート、スヴェン王、フローキ、レイフ・エリクソンあたりは歴史上の実在の人物で、主人公のトルフィンはソルフィン・ソルザルソンという商人がモデルらしい(wikipedia)。史上最強の荒くれ者集団である北欧のバイキングの戦記と、戦乱に翻弄される庶民の運命が描かれる歴史絵巻という風情である。復讐編、奴隷編、帰郷編、北海横断編などにプロットは分けられる。


 久々に読み返したら、面白かった。作品としては骨太で、プロットが入り組み重厚なので、初読での理解は難しいかもしれない(私は厳しかった)。個人的には、地理や文化の大枠を踏まえた上で読む2周目以降が素晴らしい。噛めば噛むほど味が出る。時代背景や登場人物の価値観に思いを馳せたり、新たな発見があり、何度も読み返す価値のある作品である。


 『プラネテス』のテーマが母性の愛だとしたら、本作は父性の愛の話である。宇宙の話を書いたあとに、海賊を題材に選んだ作者のセンスには着目したい。本作のテーマは『バガボンド』が近いが、『キングダム』系でもある。「本当の戦士とはどういうものか」、「なんのために戦うべきか」など、そうした問いが出てくる。鬼のようなトルフィンの面相が、話が進むにつれて、憑き物が落ちるように、柔和に変わっていくのが味わい深い。


 11世紀ヨーロッパの話であるが、話は現在にも通じる。本書のトルフィンの試みは、不良の多い学校や、肉体労働者のコミュニティで幅を利かせがちなマッチョな価値観に対する挑戦である。腕っ節の強さを至高の価値とし、弱き者を蹂躙し搾取することを当然とする社会では誰も幸せになれないため、最大多数の最大幸福を実現する、共生するためのシステムを作ろうという理想。そういうものを追い求めているがゆえに、普遍性がある。


 本作は30巻くらいまで続くと予想。日本が世界に誇れるマンガ文化の層の厚さ、質の高さを感じる作品なので、もっと多くの人に読まれて欲しい。