2013年12月19日木曜日

夜と霧


 原題は”…trotzdem Ja zum Leben sagen : Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager ”(それでも人生にイエスと言う: 心理学者、強制収容所を体験する)
 精神科医であった筆者が「極限の状況にあるとき、人はどのように生きるべきか」という実存的な命題について自身の体験をもとに考察した本。程度の差こそあれ、自由を奪われ、収容所で苦役を強いられるような時期を経験した者ならば、読んできっと響く箇所があるはず。

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 収容所の日々、いや時々刻々は、内心の決断を迫る状況また状況の連続だった。人間の独自性、つまり精神の自由などいつでも奪えるのだと威嚇し、自由も尊厳も放棄し外的な条件に弄ばれるたんなるモノとなりはて、「典型的な」被収容者へと焼き直されたほうが身のためだと誘惑する環境の力にひざまずいて堕落に甘んじるか、あるいは拒否するか、という決断だ。 
 この究極の観点に立てば、たとえカロリーの乏しい食事や睡眠不足、さらにはさまざまな精神的「コンプレックス」をひきあいにして、あの堕落は典型的な収容所心理だったと正当化できるとしても、それでもなお、いくら強制収容所の被収容者の精神的な反応といっても、やはり一定の身体的、精神的、社会的条件をあたえればおのずとあらわれる以上のなにかだったとしないわけにはいかないのだ。そこからは、人間の内面になにが起こったのか、収容所はその人間のどんな本性をあらわにしたかが、内心の決断の結果としてまざまざと見えてくる。つまり人間はひとりひとり、このような状況にあってもなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断を下せるのだ。典型的な「被収容者」になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。
  

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