2018年12月31日月曜日

narrative of the year 2018

1位 この世界の片隅に(映画)
ラストで涙腺決壊。ディテールが良く何度も観たい。

2位 ハドソン川の奇跡(映画)
責任を持って働く男に沁みる作品。イーストウッド節。

3位 スリービルボード(映画)
個人的な関心領域とマッチ。ヘイトに満ちた世界で、人は何をするべきか。

ラストシーンのカタルシスにやられる。

5位 ズートピア(映画)
面白く、示唆に富む教育的な娯楽作品。

6位 FISHPEOPLE(映画)
海に行って現実逃避したくなった年だった。

7位 戦の国(小説)
合戦シーンでアドレナリンが出る。

8位 ジャージー・ボーイズ(映画)
バンドっていいよね、となる映画その2。

9位 U.S.A.(音楽)
踊ってて楽しかったのでランクイン。

10位 here comes my love(音楽)
曲調がクイーン系でエモい。

2018年12月22日土曜日

オシャレな人って思われたい!


 女性ファッション誌に連載していたオシャレ漫画エッセイの単行本化。

 山本さほ峰なゆかの作品は何故こんなにも胸に響くのだろう、と考える。世代が同じこともあるが、適度な文学的素養、適度な人間臭さ、適度な現実の受容、ほのかな隣人愛やユーモアのバランスが心地いいのではないか。基本笑えてバカバカしいが、人生に役立つTIPSがところどころに散りばめられている。

 個人的には現時点(2010年代)で、人の心を知るための最適のテキストの一つだと思うのだが、どうだろうか。少なくとも、25歳~40歳くらいの女性の服装や振る舞いという観察所見から精神力動や精神病理を看破する力は高まるだろう。彼女らの長きにわたる葛藤や試行錯誤の結晶として、あれらのファッションやライフスタイルはあるのだ。

 「自分をみじめに見せないことは、何より他人の魂のために重要だ」(三島由紀夫)
   

2018年12月16日日曜日

ボヘミアン・ラプソディ


 世界中でヒット中のクイーンの伝記映画。

 一切の前情報なしで観に行ったが、かなりよかった。伝説のロックバンドであるクイーンの1973年のデビューから1985年のバンドエイドでのライブに至るまでの軌跡を描く。

 物語としては、主人公でバンドのメインボーカルであるフレディ・マーキュリーの青年時代が核になっている。インド系移民という出自、同性愛、放蕩と乱交、HIV、驕り、孤独…etc. 彼の人生は様々な文脈においてのマイノリティーの典型が重複しており、苦しみながらも創造的に生きようとする物語はまさしくボヘミアン(世間からのはぐれ者)のラプソディ(自由な形式の叙事詩)というほかない。

 フレディの、その破滅的な耽美主義の傾向はビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンリンキン・パークのチェスター・ベニントンの系譜に連なる。苦痛に満ちた彼の人生は、音楽によって救われていた。生前には彼のセクシュアリティやHIV罹患は公表されておらず、当時は謎に包まれていた妖しげな輝きの正体を解き明かしたような映画だ。控えめだが強い芯を持つブライアン・メイらとのチームケミストリーがいい。

 バンドっていいよね、と思える映画の最高峰だろう。
    

2018年11月22日木曜日

コービー・ブライアント 失う勇気


 2016年に引退したコービー・ブライアントの伝記。20年に渡ってバスケットボール界の頂点に君臨し、栄光とバッシングを浴び続け、「NBAで最も好き嫌いの分かれる選手」とも評された男の人生。彼はどんな環境に生まれ、どのように生きてきたのか。ベテラン記者の周到な取材によって明かされる。

 記録は彼の出生前、NBA選手であった父親 ”ジェリービーン” ジョー・ブライアントとの因縁まで遡って描かれる。愛情と規律のある家庭環境、フィラデルフィアでの少年時代、イタリアでの日々、頭角を現した高校時代を経て、17歳でNBA入りしてからの苦難と栄光、そして、2016年に37歳で迎えた伝説の引退試合に続く軌跡。

 読んでわかるのは、コービー自身はバスケットボールにひたむきに取り組んだ真っ直ぐな男だということ。尽きることない向上心と凄まじい練習量によって培われたバスケットボールの能力が開花する一方で、家族やチームメートなど周囲との軋轢が生まれ、コマーシャリズムが絡み、人生が複雑になっていく。ピュアな情熱が、現実社会の有象無象の欲望によって汚されていく感じ。だが私生活がボロボロでも、コート上でのバスケットボールに彼は救われていた。そしてそんな彼のプレーは、観るものにも多くのものを与えた。

 分厚い本だがなかなかいい読書体験だった。日本語版の副題はドンマイ。
   

2018年11月21日水曜日

さくらん


 安野モヨコの江戸時代の遊郭の漫画。既刊1巻。連載は2003年頃。

 The 女の感性、という作品である。時代考証はしっかりしている(と思う)。同作者の他の作品にも見られる痩身、反骨心、性行動を特徴とする女性像の表現には病理を感じる。椎名林檎の作品の世界観に通じるものがある。不全感を溜め込む20代~30代の女性にニーズがありそうだ。欲求不満の女性性の代償。

 人間全般への造詣を深めるための教材として、読んでおいて損はないだろう。女性の心情の機微よ。
   

2018年10月30日火曜日

夕凪の街 桜の国


 『この世界の片隅に』の前作。掌編二つ入り。
 連載は2003年から2004年。全1巻。

 夕凪の街
 広島の原爆投下の後の話。市井の人々の何気ない日常が描かれるが、やがて後遺症が…という話。娯楽作品としての構成云々というよりも、作者が伝えたかった現実をあるがままに描いた感がある。

 桜の国
 夕凪の街の続編。広島の原爆投下後、2世代ほどあとの人々の話。時系列的な意味で爆心地(グラウンドゼロ)から遠く離れても、人それぞれに傷跡は残る。そのような心的外傷にいかに折り合いをつけて生きるか、という話だと思う。プロットが複雑で解説の要素も少なく、初読ではよくストーリーが掴めなかった。構成を理解すると、いい話だと思えた。戦争の悲劇と、人間の内面の強さによる克服。それらが生む情感が、作者の創作意欲の核の部分にあるものらしい。

 悲しみがあり、愛がある。はだしのゲンより、小学校に置くならこっちでしょう。
   

この世界の片隅に(原作)


 大ヒットしたあの映画の原作漫画。連載は2007年1月から2009年1月。単行本は全3巻。

 映画同様、戦時を生きた市井の人々の生活のディテールに徹底的にこだわり抜いており、もはや歴史的史料の趣きがある。そして、映画は原作に忠実に映像化しようと試みていたのがわかる。色街のりんちゃんの話も、原作ではもう少し詳しく出てくる(…が読者の想像に委ねられる部分が多い)。

 時代考証へのこだわりは、作者こうの史代の出自に関わる部分の影響が大きいようだ。前作『夕凪の街 桜の国』のあとがきに詳しいが、作者は広島生まれ広島育ち。だが親類の被曝など直接の関連がないこともあり、原爆投下の歴史的な意味から目を背け続けて生きたきたことに後ろめたさのようなものがあったらしい。その問題意識や使命感が、当時の生活を再現し、記録し、伝えようとする創作の動機の源泉となったと思われる。

 そんな制作背景を知らずとも、素晴らしい漫画である。
 はだしのゲンじゃなくてこれを小学校におけや、というのが私の主な感想である。(最近はどうなんだ)

   

2018年10月6日土曜日

重力と呼吸


 ミスチル4年ぶりのニューアルバム。10曲。48分。

 これは「音」のアルバムだというのが最初の印象。作風としては『REFLECTION』を経て作られた『I LOVE U』という感じ。ギター、ベース、ドラムを押し出すロックなバンドサウンドが前作以上に強い。そして、音が複雑で、言葉の比重が少ない。背景にあるマインドは「別にもう、いいこととか言おうと思っていない」という達観に思える。

 表現者としての姿勢は、なんというか、ひねくれている。世間のマジョリティーが求めるミスチルを否定するような、安直な理解を拒むような、衝動性と生理感覚を優先した複雑な音像を追求している。公開されているロングインタビュー(これ)でも桜井和寿が隠さずに話しているが、態度として尖っているのである。収録曲は10曲と少なめで、発売前から公開していた”お伽話”、”こころ”、ドラマとタイアップしていた”ヒカリノアトリエ”を外してくるあたり、意図があって厳選し、大胆に削ぎ落とした感がある。

 初めて聴いたときは#3 SINGLESが至高と思ったが、聴けば聴くほど#1 Your Song、#10 皮膚呼吸”が強い。途中で登場する#4 here comes my love、#9 himawariも味わい深い。音が複雑だが、聴き込むほどに味わいを楽しめる作りになっている。重厚だ。そして、聴き込める幸せよ。
   

2018年9月24日月曜日

U.S.A.


 2018年に再ブレイクを果たしているDA PUMPの新曲。

 宴会の余興のために踊りの練習をしていたが、多幸感が凄かった。サビ以外は一見とっつきにくくて難しいが、リズムに体の動きが合うようになるにつれ、脳髄の奥から快楽物質が溢れてくるようになる。連続で踊ると汗だくになりエクササイズにも最適。

 作品としては、狙った「ダサ格好よさ」こそが今の時代にマッチしているのだろう。90年代や、それ以前にあった世界への懐かしさを含め、かつて存在した大いなる輝きへの憧れ。かつてそれを体現し、その後の苦渋をも知ったであろうISSAが一生懸命に踊る姿は、その歴史を知れば知るほどに胸を打つ。

 小難しい理屈を超えた、ナンセンスで音楽的な生きる歓びがここにはある。
 多くの人が真似し、流行っているのも必然であろう。

   

2018年9月2日日曜日

犬の心臓・運命の卵


 ソヴィエト体制下で発禁処分となっていたロシア人作家ブルガーコフの掌編2つ。

『犬の心臓』
 権威ある大学教授である脳外科医が、野良犬に人間の脳下垂体(脳にある内分泌器官)と睾丸を移植したところ、犬は次第に人間のような姿に変化して言葉を話すようになり…という話。1920年代に執筆されたようだが検閲を受け発禁となり、作者の死後に出版された。

『運命の卵』
 権威ある科学者が、卵の孵化を促進する光線を発明したが、政府当局に目をつけられ装置を没収されてしまう。無教養な農夫がその光線を鶏の卵に使用して大量生産を目論むが…という話。1925年発表だが、1930年代後半に発禁処分となった。

 解説によると、いずれの作品も「実験の失敗」が描かれており、共産主義革命後のロシアの体制の批判する内容になっているらしい。両作品ともに、優秀な科学者の理想や暮らしをセンスのない下層民が出しゃばってきて滅茶苦茶にする、という雰囲気が通底している。この苦々しさは、ブルガーコフが革命後に感じていたことだろうし、ロシア中の知識階級が感じていたであろう共通の感慨であろうと思われる。壮大な社会実験である共産主義革命が失敗に終わるというのは20世紀後半に明らかになるわけだが、当時を生きる人々にとって救いのない状況であったことがよくわかる。

 ソ連時代のロシアの雰囲気を知る物語として、良質ではないかと。
   

2018年8月24日金曜日

この世界の片隅に


 文句なしの傑作なので、日本人は全員毎年8月に観た方がいい。

 この作品について言うべきことは大体これで全てなのだが、少々蛇足ながら解説を。太平洋戦争真っ只中の昭和10年から20年頃、広島県の広島市と呉市(軍港があった町)を舞台にした物語である。戦時を扱った作品は数あれど、市井の暮らしを丁寧に描いているあたりが新しい。風景や食べ物、人々の立ち居振る舞いや言葉遣いなど、徹底した取材に基づいて丹念に描き出すことで当時の空気感が再現されており、まさしく、細部に神が宿っている。

 主人公の北条すずはぼやーっとした地方の娘で、ほのぼのとした日常を生きているがゆえに、そこに降りかかる戦争の災禍の凄惨さが際立つ。きっと、圧倒的多数の普通の人にとっての戦争ってこういうものだったんだろう、という庶民の感覚を肌で感じることができる。

 アニメーション映画だから表現できた部分も多いのだろう。食事の描写など、長年日本で育まれてきた作画表現の技術が結晶し、この作品に繋がったと考えると味わい深い。説教臭さや反戦メッセージなどの臭みはなく、必要な部分を過不足なく仕上げているのがいいセンス。海外での評価も高いらしい。

 世界中の人にぜひ観て欲しいと思う。素晴らしい作品。  
   

2018年8月19日日曜日

ホーリーランド


子供世界と大人世界の間(はざま) 
そこにホーリーランドは存在する 
甘やかな法と暴力のリアルが支配する 
隔絶された世界 
その世界にーー彼はいた 
神代ユウ 
彼は確かにそこにいた

 いじめられっ子がストリートファイターになる話である。2000年から2008年連載。全18巻。主人公の神代ユウは15歳の高校1年生。引きこもった部屋で偏執的なほどに繰り返し習得した強力なワンツーを手掛かりに、街のアンダーグラウンドな世界でのしあがっていく。

 まず何より、作者の体験に基づくという格闘技の解説・描写がアツい。柔道、空手、レスリング、ボクシング…様々な武術を得意とする路上の格闘家が現れ、主人公のユウが戦いながら成長していく。武術の理論的解説が充実し、格闘シーンの迫真の描写でぐいぐい読ませる。『刃牙』よりもリアリティが高い。

 そして実存主義的なテーマ。『自殺島』と同じ作者が描く、私の最も好きな「不適応者が掴む適応の物語」である。学校という場所で激しい「いじめ」を受け(この平仮名表記のもつ欺瞞、卑劣さ、残酷さ)、存在を否定され、自分の居場所を失った少年の戦い。路上の喧嘩という現実世界における勝ち負け以上の、観念的な、自己救済のための必然性がそこにある。『ファイトクラブ』『マルドゥックスクランブル』に通じる、身体性な闘争を通した自己存在の回復といおうか。血を流し、人を傷つけ、リスクを負わなければ手に入れられない人間として大切なものがそこにはある。

 手に取り始めると止まらずに一気読み。こういう漫画を読んで生きていたい。
   

2018年8月7日火曜日

ヒカルの碁


 全23巻。碁の漫画。連載は1999年~2003年。

 久しぶりに読み返したが、これは最高だった。当初、碁に特別興味があるわけでもないどこにでもいるような小学生(進藤ヒカル)に碁の化身のような亡霊(藤原佐為)が取り憑くというイロモノの設定から始まるが、話が進むに連れ、骨太の成長物語がメインとなってグイグイ読ませる。主人公のヒカルだけではなく、碁に様々な形で関わる人々の多種多様な生き様が描かれ、真剣勝負を通して儚くも美しく命を燃やす棋士たちの群像劇としても味わい深い。

 30を過ぎた今読むと、10代の頃に読むのと違った味わい。まだ普及が進んでいなかった頃のインターネットでの対戦など、2000年頃の時代の空気を味わえるのも良い。今は真剣に何かに打ち込むのが難しい時代になったように思う。人々は何かに熱くなれるだろうか。
   

2018年8月4日土曜日

タクシードライバー


 ロバート・デニーロ主演、マーティン・スコセッシ監督の1976年映画。

 20歳くらいの頃に初めて観たときにはよくわからなかったが、この年になって改めて観ると、前よりも内容を理解することができた。これは心が壊れてしまった人間の物語であり、主人公のトラヴィスの不眠症や、他者と話すときに生じる奇妙な間、冗談や感情の機微を共有できないラポール(疎通性)のなさが、すでに機能不全に至った精神のありようを表している。女性や同僚への振る舞いから察するに、もともとは悪い人ではないのに、人間性を喪失した亡霊のような存在となって男は都会の夜を彷徨い続ける。

 心的外傷の原因となった戦争の描写は全くないのに、行動や立ち居振る舞いに残るその痕跡のみを提示することで魂の暗部を描き出している。きっとそういう映画なんだろうと思う。
   

2018年8月2日木曜日

スパイダーマン


 サム・ライミ監督、トビー・マグワイア主演の2002年作品。

 己の英語力を上げるために字幕なしの英語版で観たわけだが、言葉がわからなくても結構内容がわかるあたり、ある意味優秀な作品だと思った。アメコミの原作の風味を損なわぬよう、CGを用いて世界観を再現したという感がある(原作は読んだことないが)。スペクタクルな映像と共に、無駄な理屈があまりなく、大味で楽しい空気が2時間続く。

 ピザとコーラを片手に深く考えずに観るべき作品だと思った。アメリカンな娯楽よ。
    

2018年7月26日木曜日

混沌ホテル


 ザ・ベスト・オブ・コニー・ウィリスと銘打たれる短編集の前半。アメリカSF界の大御所であるネビュラ賞、ヒューゴー賞受賞作が並び、お笑い重視の作品を集めているとのこと。

 正直、コニー・ウィリスの作品に宿る知的でユーモラスな雰囲気や愛のある辛辣さは好きなのだが、笑いのツボが自分に合っているとはいいがたい。複雑系の中で真実を探そうと奔走する登場人物の態度は好き。売れっ子霊媒師のインチキを暴く『インサイダー疑惑』、異星人の行動様式の解明を目指す『まれびとこぞりて』のような系統が読んでいて楽しい。異色の月経SF『女王様でも』も秀作ではある。

 知的興奮と愛のある物語を享受できる作品ではある。ちなみに同作者の個人的ベストは『航路』である。
   

2018年7月20日金曜日

戦の国


 冲方丁が描く連作短編集。2017年作品。戦国時代の桶狭間の戦いから江戸時代初期の大阪城夏の陣までの約55年を、6人の武将をメインに据えてそれぞれの視点から描く。登場するのは織田信長(覇舞踊)、上杉謙信(五宝の矛)、明智光秀(純白き鬼札)、大谷吉継(燃ゆる病葉)、小早川秀秋(真紅の米)、豊臣秀頼(黄金児)。

 それぞれ基本的な構成としては、主人公個人の歴史を描いたのちに人生最大の決戦の場面が描かれる。時代背景、置かれた状況、個人の心性や信念など、主人公の物語性を最大限に引き出したのちに命をかけた激しい戦に挑む流れは、結果を知っていても引き込まれて胸が熱くなる。娯楽作品として秀逸である。

 電子書籍で読んだが、販促用に無料で入手できる解説記事も含め、非常によかった。自分の心の成分として、冲方丁の視点が生きているのだと実感した。実存主義的な、人の世の理と個人の限界を受け入れた上でのポジティブな姿勢。命を使い尽くして生きていきたいという気持ち。そういう作者の理想の断片が、各作品の主人公たちに宿っている。いつかまた読みたい。
   

2018年7月19日木曜日

6年目


 「世界一の精神科医って、どんなだと思う?」

 目の前に現れた相手のストーリーを適切に読み解き、最も必要なものを選択できる。必要な言葉。必要な薬。必要な環境調整。その選択のために、長年にわたる医学教育の過程があり、膨大な研究報告があり、日々積み重ねられる臨床現場における試行錯誤がある。生物学的なストーリー、心理モデルに基づく解釈、社会的・歴史的な文脈における位置付け。多面的で複合的な、不定形で予測し難い、完全に理解するのが困難な人間という存在の物語の読解。私の目の前に現れたあなたは、どんな道を通って、どんな風な経験を経て、どのような状態に至ったのか。あなたの人生の物語。その読解と解釈。物語を理解する力。

 そのような力を求め、その体得のための手段を探し続けて辿り着いたのが、このブログだったような気がする。いい漫画や小説を読み、いい音楽を聴いて、いい映画を観て、その体験をシェアする。得た感覚や知識を言語化する鍛錬の場とする。適当でいい加減に、無理せずゆるゆると続いていく。偶然に物語と物語が繋がり、化学反応が生まれたりもする。当初の熱い志は時間とともに醒めても、習慣となって手や脳に染み付いた動きが、半自動的に物語の感想を生み出し続ける。

 最近とみに忙しくて、更新頻度が落ちているが、そういう時期が続くと良質な物語に触れたくなる。心の滋養になるような、人間の理解をいっそう深めるような。日常のふとした選択や思考の癖が、ミスチル冲方丁の影響を受けていることに気づかされることがよくある。「ああ、あのときのあれだな…」と、『スラムドッグ$ミリオネア』的な感じでデシジョンメイキングすることがよくある。なんとなくの、言語化以前の識閾下での選択の精度をあげるために、これまでに読んだ物語が一役買っているとなんとなく確信している。

 世界一の精神科医は、最強の読解力を持っている。あらゆる物語を読み解き、適切な介入手段を選択し、目の前の相手に救いを与えることができる。そんなヒーロー像を昔から漠然と抱いていて、なんとなくいつもそういうものを目指している。そのために、もう少しこのブログも続けようと思っている。
    

2018年6月21日木曜日

クラッシュ


 感想:『マグノリア』・『スリービルボード』系だ…。

 『ミリオンダラーベイビー』を書いたポール・ハギス初監督の2003年作品。2002年頃のロサンゼルスを舞台に、憎しみが満ちた空気の中で暮らす人々の愛憎を描く群像劇である。アカデミー作品賞作品ということで期待して観たが、ジャンルとして確立されつつある様式だとつい頭で考えてしまい、素直に感動できなかったのも事実。質の高い作品ではあると思うのだが、もう少し新奇な要素が欲しくなるのは私の心がひねくれているのか。

 この手法を使えば『釧路』とか『室蘭』とか、そういう作品が量産できそうだ。
 憎しみは連鎖する。そして、赦しや愛も。
    

2018年6月14日木曜日

ハドソン川の奇跡


 実話に基づく2016年作品。
 クリント・イーストウッド監督。トム・ハンクス主演。

 舞台は「ハドソン川の奇跡」(The miracle of Hadson)として知られる2008年の飛行機の不時着事故のあとの世界。主人公サレンバーグ(原題:Sullyは彼のニックネーム)は1人の犠牲者も出さずに大型旅客機の着水を成功させたパイロットとして、その判断と技術に対し世界中のメディアから称賛を受けていた。だが一方で、川への着水を選んだ判断の正当性について事故の調査委員会の厳しい追及が続いていた。彼は喧騒と追及の日々の中で「あの判断は本当に正しかったのか?」という苦悩に苛まれ続ける。

 本作のテーマは「英雄の条件」だろうか。どのような人物が真に英雄として讃えられるべきか。静かに男を張るヒーローのダンディズム。一貫してイーストウッドが描こうと求め続ける英雄(ヒーロー)の像が示されている。DVD特典のドキュメンタリーを観ると、いっそう理解が深まってよい。幼少期からのサレンバーグの生き様を通して知ることで、緊急時の判断が決して偶然の産物ではないことがわかる。

 これはかなりよくて、生涯のベストムービーのリストに入れたい。題材の選択、潔い構成、飽きさせない展開、程よい表現の抑制、などイーストウッドのセンスがいい感じに出ている作品だと思う。こういう映画を観て生きていきたい。
   

2018年5月20日日曜日

The Indifference Engine


 伊藤計劃の死後に出版された短編集。2012年初出。

 『虐殺器官』のスピンオフである表題作、草稿段階の『Heavenscape』あたりは期待通り。短編漫画の『女王陛下の所有物』、『From the Nothing, With Love』あたりは007シリーズオタクにはたまらないと思われるが、予備知識がないと初読での理解は難しい。ただし、特に後者については定型化された行動パターンと意識についての切れ味鋭い洞察が敷衍されており、これぞSF文学、という感じがして読んでいて非常に楽しい。『解説』は円城塔(個人的に好きじゃない)とのコラボだが、文学としての極北という感があり、難解すぎて理解を諦めた。

 良くも悪くも、伊藤計劃ワールドの全体像を楽しめる作品群。数をこなして読むと、登場人物に仮託された作者の潜在的な願望や理想像が見えてきて、興が醒めてしまうのはどの作家も同じか。過剰なハードボイルドとニヒルさよ。彼が生きていたら、この後、どんな言葉を紡いだだろうか。その行き着く先が見られなかったのは残念。
   
       

2018年5月19日土曜日

監督不行届


 安野モヨコと庵野秀明の新婚生活の話。2005年作品。

 シンゴジラを観てから庵野秀明について調べ始め、ここに辿り着いた。エヴァで一世を風靡し、オタク界の頂点を極めた生粋のオタクである男の私生活の様子がよくわかる。妻の安野モヨコも大御所の漫画家であるが、「現実の女」感という特異な属性を持っており、その化学反応が見ていて楽しい。

 両者とも人としては濃いめで面白い人たちであることは疑いないが、ギャグタッチで描いても隠しきれないダメな部分も垣間見える。そのへんも含め、共通の話題でつながりつつも互いに欠けたものを補い合って支え合うことができるいい夫婦なのかな、と思う。

 人の心のお勉強に是非。
   

2018年5月11日金曜日

ステーキ・レボリューション


 その3。
 フランス人の映画監督が世界中のうまいステーキを求めて食べ歩くドキュメンタリー映画。2017年作品(たぶん)。

 全体としてフランス人らしいセンスで過剰な演出を排しつつ、焼いた肉を美味しく食べるという原始的な喜びを追体験できる楽しい映画だった。和牛の遺伝子を不当な手段で手に入れた奴がのうのうと登場しているあたりかなり腹立たしかったが。日本で品種改良したいちごの話を思い出した。

 深く考えずに移動中に観るドキュメンタリーとしては上質な部類に入る。
   

M★A★S★H


 飛行機で観た映画その2。
 朝鮮戦争の米軍の野戦病院が舞台の1970年アメリカ作品。

 これは面白かった。基本的には戦地という極限状況におけるブラックコメディである。ホットリップス(婦長)の扱いなど、やってることがひどすぎるあたり村上龍のsixty-nineを彷彿とさせるが、当時はこういうのが流行っていたということだろう(体制側の人間は徹底的に人格否定をしていいという風潮)。加えて、日本文化への誤った理解などのツッコミどころは多い。それでも、軍医としての職務を果たしつつ、日常では人として完全に逸脱して羽目を外しまくっている主人公たちの雰囲気には、なんともいえない格好よさがある。

 毒を含んだ笑いともに、人間性の回復についての警句的なメッセージがある。個人的にかなり好きな映画にランクイン。
   

探偵はBARにいる


 札幌・すすきのが舞台の2011年映画。
 国際便の飛行機で観るためにチョイス。

 まず、散りばめられた北海道の小ネタが嬉しい。ストーリーについては良質な大衆娯楽という感じ。適度な笑いとセックス&バイオレンスを織り交ぜつつ、大泉洋や松田龍平ら円熟の俳優陣の安定した演技とともにミステリーと活劇が展開していく。既視感のある昭和のサスペンスドラマの要素を集めた感があるが、それを今改めて映画でやると新しい感じがした。懐かしいのに新鮮、という不思議な感覚が得られた。

 深く考えずに楽しみたくて選んだ映画だが、これは当たり。続編も観たい。
   

2018年4月30日月曜日

ボブ・マーリー/ルーツ・オブ・レジェンド


 iTunesストアで100円セールをやっていたため、何とはなしにレンタルして観たが、思いのほかよくて見入ってしまった。レゲエミュージックの祖、ボブ•マーリーの伝記映画。2012年作品。

 ボブ・マーリーはジャマイカの山村の出身。白人と黒人との混血であるために幼少期から迫害を受け、音楽に救いを見出して育った。10代後半でジャマイカの首都キングストンの貧困層の集落(トレンチタウン)に移り、仲間たちと音楽活動に取り組んだ。やがて、新たな音楽のスタイルであるレゲエを生み出し、世界に向けてメッセージを放ち、熱狂を与えた。そして、世界中をツアーで巡っていた人気絶頂のさなかに悪性腫瘍のために36歳の若さで早逝したことで、その存在は伝説となった。

 彼が信奉したラスタの思想は土着の宗教にしばしば見られる非論理的で神秘主義的な匂いが強いが、本作品で映像と共に彼の生活史を追うと、そこにもまたが必然性があるのがわかる。無学な彼の振る舞いやメッセージに宿る魅力は、身体感覚と生活感に根ざす反知性主義の本懐という感じがする。超越者への帰依と信仰、性的放埓、音楽的な官能への没頭、苦しみの生を生き、衆生に救済への道を説く、など、宗教的カリスマの類型にしばしば見られる要素が揃っている。

 彼の佇まいには、何かエルネスト•ゲバラに近いものを感じる。物静かで、情熱を秘め、勇気を持って戦い続ける。そして、底には深い愛がある。生きることの悲しみを芸術に昇華し、誰かのための光にする。普遍の価値ある生を生き抜いた個体と言えるだろう。本作品はそんな偉大な魂の記録といえよう。
   

2018年4月22日日曜日

イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密


 第二次大戦中の暗号解読戦を描いた2014年作品。

 『クリプトノミコン』で読んだのでアラン・チューリングのことは知っていた。アスペと同性愛者を取り扱っているあたり、今の映画という感がある。というか、歴史的な題材をマイノリティー擁護に血道を上げる思想運動家に利用された感が否めない気がして、興ざめした部分もあることは告白しておく。

 そのへんはさておき、理系頭脳による暗号解読の戦いは熱い。きっと説明を読んでも数学的な内容はほとんど理解できず、映画でも暗号の理論についてはほとんど描いてはいないが、その雰囲気が伝わるだけでなんだか楽しい。本作品ではそんな頭脳戦の雰囲気を軸に、学童時代の記憶、性的マイノリティーの葛藤、妻との関係、仕事仲間、など、ドラマ要素がほどよく盛り込まれる。

 それなりに楽しく観られたが、全体として、配給会社の公開当初のプロモーションの勢いや受賞歴の割に、あまり新鮮味のない作品であるという気がする。邦題タイトルが中学生向けな感じなのも残念。
    

2018年4月21日土曜日

ドラゴン桜2



 既刊1巻だが、読んでみたら面白かった。

 前作、『ドラゴン桜』は学力的に落ちこぼれた高校生二人が東大合格に挑むという大学受験の漫画だった。2003年から2007年の連載で、私が読んだのは大学に合格したあとだったが、受験前に読んでいたら浪人しなかっただろうな、と悔しく思った。実際、大学の後輩が前作を読んで現役で医学部に合格したと言っていたので、書いてある内容はだいたい正しかったと思う。

 本作は前作から10年たち、時代状況が変わった2017年時点での大学受験のメソッドを伝授する指南書である。大学受験の勝者はみな知っていることだが、受験勉強を通して人生の多くの場面で通用する方法論や思考様式が養われるため、本作を通じて得られる学びは、大学受験にとどまらず、社会で生きる上で直面する多くの問題に立ち向かうのに有益であろう。本作では、スマートフォンで使えるアプリを推奨したり、(原作者・三田紀房による味のある)作画を他の人に書いてもらったりするなど、要領を追求して機能性を目指しているあたり、非常に今っぽくて適応的な匂いがする。

 私は将来『クラス一貧乏な家に生まれて医者になる話』を書きたいと考えているので、その参考にもしたいと思っている。大学受験は人生が変わる熱い戦いであると思う。続きに期待。
   

2018年4月7日土曜日

シン・ゴジラ


 伊藤計劃が観たら、なんと書いただろうか。
 前から気になっていて、やっと観ることができた2016年作品。

 全体の方向性として、国における非常事態という「状況」がメインに描かれる。全編を通して、日本の官邸における官僚らの有事への対応がメインであり、登場人物の会話の随所に、『パトレイバー2』などにみられる押井守系のエッセンス(冷静で理知的な衒学)が色濃く見られる。それに加え、本ブログ筆者には解読できなかったが、軍事的、科学的なオタク知識と遊び心が目一杯詰め込まれているらしい(監督・庵野秀明はオタク界の頂点にいる男だ)。そんなわけで内容は、オタクの楽園、という風情がある。

 あとは、震災の影響が全面に出ている。非常緊急事態に対応する国家の混乱や、市民生活への脅威、放射能による汚染を描くシーンの撮り方や、それらに対する作中での台詞が、2011年の東日本大震災と重なる。震災の5年後という公開のタイミング、今改めて『ゴジラ』を作る意味、それらが符合した必然性を感じる。本作の制作および公開は、日本人があの震災の意味を捉え直し、乗り越えるために必要なためのプロセスだったのではないかとさえ思える。祖国や日本人全体に対する、製作陣の祈りや愛のようなものを感じる。

 作品の根底にあるのは自衛隊や官僚ら、古き良き日本の職業人への讃歌だろうか。昨今、幅を利かせがちな、ちゃらついた、うわついた層ではなく、誇りや責任感を胸に、人知れず寡黙に責務を果たす、職業倫理と侠気を持った燻し銀なプロフェッショナルが活躍する作品である。
 
 そのへんをもろもろ含みつつ、エンターテイメントとして結実し、収入を上げた大変優秀な作品ということだろう。あっぱれだ。
  

2018年4月5日木曜日

オアシス:スーパーソニック


 iTunesストアで音楽ドキュメンタリー特集をやっていたので観た2016年作品。1991年にマンチェスターでデビューしたロックバンドのオアシスがイギリス史上最速でミュージックシーンの頂点へと駆け上がり、伝説となった1996年のネブワースでの大規模ライブに至るまでの軌跡を追う。

 およそ常識の通用しない、酒とドラッグと喧嘩に明け暮れるリアムとノエルのギャラガー兄弟は反知性主義の王道を行く感じがして私は好きなんだが、なぜ彼らに何者にも代え難い魅力が宿るのか、それを考えるいい機会になった。まあなんというか、動物的本能のままに生きる彼らの姿を見ていると、世間を恐れ、守りに入り、文明やセコい計算に汚された自分の卑小さに気付かされるのだ。オアシスの面々が救いようのない馬鹿であることは疑いのないところだが、生命力溢れる悪童が楽しそうに遊ぶ姿を見て、何か感じ入るものがあるのはそのせいだろう。

 私が一番好きなのは『Whatever』のPVだが、それは入っていない。映像におさまっているシーンの8割方ふてくされているか悪態ついているかのリアムが奇跡的に調和してノッている瞬間があり、それが最強に格好いい。
   

2018年3月30日金曜日

賭博者


 ドストエフスキーの中期頃の小説作品。初出は1866年。原卓也訳の新潮文庫版を速読。

■要約:青年が働くドイツの町では皆がルーレットにはまって全財産をスッちまう。

■あらすじ
 25歳のロシア人の青年アレクセイが、ドイツの架空の町ルーレテンブルクの将軍家で家庭教師の仕事をしている。将軍家には借金があり、一族に遺産を当てこまれ頼みの綱だった死にかけの婆さんがやらかす。そんな状況下、青年が好きになった女のためにルーレットに熱狂し、浮かれ、最終的には身を滅ぼす。

■感想
 作者のドストエフスキー自身もルーレット狂いで、ヨーロッパで多額の借金を背負って返済のために小説を書いていたというのは知っていたが、本作の執筆の背景にあったエピソードのショボさにはなかなか味がある。人間臭さ、といえば可愛いもんだが、人としてかなりダメな方向に突っ走っていて好感が持てる。作中に登場する、現実主義で計算高いヒロインのポリーナは当時熱をあげてフラれた元恋人がモデルになっている。そんな女に振られてヤケになってギャンブルに狂って追い込まれた末に27日間で書き上げたのが本作である。
 酒、セックス、ギャンブルなど、ロシア人ってなんであんなリスクを恐れないんだろうか、と私はいつも考えるが、本作を読んでも特に答えは出ない。遺伝子の問題か、寒さのせいか、文化のせいか、歴史のせいか。そのへんは今後とも研究課題にしたいところであるが、なんか基本的に投げやりで自暴自棄な人たちなんじゃないかと思う。
 小説としてはひたすらくどくて読みづらい…が、後半の展開は面白い。カジノシーンは『マルドゥックスクランブル』の勝ち。
    

2018年3月23日金曜日


 綱淵謙錠の歴史小説。作者病没のため未完の作品である。初出は1996年。

 幕末の激動の時代の空気を膨大な歴史史料を豊富に参照しながら浮かび上がらせる歴史巨編である。主人公はフランス軍事顧問団の砲兵士官ブリュネ。画才があり、本作にも挿入されている彼の書いた行く先々の人や風景の精緻なスケッチが、繊細な感性と知性を感じさせる。メインのはずなのに出番がほとんどないが、その存在には圧倒的な魅力が宿る。

 じっくり精読するにはかなりハードだが、この重厚さの中にこそ宿る味わいがある。速読で飛ばした部分が多かったが、歳を取って幕末の物語の作品に多く触れてから読むとまた感慨深く味わえるかもしれない。贅沢な娯楽だ。
   

2018年3月9日金曜日

スリー・ビルボード


 いいらしい、と聞いたので前情報一切なしで映画館に観に行った作品。

 舞台はアメリカ中西部ミズーリ州の地方都市エビング(架空の町らしい)。場末という言葉がふさわしいこの町の、閑散とした郊外の道沿いに立っている3つの広告用看板が本作のタイトルになる。主人公の初老の女は、ある日、その看板に7ヶ月前の事件に関連したショッキングな内容の広告を出す。その挑発的な内容が町中で物議を醸し……という話である。

 興をそがないように筋を説明するのが難しい話であるが、全体として、尊厳を踏みにじられ、くたびれ、鬱屈した人間たちの醜悪な振る舞いが描かれる。彼らの多くは下品な言葉で悪態をつき、見下し合い、互いに傷つけあって生きている。憎しみは連鎖し、誰かに傷つけられた人間が、他の誰かを傷つける。舞台設定の方向性は『ドッグヴィル』や『マグノリア』が近い。不完全で、弱くて、醜く争い、傷つけあう憐れな衆生の世界。

 そんなヘイトに満ちた地獄のような世界で自分は何をするか、という話であると思う。押し付けの強くないやり方で、人間の善性に訴えかける表現が多くみられる。確かに素晴らしかった。
   

2018年3月2日金曜日

マクベス


 シェクイスピア4大悲劇の一つ。小説の早読みの練習として。読んだのは福田恆存訳の新潮文庫版。初出は昭和44年(1969年)。原作は1606年頃に書かれた戯曲。以下ネタバレ注意。

あらすじ
 スコットランドの武将マクベスが実は王になりたいと思っていて、荒野で出会った魔女3人の予言と野心家の妻の勧めにより、野望を実行に移す。王ダンカンを自分の城で暗殺し、マクベスは王位を奪う。しかし、手に入れた王位を失うことの不安から、マクベスは疑心暗鬼になって周囲の人を殺しまくり、最終的にはイングランド軍に討ち込まれて死ぬ。

おさえておきたい名言
「きれいはきたない、きたないはきれい」
Fair is foul, and foul is fair.
  第1幕第1場 冒頭の魔女の台詞

「消えろ、消えろ、つかの間の燈し火(ともしび)! 人の生涯は動きまわる影にすぎぬ。あわれな役者だ、ほんの自分の出場のときだけ、舞台の上で、みえを切ったり、喚いたり、そしてとどのつまりは消えてなくなる。白痴のおしゃべり同然、がやがやわやわや、すさまじいばかり、何の取りとめもありはせぬ」
Out, out, brief candle!  Life’s but a walking shadow, a poor player. That struts and frets his hour upon the stage,And then is heard no more. It is a tale told by an idiot, full of sound and fury, Signifying nothing.
(第5幕第5場、妻の死の報を聞いたマクベスの台詞)

感想
 王位簒奪と疑心暗鬼と破滅の物語。それは戦記ものやマフィア映画など、後世の多くの作品に影響を与えた偉大な古典作品ではあるとは思う。だが、何の予備知識もない現代の日本人が初読で文庫版の小説を読んで楽しめるとは思えない。ゲーテの作品同様、表現がいちいちくどく、作者が自己陶酔している感が鼻につく。ただ、教養として知識を持っておくと何かと役立つので、大雑把に筋を理解しておくのがいいと思われる。興味を持った人が、じっくり精読すればよい。
   

2018年2月28日水曜日

「空気」の研究


 山本七平著、初出は昭和52年(1977年)、日本人の思考および行動に強く束縛を与える『空気』に関する論考の書である。佐藤優が薦めていたので昔買ったものを再読。

 私個人の考えだが、人を動かすのは「論理」と「空気」であると思う。「論理」は学校の勉強の延長上にあるものであり、合理的に説明可能な情報の連結、といえようか。しかし、「論理」の力で一生懸命説明しても世の中の大部分の人は動かない。正当な根拠に基づき論理的な説明をしているにも関わらず相手の良好な反応を得られないために憤慨したり落胆したりする、というのが、勉強が得意な人達が社会に出てしばしば陥りがちな敗北や挫折のパターンである。特に日本においては。

 そこで「空気」の話である。太平洋戦争の時に日本軍が沖縄への無謀な特攻出撃で戦艦大和を失ったことについて当時の司令長官が述懐し、「(あの会議室の空気では)ああせざるを得なかった」と語ったエピソードが紹介されている。今考えると(当時としても)作戦はあまりに無謀であり、一言でいうとただのバカである。しかし、そのバカのせいで数千人単位の死者を出したり、戦局が大きく劣勢に傾き日本が敗戦国になったりするわけだが、賢い人達がなぜバカな判断をするのか、という不思議な現象の仕組みを、本書では豊富な具体例を提示し、作者の宗教・歴史・社会学などの潤沢な知識を駆使して論考している。

 結論としては「空気」の存在に気付き、その性質、特に影響力と対処法を理解することが社会生活においてうまくやっていく秘訣であろう、ということ。ノリや雰囲気などが大事なのである。おそらく、電通や糸井重里あたりはそういう戦いをしている。
   

2018年2月22日木曜日

ハーモニー


 健康的な生を強制されるディストピアを描く伊藤計劃の長編小説。2008年作品。

 舞台は2070年。21世紀の初頭に起きた〈大災禍〉(ザ・メイルストロム)という人間同士が大規模に殺し合った暗黒期(おそらく『虐殺器官』と関連)を経て訪れた世界が描かれる。”生命主義”と呼ばれる思想に基づき、互いの生命を最大限に尊重しようとする空気が世界を覆っている。そこで人々は血管内に取り込まれた医療分子(メディモル)により構築された”WatchMe”というシステムにより健康状態を監視され、嗜好品の摂取や偏食など、肉体に危害を及ぼす恐れのある行為を禁じられている。日常生活においても精神衛生に害を及ぼす過剰な刺激な取り除かれ、メディアや学校や家庭での会話には耳あたりのいい言葉が溢れる。そして、そんな「優しい世界」に息苦しさを感じた少女たち3人がこの小説の主人公である。

 その息苦しさをなんと説明すればいいかと考え、ふと思いついたのが、最近、オリンピックの選手が試合後のインタビューで「応援してくれた人々への感謝」しか話さなくなった現象についてである。一見、謙虚で対他配慮に満ちた優しい世界の構成員として模範的な発言ではあるが、その実態は、たぶん、感謝を述べないと袋叩きにあうという世間の空気を表しているのだと思う。善意の皮を被った精神と行動の支配。一見もっともらしい正論で個人の自由を奪う世界の息苦しさ。本作が描いているのはそういう世界の究極形であるように思う。そして実際、現実社会も着実にそんなディストピアに近づいていると思う(ネット炎上のクソさよ)。

 もう一つ、作品の背景として、作者が骨の悪性腫瘍で入院中に一気に書き上げた作品であるという事実が、作品に宿る身体性へのリアリズムを裏打ちしている。化学療法の副作用に苦しみ、肺を切除し、足を切断し、身体的な要素にセンシティブにならずにはいられなかったであろう、と推察できる。その心境はいかなるものか……。ネット上に残されたウェブ日記などを読みながら、私はしばしば考える。

 作者生前の最後の作品となった本作には、透徹した理系の視点と遊び心が詰まっている。ぜひ一読を勧めたい。