2016年11月27日日曜日

甘い生活


 イタリアの伊達男が美人をコマし享楽的に生きる話。
 1960年作品。監督はフェデリコ・フェリーニ。

 予備知識なしで観ると展開は意味不明で、3時間の長尺はしんどかった。だが、楽しむべきポイントは幾つかある。まずは主演俳優(マルチェロ・マストロヤンニ)の佇まいがクール。落ち着きと余裕を漂わせるダンディズム。イタリアクラシコなジャケットやシャツの洗練された着こなしも格好いい。女優では瀟洒なマッダリーノ(アヌーク・エーメ)、ウエイトレスの素朴な美人が2大巨頭。古き良きイタリアのロマンスが散発し、原初的な生きる歓びの風味を味わえる。

 ストーリーについては、wikipediaによると「1950年代後半のローマの豪奢で退廃的な上流階級の生態、その場限りの乱痴気騒ぎやアバンチュール、社会を生きる上で指針やモラルを失った現代人の不毛な生き方を、マルチェロの退廃的な生活を通じて描く」ということだが、ネット上の解説サイトを読むと、根源的な虚無を抱えた男が享楽に耽る、という主題があるらしい。ヘミングウェイフィッツジェラルドと同心円。男には虚無に至り、享楽や耽美で退屈を慰撫する時期が訪れる、というのは普遍的な現象なんだろう。

 沢山観るとお洒落な人になれる。そういう種類の映画かと。
   

2016年11月24日木曜日

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ


 男には『くも漫。』なら、女にはこれだろう。己の生き恥をエンターテイメントな人生の指南書に昇華したエッセイ漫画その2。

 28歳時点での作者の回想が綴られるが、摂食障害や非定型うつ病の当事者の世界観といおうか、メンヘラ女子の内面世界の生理感覚といおうか、外部から観察するだけでは分からない心理状態の描写が多い。根源的な不安と性的な身体接触の渇望には親和性がある(筆者個人はオキシトシンの分泌の問題だと思う)。

 たぶん、読む前に期待するエロい描写よりも、社会不適合で情緒不安定な若年女性の心理描写がメイン、というのは前評判の通り。そこに価値を見出せる人であれば楽しめるだろう。自己嫌悪と希死念慮を抱えた作者に生きることを選ばせたものが何だったか。そういうのを考えるのが好きな人には。

 エロに目覚めることが個人としての精神的な自立に繋がる、というのは何故なのか。映画『カッコーの巣の上で』を観た時も考えたが、そこには普遍的な真理があるように思う。世間や親や学校に押し付けられるもんじゃなく、自分の内側から芽生える歓び。自発性、身体性、関係性。そういうのが大事なのだ、きっと。
   

くも漫。


 29歳の元ニートの作者が臨時採用の教員となり、大晦日にはるばる挑んだ札幌ススキノの性風俗店でくも膜下出血を発症して救急搬送され、闘病する話。

 あらすじを読むだけで「oh…」と心の中で悲痛な叫びが上がるほどの切なさ。生き恥の極地であり、もう何と言ってやればいいかわからないくらいの残念さだが、主人公(兼作者)の残念なキモさと共に、周囲の人々と織りなす何ともいえない温かみがある。

 同じ疾患でも妻目線でほっこり温かい『日々コウジ中』の対極にある…と見せて同一線上にあるというか、違った切り口で当時者の人生の真実が見える。教科書や実習だけでは学べないTIPSが沢山詰まっているので、医療関係者はいっぺん読んでおいた方がいいと思う。適切な医学的知識(主治医の解説付き)の記載があるのがニクい。

 個人的には「死んでしまいたいときには下を見ろ俺がいる。」というAV監督村西とおるの至言を思い出した。荒ぶる人生の海へと船出する若者達に是非とも勧めたい1冊である。

 これが人生だ。馬鹿野郎。
   

2016年11月23日水曜日

父と息子のフィルム・クラブ


 カナダの映画評論家である作者の息子が高校をドロップアウトし、学校教育を放棄する代わりにの週に3本映画を観て感想を語り合う…という3年間を過ごした記録。

 上映前には父親から作品についての解説があり、古今東西の映画の蘊蓄が個人的な思い入れたっぷりに語られ、観賞後の息子の反応に一喜一憂する。並行して、父と子それぞれの実生活の中で、性愛、職探し、自己実現など、生々しい現実の問題に直面し、葛藤したり傷ついたりする様が感傷を交えて叙情的に綴られる。そうして子は成長し、父子の関係も成熟していく。

 個人的にはかなり好みで、今年のベスト候補。自分の子供が人生に行き詰まったら是非これをやりたい。週に3回、好きな映画を共に観て、語り合う。情緒教育として、文化的な教養として、家族の関係構築として、最上の手段の一つであるように思う。

 ちゃんと勉強して、映画を沢山観たくなる。愛が溢れている本。
   

2016年11月17日木曜日

ファイトクラブ


 かなり好きな映画。久しぶりに観返したので、感想など。

 ネタバレせずに説明するのが大変で、早い展開と複雑な構成を初見で理解するのが難しい映画でもある。大筋を言うと、不眠症で目が死んでいる企業勤めの男が刺激的な自由人(タイラー・ダーデン)に出逢って振り回される話、ってことになると思う。

 まず魅力は役者のオーラ。イカれた自由人のタイラー・ダーデンを演じるブラッド・ピットの雰囲気が映画史上最強レベルに格好いい。服装、肉体、語り口、表情、間、全ての調和が生み出すイカれっぷりが圧巻。そして、エドワード・ノートンが演じる主人公の情けなさと、豹変するキレっぷり。二人のコンビが最高にクール。

 内在するテーマもいい。1999年の作品でありながら2001年の9.11のテロを予見していたとしばしば評される本作のテーマは、人を非人間化するグローバルな資本主義社会へのアンチテーゼ。睾丸の喪失や血みどろの殴り合いで露骨に男性性の表象が強調され、精神的に去勢された現代社会の成人男性の鬱屈と発露の衝動を描く。そして、死と直面することで際立つ生の一回性、創造のための自己破壊、痛みを能動的に受け入れることで見える世界、など、末期資本主義社会の処方箋になりうる思想の断片が散りばめられている。

 全体の基調はデイヴィッド・フィンチャーの王道。抑えた色調と、強烈な風刺を込めたブラックコメディ。ダークな空気の中で人間の情けなさと愛おしさが際立つ。ラストシーンは坂口安吾の『白痴』が重なる。文明に汚された価値観の禊。

 なんとなく、トランプが大統領になった時代背景も作品のテーマに重なる。華やかな消費社会の下に堆積する、言語化されていない民衆の鬱屈と暴力的な衝動の予感。資本主義がやり過ぎるとこうなるという怖いお手本。そんな映画。
   

2016年11月14日月曜日

ミノタウロスの皿 藤子・F・不二雄[異色短編集]1


 去年読んだやつの1冊目。SF色の強いダークなネタ多し。

 『T・Mは絶対に』が一番面白いと思う。ネット上でも議論されているが、伏線が回収されるものかどうか結局分からず気になる。『オヤジ・ロック』はネタも構成も好き。『コロリ転げた木の根っ子』の人間の暗部の描き方も個人的に好み。

 最近の子供の娯楽にはこういう毒が足りないと思うので、娘には小学生くらいで読んでほしい。
    
   

2016年11月11日金曜日

禁じられた遊び


 1952年フランスの映画。戦争で両親を失った娘のグリーフケア(悲しみの処理)の話。

 第二次大戦下のフランス、ナチスドイツに侵略された戦火のパリから逃れる途中で両親が殺された娘は、独りで野をさまよい、やがて田舎町に辿り着く。そこで出逢った少年と飼い犬の亡骸を埋める墓場を作るようになり…という話。

 筆者はアメリカの一部の専門家が頑張り過ぎて世界中に定着した一様な心的外傷の型が嫌いなんだが(『クレイジーライクアメリカ』に詳しい)、これはそうした傲慢な綺麗事の押しつけのアンチテーゼになりうる作品だと思う。辛い目に遭った少女に本当に必要なのはこれだろうな、という視点の提供。

 子役の演技は完璧で、主題歌の切ないギターのアルペジオも美しい。
 これはかなりお気に入りの映画になった。
   


 戦乱の世を描く黒澤明の映画。1985年作品。

 ベースはシェイクスピアの『リア王』らしく、そこかしこに人生の不条理な悲劇の要素を感じる。老醜と孤独、業と因果、女の執念、親族間の骨肉の争いなど。が、そんなことより見所は映像美。CGがない時代に、なぜこんな画が撮れるのかと驚嘆。

 というわけで、馬、空、荒れ野、城跡などを観るべき映画。
 映像、プロット、演技など全体として、これは世界レベルだわ、と納得。

 あと一文字秀虎の診断は、高齢を準備因子、身体的衰弱を誘発因子としたせん妄。
   

2016年11月9日水曜日

ピダハン 「言語本能」を越える文化と世界観


 アマゾンに住む400人弱の少数民族ピダハンの言語と文化の話。

 ピダハン語には抽象言語が存在しない。だから、数がない、右と左の区別もない、色もない、神もいない、挨拶や感情表現の言葉もない。彼らは直接体験を重視し、言語表現は主に質問、宣言、命令に限られる。そんな言葉を操る彼らは人生全般の苦悩や葛藤とは無縁で、朗らかで、活発で、不安や慢性疲労やパニック障害に悩む人間は皆無だという。MIT(マサチューセッツ工科大学)の脳と認知科学の研究チームに「これまで出会ったなかで最も幸せそうな人々」と評されたりする。

 言語の構造は使用者の意識を規定するが、ピダハン語では語る者の「直接体験」が重視されることの影響が大きいように思える。禅の発想に近く、言葉にとらわれて原始的な生命の機能を損なっていない感じ、といおうか。読んでいて筆者は、パニック障害の生涯有病率は先進国で発展途上国の5倍近いという疫学調査を思い出した。

 ピダハン語の研究のために約30年にわたるフィールドワーク(ピダハンの村で実際に生活)の結果、キリスト教の宣教師だった著者も無神論者に転向してしまう。キリスト教の教義は抽象的で、罪悪感を植えつける社会装置であるという側面があり、ピダハン語が形成する文化社会とは馴染まなかったということだろう。

 魚を獲って、隣人と遊び、そのうち死ぬ。それだけで人生は素晴らしい。
   

2016年11月8日火曜日

ミッション:インポッシブル


 ここに来て初めて観た。1996年作。トムクルーズのスパイ映画。

 前情報一切なしの感想としては、英国007シリーズへのオマージュとして米国ハリウッドで制作したのかと思った。スパイ映画の王道の展開にアメリカンな要素が入っている。チームの絆とか、SFXの派手なアクションとか。

 で、調べてみると、アメリカのテレビドラマの『スパイ大作戦』(というのは日本語訳で、原題は MISSION:IMPOSSIBLE)の映画版らしい。そして、『スパイ大作戦』は1962年に初めて映画となった007シリーズを真似てアメリカで作られたシリーズっぽい(ネットで得た情報)。007は英国の諜報機関(MI6)のジェイムズ・ボンドの話、ミッションインポッシブルは米国の諜報機関(CIAの中にあるIMFというチーム)のイーサン・ハントの話。どっちも制作は米国。でも、お互い無関係。なんたる分かりづらさ。

 細かいことを気にしなければ楽しめる。まあ、いっぺん観とけばいいと思う。
   

2016年11月6日日曜日

魔法つかいプリキュア!奇跡の変身!キュアモフルン!


 娘とイオンシネマで観てきた劇場版である。
 プリキュアをじっくり観るのは初めてだが、なかなか発見が多かった。

 まずは商業主義が生み出した作品という印象が強い。『ドラゴンボール』や『セーラームーン』などで先人のクリエイター達が手探りで見つけた感動の黄金律みたいなものを抽出し、いいとこ取りで組み合わせている。そして、幼稚園児、小学生、父母世代、アニメオタクのおっさん、まで広くマーケティングして徹底的に研究し、消費者のツボを押さえる要素を丁寧に配置した優等生的作品という仕上がりになっている。魔法、少女、友情、慈悲、自己犠牲、他作品へのオマージュ、みたいな。路線は違うが制作者側の原理は『妖怪ウォッチ』に近いと思われる。

 結果としてどうなるかというと、展開はお約束の連続で読みやすく、もはや定型となった萌え要素や感動の記号に既視感が生じる。キラキラした可愛い雰囲気で豪華絢爛だが、なんともいいようのない空虚さや無機質さがある。優秀なAI(人工知能)に大ヒットするアニメを作れと命じたら、きっとこういう作品ができるんだろう、という感じ。

 などと筆者が考える横では、娘は夢中でモフルンライト(劇場特典)を振って楽しんでいた。娘とこのような作品を休日に楽しむという体験は、『ボウリング・フォー・コロンバイン』的な悲劇の対極にあるように思う。あざといコマーシャリズムが生み出す娯楽に満足できないとしても、蔓延するヘイトや戦争よりはよっぽどいいものではあるんだろう。
  
 P.S. キュアモフルンが可愛かった。
   

2016年11月3日木曜日

ボウリング・フォー・コロンバイン


 動画サイトで見つけて10年ぶりくらいに観た。1999年のコロンバイン高校銃乱射事件に材を得たマイケル・ムーア監督のドキュメンタリー。2003年作品。

 「どうしてアメリカでは大量の銃による殺人事件が起こるのか?」という問いの答えを求め、監督が自らアメリカと隣国のカナダを駆け回る。テロ事件の犯人の家族、町行く人、事件の被害者、アメリカ銃協会(NRA)の会長など、突撃インタビューで生の声を集め、真相に近づこうとする。

 しかし、映画の結論としては「よく分からん」。タイトルが暗に示しているのだが、アメリカで銃による殺人が突出して多いことの直接的な単一の原因は見つからない。とはいえ、監督の頭の中ではその原因はほぼアタリがついている。経済格差や人種差別が生み出すヘイト(憎しみ)やマスコミが植えつける恐怖、そこに銃器への容易なアクセス(手に入れやすさ)が加わると多くの銃犯罪が起きる。(編集による印象操作もあるらしいが)本作品はそれを明示しているように思える。

 凝縮した憎しみor恐怖or絶望+簡単に手に入る銃=犯罪。それが明白な答えに思えても、立証は難しい。無差別の大量殺人が起きるのはいつも、どこでも、似たような原理なのだと思う。
   
   

2016年11月2日水曜日

真実 新聞が警察に跪いた日


 新聞社と警察の腐敗を暴く元記者のノンフィクション。

 今年は警察の不正関係の本(参照 その1その2)を読むことが多かったが、これも中々。北海道新聞社(道新)の元記者らが中心となって2003年から2005年にかけて調査報道した北海道警察(道警)の裏金問題と、それに対する報復の話。

 警察、新聞社いずれの側も、個人を潰す組織の論理は残酷で、狡猾で、知るほどに暗澹とした気持ちになる。作者は「(組織人ではなく個人としての)悪人はどこにもいない」と考える場面があるが、本当にそうなのかもしれない。ここでも『ルシファー・エフェクト』、すなわち、個人が集団に帰属することで悪へと傾く普遍の原理が働く。役職と組織の名で加担者を没個性化して罪悪感を軽減し、集団への帰属を強化させ、傍観者は黙認する、ということ。

 たぶん、この本のようにありのままの事実を書籍化し、世間の日の目を当てさせる、というのが一つの正解なんだろう。組織の闇に巣食う嫌気性の怪物を倒すためには、光を照射すべきなんだろう。このような裏金作りや恫喝などの悪事は、インターネットの登場により露呈しやすくなったが、昔はやり放題だったんだろうなと思い知らされる。

 組織と戦う個人への教訓のテキストとして、本書は普遍の価値を持つだろう。
   

アンモラル・カスタマイズZ


 この仕事始めてから「自然体」がいかに不自然かがよくわかったぜ

・・・

 世の女性のオシャレを斜に構えて見る漫画。全1巻。
 
 月刊牛丼、週刊風俗大王などを出版するグリズリー出版(社員は全員男)が女性ファッション誌を創刊し、悪戦苦闘する話である。本ブログ筆者がcakesで連載中の作者カレー沢薫のコラム(ブス図鑑)を愛読しており、本業が気になったので買ってみた。

 全編を通し、『銀魂』のノリでオシャレな人達をディスる感じ。(たぶん)成人女性向けのギャグ漫画だが、筆者としては20代の女性が駆使するトリックに翻弄される男性諸氏に奨めたい。「ああ、そういう仕組みだったのか」と腹落ちを繰り返し、夢から醒め、諦観に至る。それがいいことなのか悪いことなのかはわからないが、深く成熟し、成人女性に対する透徹した視座を獲得できるだろう。峰なゆか『アラサーちゃん』と並び、心の専門家を目指す人に奨めていきたい。

 別件だが、同作者の 「”美人は三日で飽きるがブスは三日で慣れる” はブスが考えた言葉」という格言は圧倒的に含蓄が深いと思う。