アマゾンに住む400人弱の少数民族ピダハンの言語と文化の話。
ピダハン語には抽象言語が存在しない。だから、数がない、右と左の区別もない、色もない、神もいない、挨拶や感情表現の言葉もない。彼らは直接体験を重視し、言語表現は主に質問、宣言、命令に限られる。そんな言葉を操る彼らは人生全般の苦悩や葛藤とは無縁で、朗らかで、活発で、不安や慢性疲労やパニック障害に悩む人間は皆無だという。MIT(マサチューセッツ工科大学)の脳と認知科学の研究チームに「これまで出会ったなかで最も幸せそうな人々」と評されたりする。
言語の構造は使用者の意識を規定するが、ピダハン語では語る者の「直接体験」が重視されることの影響が大きいように思える。禅の発想に近く、言葉にとらわれて原始的な生命の機能を損なっていない感じ、といおうか。読んでいて筆者は、パニック障害の生涯有病率は先進国で発展途上国の5倍近いという疫学調査を思い出した。
ピダハン語の研究のために約30年にわたるフィールドワーク(ピダハンの村で実際に生活)の結果、キリスト教の宣教師だった著者も無神論者に転向してしまう。キリスト教の教義は抽象的で、罪悪感を植えつける社会装置であるという側面があり、ピダハン語が形成する文化社会とは馴染まなかったということだろう。
魚を獲って、隣人と遊び、そのうち死ぬ。それだけで人生は素晴らしい。
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