寡作のSF作家テッド・チャン、待望の新作短編集。原作の英語版は2019年5月、邦訳は同年12月発売。
デビュー作を含む前の短編集『あなたの人生の物語』からなんと17年ぶりとなる刊行。特定の題材に対し、徹底的に考え抜く思弁と、娯楽作品としての物語性が同居する作品群が続く。以下、順に感想。
『商人と錬金術師の門』
アラビアンナイトの世界を模した文体で書かれるが、内容はキップ・ソーンのワームホール理論に基づく時間SF。私はこれが一番のお気に入りで、SF初心者にもとっつきやすいと思う。映画でよく観るタイムパラドックス(バック・トゥ・ザ・フューチャーとか)に納得いかない人が読めば新たな洞察を得られるだろう。
『息吹』
人と異なる構造を持つ生命体の思弁を追う異世界SF。儚く美しい。
『予期される未来』
未来予知がヒトにもたらすものは何か、を問うことが多いチャン作品の珍しい回答例。
『ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル』
人がAIを育てる話。これからの人類が直面する課題を先取っている感がある。今後、AIの人格面や尊厳を扱う物語作品としての古典となるだろう。これもお気に入り。
『デイシー式全自動ナニー』
機械による子育ての話。ハリー・ハーロウが猿を使ってやった実験を思い出す。サクッと読める。
『偽りのない事実、偽りのない気持ち』
新たなテクノロジーの出現が人間全体の価値観や精神構造に影響を及ぼす、という話。グレッグ・イーガン的な材。
「大いなる沈黙」
純文学寄り。雰囲気は好きだが、あまり残るものはなかった。
「オムファロス」
とっつきやすそうで難しい。読後に解説を読んでようやくテーマを理解。玄人受けするハードSFだろう。いつかまた読むかな。
「不安は自由のめまい」
量子力学が生んだ多世界解釈に関する話。人間の振る舞いが確率論的なものであるとしたら、人物に固有の人間性とはなんなのか。
読む面白さも格別だが、本書が提供する視座は、単なる読書以上の恩恵を読者に与えるだろう。テクノロジーが現実世界のみならず人類の認識をも根本的に変えてゆく時代に必要なのは、良質なフィクションを通した思考の訓練である。まずは職場での布教を図っていきたい。
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