2017年7月28日金曜日

himawari


 ミスチルの新曲。好きな人を失ってしまった男の歌で、死別とも、ただの男女の関係の終わりともとれる。フライダディフライの『ランニングハイ』やワンピース映画の『fanfare』と同じく、主題歌としてタイアップする映画(『君の膵臓を食べたい』)の世界観に寄せつつミスチルをやるとこうなるという好例だろう。

 歌詞世界においては、宮崎駿が『ハウルの動く城』を制作したように、『ハンターハンター』で富樫義博がキメラアント編以降を描くように、整合性とかどうでもよくなってきたクリエイターの域を感じる。散文的な連続性とか、写実的な描写は失われ、断片的な感傷や詩情が優先される。

 音については、物憂げでラウドなロックサウンド(ギター、ベース、ドラム)が玄人受けしそう。REFLECTIONの頃から回帰したシンプルなバンドサウンドはいい感じ。CD特典のドキュメンタリーで編曲するメンバーも楽しそうだ。

 そんなわけで、進化し続けながら年齢を重ねていくミスチルがやっぱり好き。25周年だし。
   

2017年7月25日火曜日

Meteora


 チェスター・ベニントンの死のニュースを目にしてから、こればかり頻回に聴いている。

 ひととおり流行ったあと何年かして、大学生活の後半にCDを買ったんだったか。経路不明だがiTunesに入っていた2003年作品である。エモい声とラウドなギターサウンド、静と動のコントラスト、電子的なサンプリングが生む危うい雰囲気…が特徴というところだろうか。ボーカルのチェスター・ベニントンのメロディアスな美しい高音と、激情を叩き付けるような叫び声から伝わってくるのは、繊細で、苛烈で、胸の内に灼熱の痛みや怒りを抱えた人物像だ。

 己の痛みをNumb(麻痺)させるための芸術活動を欲するアーティストがこの世には存在すると筆者はしばしば考えているが(The beach boysのブライアン・ウィルソンとか)、Linkin Parkのチェスター・ベニントンもきっとそういう種類の人間の一人だったんではないかと推測する。鎮痛のための音楽、詩、映像、パフォーマンス。美しい音が、映像が、熱狂が、頭の奥で疼く痛みを一時忘れさせてくれる。彼らが性的に乱れ、酒やドラッグに溺れ、非業な死を遂げるのは偶然じゃない。痛みを鎮めないと生きていけない。そういう種類の人間がいるのだ。

 しかしこのアルバムの音は格好いいな。一時であれ、世界中を熱狂させたその人生にはきっと価値がある。
   

2017年7月21日金曜日

5年目



物語とは、人と人が時間や空間を越えてつながるための手段です。 
                           冲方丁

・・・

 ナラティブ・ベースド・メディスンという言葉がある。
 英語表記はnarrative based medicineで、「個人の物語に基づいた医療」という感じで訳されることが多い。片仮名で表現される「ナラティブ」という言葉は、精神科医療においては1960年代から使われるようになったらしく、個人に固有の物語性にフォーカスした診療アプローチの様式を指すことが多いようだ。患者の身体所見と検査データだけを見て文献的な知識を機械的に当てはめていく診療をするんじゃなくて、一人の人間としての物語を尊重しろよ、というニュアンスである。データじゃなくて人を見ろや、と。

 そんな語をタイトルに持つこのブログに、年に一度書いているこのような文章のために『ナラティブとエビデンスの間』(James P Meza, Daniel S Passerman 著、岩田健太郎 訳)というエッセイ的な学術書を読んでみたのだが、これがまた面白くない。優秀な学者が書いていると思われ、学問にも患者にも真摯であろうという姿勢が伝わってくる好著だという気もするが、面白くはない。そのせいか頭に内容が残る気がせず、「医学の教科書でナラティブを理解するのなんて全然無理筋じゃねーか」と思ったので、このブログの存在意義を再度噛み締めることになった。

 同じニュースを見ても、同じ病気になっても、感じ方は人それぞれ違う。体験の様式は、その人に固有のものであり、他人がその生理感覚を100%共有することは難しい。男が女の気持ちを理解することは難しく、日本人が中国人の感覚を理解することは難しい。幼稚園の先生が覚醒剤の売人のメンタリティを理解することは難しく、小学生の男の子が認知症のおばあちゃんの心境を理解するのは難しい。

 背の低い男の人生、背の高い女の人生、知的発達が遅れたもの、優れたもの、アトピーに悩むもの、四肢が麻痺したもの、愛情に恵まれたもの、虐待を受けたもの、家が火事になったもの、親の財産で遊んでるもの、サボった人、頑張った人、人気者だった人、覚えてもらえなかった人、目を逸らしたくなる挫折、中学時代の栄光、不登校、大麻の使用、家族の失踪、劇的な恋愛、多重債務、精神疾患、地元の名士、蕎麦屋の跡継ぎ、病院の事務職員、宇宙飛行士、内閣総理大臣、郵便局員、YouTuber、テロリスト、プロ野球チームの2軍のレフト、一発屋の芸人、妊娠中絶をした女、HIVに感染した男、交通事故の加害者、東京でデビューした大学生、メキシコの語学学校に通う看護師、在日韓国人、引きこもり10年目の長男、カミングアウトできない同性愛者、人肉を食べたい掃除夫、出会い系にハマる人妻、バーのマスター、盲導犬のブリーダー、熊専門のハンター…。

 個人の体験には限界があり、他人の人生を完全に理解することはできない。
 しかし、漸近はできる。
 物語を通して、擬似的に他者の物語を体験することで、その視点、痛み、歓び、質感を部分的には感得することはできる。語られた物語を想像のよすがとすることで、他人の精神活動の実体に近づいていくことはできる。彼は、彼女は、この世に生を受けてから、自分の目の前に現れるまで、どんな道を通って、何を見て、何を感じ、今日の日まで生きてきたのか。何を想い、何を求め、何にこだわって生きているのか。何に憤り、何を悲しみ、何を諦めたのか。100%完全な理解などありえなくても、物語を読み解き、想像を重ねることで、その体験に近づいていくことはできる。
 いい漫画を愛したり、朝の連続テレビ小説をかかさず観たり、映画を沢山観る人は「わかってる」。良質な物語を享受する人は不特定多数の人生に必要なものを、社会生活における大切なものを、間接的に理解しているように思う。

 良質な物語を読めば、人の気持ちがわかる。
 良質な物語を読めば、逆境に強くなる。
 良質な物語があれば、人生は楽しい。

 物語を読む経験。物語を書く練習。物語のあるカフェを経営する準備。
 10年続けたら実現できるかな、という試みがこのブログである。
 自分のために続けているものではあるが、自分以外の誰かに価値あるものを提供できるような気もする。

 そんなわけで、まだ続きます。
 少なくともあと5年。
   

2017年7月20日木曜日

ブコウスキーの酔いどれ紀行


 アメリカ人の無頼な作家チャールズ・ブコウスキーが飲んだくれながらヨーロッパを旅する旅行記。原著は1979年が初出。今回読んだのは2017年に出たちくま文庫の新訂版。

 仕事のために女連れでドイツとフランスを訪れ、酒を飲んだくれて歴訪するだけの記録なのだが、何ともいえない独特の味がある。権威や流行など意に介さず、酒と女と友人との語らいに自分の人生の価値を見出す生き方に迷いはない。作者が本当にどうしようもない人間であることは疑いないが、ここには個人の価値観や人生哲学の在り方として普遍的な価値がある。Oasisのリアム兄弟の救いようのないバカさがみずみずしい魅力を持つのと同様、ロックで無頼な男の美しさがこの文章には宿る。

 理屈で説明しても伝わらないので、下記の引用を読んでほしい。

・・・

 これまでずっとわたしはとんでもない作家で、街のさまざまな場所の名前、風景や季節、それに崇高な気持ちなどについては何一つとして書き留めてはこなかった。そんなものはいずれにしても取るに足りないたわごとでしかない。
 23パリ行きの列車 p202 

 列車は驀進し続け、車窓の外を見れば小さな村々が過ぎ去って行く。ドイツと同じように、こぎれいではあるが、へんてこで、どこかおとぎ話の世界から抜け出てきたようでもある。丸石が敷かれた細い道にとんがり屋根。しかしそれらの村々にもさまざまな苦悩が溢れている。肉欲、殺人、狂気、背信、役立たず、不安、無気力、邪神、強姦、酒浸り、麻薬、犬、猫、子供たち、テレビ、新聞、詰まったトイレ、盲いたカナリアたち、孤独……創作は逃避手段となり、叫びをあげるひとつの方法だが、とんでもない創作ばかりで、詰まって流れないトイレに、詰まって流れない創作。
 同 p203-204 

 魚は彼の手に吊り下げられ、死んでわたしたちの前にその姿をさらしている。長くてぬめぬめとしたその殺し屋は、死んでもなお見事で、見まがうことは決してなく、余分な脂肪もまったくついていず、まやかしとも無縁で、完璧な姿だ。突き進み、激しく動きまわり、あたりをきょろきょろと見回し、泳ぎ回る、ほとばしる生命の塊。道徳もなければ、信仰もなく、友だちもいない。
 同 p209 
   

2017年7月13日木曜日

鋼鉄都市


 近未来SFミステリの傑作。
 アイザック・アシモフ著。1954年作品。

 まさに古典の風情。ファーストのガンダムっぽい宇宙に植民した人達の設定、地球での爆発的な人口増加に対処するための徹底的な管理社会のディストピア、精巧なヒト型ロボットの相棒との事件の捜査…etc. 後のSF作品に与えまくった影響のオリジナルを崇めているような気分。

 2000年以降のSFと比べるとSF的な語彙が控えめで読みやすい。ロボットに仕事を奪われゆくヒトの機会への陰性感情(憎悪、怨恨)というテーマは、AIが勃興しヒトの仕事を脅かす2017年の現代にも通じる。作中に歯切れのいい回答はないが、悩んでいる次元は同じ。

 割と面白い古典を読んだって感じ。王道のSFの原型。
   

2017年7月4日火曜日

情熱大陸への執拗な情熱


 Web発、情熱大陸に出たがっている男のエッセイ漫画。

 これはかなりいい。高い理想を抱きつつも届かずに苦しむ、自意識をこじらせた30男の悲しみと愛らしさがある。そのみっともなさ、等身大の情熱、道化と苦悩、自己批判と心情の吐露なんかのバランスがいい。比較的順調に人生を歩んでいるはずなのに満足できない、そのマイルドな苦しみが人間臭くて非常にいい。

 過去の名作漫画のパロディのセンスは『岡崎に捧ぐ』の山本さほに近い。ネット漫画の潮流なのか。そして、葉加瀬太郎の容貌を持つ「大陸さま」のズルさよ。

 20代の頃の勢いを失いがちな男たちに勧めたい佳作である。1巻で終わるのが程良い。