2016年7月25日月曜日

ドサ健ばくち地獄


 『麻雀放浪記』に登場する一匹狼のギャンブラーであるドサ健のスピンオフ。天涯孤独の身で「博打いちがい」に生きるドサ健が、博打に生きるライバル達と高額な現金を賭け、麻雀や手本引きで死闘を繰り広げる。

 都会の闇に生きるアウトロー達の描写がメイン。マンションで非合法の賭場を経営するホステス、放蕩趣味の企業の御曹司、株屋の役員、女郎屋の息子など、経済観念の破綻した博打狂い達が大金を奪い合っては借金を重ね、やがて回らなくなって破滅し、脱落していく。身内に一人いたらたまったもんじゃない人達が多数登場し、あっさりと退場して行く。

 作者自身の経験に裏打ちされたリアリティたっぷりの博奕打ちのメンタリティが描かれ、ある時代、ある種類の人々の文化風俗を伝える貴重な文化的資料になっている。運という非科学的なものを徹底的に考え抜く麻雀や手本引きの思考様式は示唆に富んでいて面白い。

 そして何より、他人に迷惑をかけることを屁とも思わない最低の奴らばっかりなのに格好いい。命を賭けた勝負を繰り返すことが男を上げる。平成を生きる人々に最も足りない要素が凝縮している。剥き出しの本能で生きる感じ。
   

2016年7月21日木曜日

4年目



 「決意を持続させることのできるのは、習慣という怪物である」(三島由紀夫)

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 このブログを開始し、丸4年が経過した。実は経営予定のカフェをイメージした短編小説を書いていたが、家庭内のライフイベント及び仕事関係で余裕がなくなり、ここに載せるレベルには至らなかったため断念した。筆者の雑感でも書こう。

 ブログを続けているのは半分は意地で、半分は楽しみだ。鑑賞した物語が自分の脳内に残していった感覚や情報の断片を、ぼんやり思い返し、意味を考え、少し調べて、自分の言葉で語り直し、文章として残すようにしている。それは精神科医としての情報解釈の感性の、文筆家としての言語選択能力の、そして、ブックカフェのオーナーにふさわしい知識量を得るための最良のトレーニングであると考えている。楽しいから続けられる。淡々と蓄積し、取捨選択の結果がpile upしていく。

 30代になって思うのは、学生時代に夢を語っていた同年代はどうなっているんだろうか、ということ。「将来はこんな仕事をしたい」とか「いつかこんな店を開きたい」とか語っていた彼や彼女は今はどんな顔をして暮しているんだろうか。仕事したり、結婚したり、病気になったり、裏切られたり、選択を誤ったとヘコんだり、社会の波に揉まれ、自信を失っては、慰めを見つけて持ち直し、次第に世慣れて、くたびれ、諦めを知り、かつて友人達と語り合った理想が幼稚な戯れ言に過ぎなかったと思い至り、密かに赤面したり苦笑したりするんだろうか。

 自分が本当に好きだったものは何か。大人になるほど忘れそうになるから。それを思い出すために必要なものを、このブログでは研究している。音楽でも、食べ物でもいいんだろうが、物語でそれをやっている。いいものはいいという。自分に合わなかったら合わないという。心を構成する物語を見つける。見つけ直す。豊かな物語を身につければ、自分の心も、他人の心も、理解し、導くことができる。少なくとも、そういうのがすこし上手くなる。

 説明は煩雑だが、このブログが目指すものは自分のためにもなるし、誰かのためにもなると信じている。良質な物語は心に生きる力を与える。そんなストーリーに出逢える場所は自分で作らなければならない。まあ、そんな感じだ。

 10年続けますよ。よろしく。
 

2016年7月19日火曜日

パンドラ ザ・イエロー・モンキー PUNCH DRUNKARD TOUR THE MOVIE


 1998年から1999年に行われた1年で113本の公演という破格のライブツアーを追ったドキュメンタリー映画。

 その道中は過酷で、それぞれプライベートの問題に直面したり、スタッフが不幸な事故に見舞われるなど、苦しい時期が何度もあり、バンドメンバーが目に見えて疲弊してくる。格好いいライブシーンは挿入されるが、その裏側にあるロックバンドのみっともなさ、しんどさが伝わってくる。フジロックでフーファイターズやレッドホットチリペッパーズに挟まれて劣等感に苦しむ吉井和哉の表情がリアル。

 筆者はバスケットボールをやっていたことや、医療現場で働いていることもあり、チーム・ケミストリー(構成員同士の化学反応)を意識してこうしたロックバンドなどのドキュメンタリーを観ることが多いが、このメンバーは理想的だ。イエローモンキーは劣等感のバンドで、そこには惨めさを受け入れて生きることを選んだ人間の諦めと、情けなさと、愛がある。そんな価値観を共有したスタッフが一丸となり、過酷な道を駆け抜けて行く。

 挿入されるボーリングのシーンがいい感じにライブツアーのメタファーになっている。バンド解散のきっかけになったとも言われる苦しい期間だったが、後年になって酒を飲みながら楽しく思い出話に浸れる、そういう体験だったのだ。

 こういうチームで、命を注ぎ込み、誰にも真似できない輝きを生み出した期間があるということ。それがきっとロックスターの本懐。羨ましや。
   

2016年7月17日日曜日

風の歌を聴け


 村上春樹のデビュー作。1979年が初出。「夏になると読みたくなる」という友人の言葉を思い出し、一泊旅行に持っていった文庫本を読了。

 大学時代に一度読んだはずだったが、「主人公が鼠という親友とビールをいっぱい飲んで、投げやりに女と寝た」ということ以外に内容を全然覚えていなかった。また忘れるような気もする。生への達観と虚無、根源的な悲しみと、慰みとしての女性性(酒、料理、音楽、セックス)にすがる人間の話だ。

 虚無感の慰みとしての耽美主義。徹底した日本の固有名詞の排除。後の村上春樹作品にも通底する文学作品の主題は既にここにある。意味の否定。感傷の否定。絶望に慣れ、虚無に至った非人間的な人間による事物の観察。滑らかな日本語。意表を突く比喩。

 小説を読み慣れない人に理由を説明するのは難しいが、30になって、その面白さが分かってきた気がする。意味なんて無いのだ。虚無感を慰め、耽美に辿り着く、上質な暇つぶしとしての読書体験。

 ビールをがぶがぶ飲みながら夏に読みたい。そんな本だ。
   

2016年7月10日日曜日

ニャ夢ウェイ


 数年ぶりに再読した松尾スズキ原作、河合克夫作画のエッセイ漫画。ロック雑誌(ロッキンオン)に連載し、主に飼い猫(オロチ)の話題でダラダラ小ネタが展開する。全4巻。

 個人的に、仕事の合間に疲れた頭で読む娯楽としては最高峰。1回4ページくらいで、なんの生産性もない日常ネタや不条理ネタを楽しめる。とりわけパロディネタがアツく、交尾・アンド・ザ・シティ、無ニャーの人、にゃいしんぼ、あたりが至高。

 途中、松尾スズキが妻と離婚したり、明らかに情緒不安定で原作がやっつけだったり(後半に顕著)するが、笑いづらい話を笑いにもっていこうとする姿勢がなんとも言えずロック。みっともなさを包み隠さず、生きる力に変えようとする姿勢がロックなのだ。たぶん。

 こういう感性を学んでおくと現実問題への対処能力が上がるように思う。
 ナメてかかれるっつーか。一時、何かを超越できる。
   

2016年7月6日水曜日

BUZZER BEATER


 井上武彦が1996年にインターネット上で連載していたバスケ漫画。

 時は西暦2XXX年、異星人の猛者達が覇を競う宇宙リーグに弱小とされる地球人たちのチームが挑む…というSF要素たっぷりの内容。当時は珍しかったウェブ連載ということもあり遊びの要素が強いが、NBAに挑む日本人のメタファーという感もあり、バスケ漫画としては正当。圧倒的強者に自身の肉体を使って挑む人間のメンタリティ、という井上雄彦作品に通底するテーマは健在である。

 主人公のヒデヨシはスラムダンクの清田+バガボンドの武蔵の少年時代。きっと作者の理想とする人間像なのであろう。女性の書き分けが課題のようだが、近年のリアルでは成長が見られる。作者も進化している。

 肩の力が抜けたオシャレでラフなカラー連載であり、サクサク読める。中古の単行本をネット通販で買えば1000円以内で楽しめ、コストパフォーマンスも良し。10年ぶりに読み返したが、ページを繰る手が止まらなかった。軽快で、愛があり、過剰じゃない。こういうのがいいよね。
     

2016年7月4日月曜日

ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア


 1990年代のドイツ映画。不治の病で死期が近いことを告げられた若い男二人が病室で偶然出会い、海を見に行くために病院を脱走して旅に出る、という話。

 映像はチープで、脚本の細部の詰めも甘い。独特の間はお国柄のせいか。低予算な感じがひしひしと伝わってくるが、細部を変えてリメイクが作られているのは普遍的な感動があるからだと思う。日本では長瀬智也が主役を張る映画(ヘブンズ・ドア)、ハリウッドではジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンの老人二人が病室で出逢う『最高の人生の過ごし方』が近い(ちょっと違うが)。

 ステレオタイプな警官とのやり取りなど、物事が単純な時代の娯楽という感がある。難しい哲学はなく、サクッと90分で楽しめる娯楽作品である。しかし、90年代のドイツってこんな雰囲気だったのか、とノスタルジックなムードに浸れる。みんな雑で、適当で、気楽そうだ。
   

2016年7月3日日曜日

イスラム国 テロリストが国家をつくる時


 2014年に原書が発行されたIS(Islamic state; イスラム国)について執筆された書籍の中では最新の部類に入るであろう本。作者は北欧諸政府の対テロリズムに関するコンサルティングや、国際的な対テロファイナンス会議の議長も務める経済学者。ISの成立の過程、目指すものは何か、従来のテロ組織の違いは何か、などを歴史的事実と照らし合わせながら概説する。

 ISという組織については、イラク戦争とシリア内戦を母体に生まれたこと、イスラム教スンニ派の過激派であること、厳格なイスラム法の適用を目指す集団(サラフィー主義)であること、カリフ制国家の復活を目標とすることは基本事項。Twitterや動画サイトなどのテクノロジーを利用して残虐なイメージを拡散し、世界中から支持者を集めているのが有名だが、特筆すべきは国家としての機能を持とうとしている点だと作者は主張する。冷酷無比なイメージが先行しがちだが、支配地域の病院や学校(多くは戦乱で荒廃している)などのインフラの整備を行い地域住民の心を掴む戦略や、決算報告書を用いた収支計算に象徴される堅実な財務基盤など、近代国家が持ちうる政治力や経済力を持っているという点が、従来のテロ組織とは異なるとする。TEAM OF TEAMSの作者の陸軍大将が指摘するように、新時代に適応した戦略を駆使するISに、前時代的なシステムで動くアメリカなどの大国は対処しきれていないように見える。

 この文章を執筆する時点で、日本人が巻き込まれたバングラデシュの事件などがあり、世界中でISによる無差別のテロが横行している。実は割と本気なんだが、筆者が本ブログを継続する動機には「ISに対する自分なりの答え」という視点がある。存在しない理想郷を求めて暴力を振りかざす人々の精神世界には、血の温もりが通った豊かな物語(ナラティブ)が足りない、と筆者は考える。異教徒間の争いの根幹にあるのは共通言語になりうる物語の欠如である。人が残酷になれるのは、対象となる相手の物語を無視するからである(ルシファー・エフェクトという本にも書いている)。暴力的な手段により争い傷つけ合うのは、映画の感想を共有して誰かと楽しくお喋りしたり、漫画や小説を読んでまったり過ごす穏やかな休日の対極にある。

 少なくともこれからの数年間、地球上のどこに住んでいてもISの脅威は私たちの日常生活に忍び寄って来るだろう。その行動原理と実体について知識を持っておくことは、自己防衛のための最低限の対処法である。