2021年6月19日土曜日

憚りながら


 山口組系の暴力団の元組長・後藤忠政の回顧録。単行本は2010年初出。読んだのは2011年の文庫版。

 後藤忠政は1942年(昭和17年)東京生まれ。四人兄弟の末っ子であり、幼少期に母が死別し、静岡県の富士宮で育った。幼少期に貧困を経験し、10代の頃から喧嘩に明け暮れ、少年院や刑務所への収監を繰り返しながら名を上げ、組織を拡大し、極道の世界でのし上がっていった。日本最大の指定暴力団の山口組の幹部にまで上り詰め、2008年(平成20年)に引退して仏門に入り、その後の
インタビューを原稿化したものが本書である。

 日本の「やくざ」のメンタリティを学べる本であり、暴力団の歴史の本である。創価学会との攻防や山一抗争の顛末など、実在の事件の裏話を含むリアルな後日談が散りばめられた、日本の裏の戦後史とも言えよう。淡々と語られる内容は凄絶であり、現実離れしている。人死にの出るような暴力の応酬について他人事のように恬淡と語り、(笑)の登場するポイントに凄みを感じる。

 侠客たらんとするメンタリティは、次郎長を生んだ静岡という土地柄が育むものなのか。「やくざ」であるという職業上の美意識がそうさせるのか。日本の歴史上の必然なのか。悪でありながらも、抗い難い危険な魅力があるその振る舞いは、多くの歴史的、郷土的、文化的な事象が凝縮し、洗練されたものなんだろう。

 非学術的な語り口の中に、辺縁にいる人間にしか出せない深みがある。人間が生きることの純粋な意味を見出せるだろう。なかなかいい読書体験だった。
   

2021年6月18日金曜日

天地明察


 12年ぶりに再読。
 2009年初出。冲方丁の時代小説。

 江戸時代の実在の人物、渋川晴海(しぶかわはるみ)が主人公の時代小説である。碁打ちの家系に生まれ、算術を愛し、神道を重んじる人物が、改暦という幕府や朝廷を揺るがす大事業に挑む。4代家綱から5代綱吉(西暦1660年〜1700年頃)の江戸が舞台で、同時代人である本因坊道策、関孝和、山崎闇斎、水戸光圀、保科正之などが登場する。

 さほど有名ではなかったこの人物を見つけ出し、とことん惚れ込んで、時代小説の主人公として取り上げたという事実が、冲方丁の精神性の本質を現しているように思われる。途方もなく大きなスケールの課題に全身全霊で挑み、事を成そうとするメンタリティ。挫折しても立ち直り、嫌なやつにならず、ひたむきに、一生懸命に、己の命を人の世の輝きのために捧げる創造性とサービス精神。本作の渋川晴海は冲方丁の理想の人間像の投影である。もうひとつの理想は、冴えた知性と猛る野性を併せ持つ水戸光圀であろう(そちらは『光圀伝』で描かれる)。

 時代小説の枠組みの中で、理系のロマンを追求する作品でもある。作中に出てくる解けそうでなかなか解けない図形の問題などの仕掛けも楽しい。囲碁、算術、天文学など、芸術の域にまで高められた理論の真剣勝負へのリスペクトが読んでいて心地よい。算額絵馬や私塾での数学バトルを楽しむ江戸の庶民の暮らしぶりからも、洗練された町の空気が伝わってくる。

 今読むと、人物の描写はライトノベル感があって少し鼻についたが、それもまた作者のサービス精神の発露であろうと思う。読むと力が湧いてくる、何かに全力で挑みたくなる、エネルギーを秘めた作品である。大学生の頃に読めたことに感謝したい。
   

2021年6月13日日曜日

1日外出録 ハンチョウ


 ギャンブル漫画『カイジ』シリーズのスピンオフ作品。既刊11巻。 

 地下の強制労働施設が舞台の地獄ちんちろ編(『賭博破戒録カイジ』の1巻から5巻に所収)に出てくる悪役三人組がクローズアップされる。物腰が低く、鷹揚に振る舞いながら、狡猾な手段で労働者たちから搾取をする大槻班長が主人公。

 基本的には1話完結で、40歳から50歳くらいの壮健な男たちが東京での一日外出を楽しむ話が延々と続く。いかに休日をエンジョイするかの指南の書であり、グルメ漫画であり、日常ものであり、独身の男たちの人生の慰安が描かれる人間賛歌でもある。

 格安のビジネスホテルに泊まり、友人と外食がしたくなる。人生を祝福する書である。