2019年8月10日土曜日

最高裁に告ぐ


 ”白ブリーフ判事”として有名になった現職の裁判官・岡口基一による最高裁判所との戦いの記録。2019年3月刊行。

 岡口氏は長年にわたり積極的にTwitterによる情報発信を行っていたが、その内容により裁判官としての「品位を辱める行状」があったとして、最高裁判所の分限裁判(裁判官を処罰する制度)に申し立てられた。しかしその手続き内容と論旨に法曹として納得がいかず、その不備を広く国民に知らしめ、裁判所批判の端緒にすべく執筆されたのが本書である…と思う。

 基本的にプロの法曹の手による格調高い司法関連の書籍のような文体なのだが、その内容のくだらなさがだいぶ笑える。これは狙っていると思う。岡口氏はTwitter上で白ブリーフ一丁の画像を晒し一躍有名人になった人物であるが、その奇行に似つかわしくなく、裁判官としての評価が高い人物でもある(高等裁判所の判事になっていることからも実績や能力が窺えよう)。人間くさい下品さと諧謔精神持ち合わせながらも、科学性・合理性を重視する冷徹な論理的思考を持つ人物であることは、本書の随所からもうかがえる。そして彼は、その明晰なロジックで、現在の最高裁判所の凋落ぶりを暴き出し、嘆き、糾弾する。

 正直、岡口氏の表現活動の下品さは、贔屓目に見ても裁判官という職業の品位を辱めていることには間違いなく、不快感を感じる人が多数いることは理解できる(私もだ)。だがそれでも、彼はいいことを沢山言っているのもまた間違いのないことである。国民は、裁判所により意図的に作り出された「高潔な裁判官という人間像」によらず、適正な手続きと確実な根拠によって導き出された論旨により、判決を判断すべきである。それを気づかせるために、岡口氏は体を張って戦っているのである。

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 そして、国民は、少なくとも、「秘密のベールに包まれた裁判官は信頼できる」という古代的な発想はもたないようにすべきである。しっかりと手続保証をした訴訟指揮をして、科学的・合理的な判決理由を示すことができる裁判官であれば、たとえ、オフの生活での人間くささが丸わかりになっていてもまったく構わないはずである。
 本書p192 第Ⅳ部 「司法の民主的コントロール」は可能か? より

    

2019年8月7日水曜日

剣樹抄


 冲方丁の時代小説。単行本は2019年7月発売。電子書籍リーダーDolyにて読了。

 世界史上の三大火事にも数えられるとという江戸時代の明暦の大火(西暦1657年)から物語が始まる。主人公である無宿人の孤児・六維了助(むい りょうすけ)の成長物語であるとともに、『光圀伝』に登場する若き豪傑・水戸光圀(みと みつくに)が重要な役どころとして登場する。

 筋としては、幕府の命を受けた光圀や中山勘解由らが、捨て子を拾って組織した隠密組織の拾人衆(じゅうにんしゅう)とともに、江戸の火付け盗賊の集団との戦いを描く。作者の冲方丁がトークショーで「大江戸シュピーゲル」と評していたという噂だが、そういわれると実際その通りだと腑に落ちる。シュピーゲルシリーズと同じく、傷を負った子供達が戦いの中で過去を克服し、より実存的な生に目覚め、社会に戻っていく話、である。

 作者がこれまでの作品で育み、培ってきた知識や技巧を融合させるとこうなるのであろうと考えると納得。司馬遼太郎を彷彿とさせる、江戸の文化風俗や史実に関するトリビアの紹介が混ざるあたり新境地だろうか。続編に期待。
   

2019年8月4日日曜日

リメンバー・ミー


 Disney THEATERにて鑑賞その3。音楽家に憧れるメキシコの少年が死後の国を冒険する話。2017年。ピクサー名義、ディズニー配給の作品(ほぼ同じ会社だが名義で微妙に違う)。

 テーマとしては、伊藤計劃の『メタルギアソリッド ガンズオブザパトリオット』を思い出したが、「人が他者の物語を語り継ぐことの意味」みたいなものだと思う。人は肉体的に一度死に、存在を忘れられることで二度死ぬ。その悲しさを知っているから、民衆は死者の写真を飾り、物語を語り継ぐ。

 そしてビジュアル面、妖しげで壮麗な死後の国の世界観がいい。主人公の少年ミゲルが暮らす街、死後の世界の色彩豊かな住居、そこに住まう人々の息づかい、どこをとってもメキシコらしい空気感が漂う。金銭的な豊かさはなくとも、魂の安楽に必要なのは音楽と家族。そんな価値観もまたメキシカン。

 脚本はこれまた優等生。伏線の回収やミスリードなど、技巧的に見事すぎて逆に物足りなさが…と感じてしまう私はひねくれ者なのかもしれないが、特に文句のつけようながない一級品の出来である。ピクサーの安定感と凄みを感じる。そりゃアカデミー賞もとりますわ、と。
   

2019年8月1日木曜日

浮世の画家


 戦後の日本で暮らす引退した老画家の独白小説。1986年作品。カズオ・イシグロの出世作。

 舞台は1948年~1950年の日本。主人公の小野益次(オノマスジ)は、かつて世間で名声を得た画家であり、いまや引退して隠居生活を送っている。妻と長男を戦争で亡くし、嫁入りした長女との関係や、次女の縁談の進捗に気を揉みながら暮らしている。彼が日々の暮らしの出来事に際し、戦後の価値観の転換や、かつての弟子や仕事仲間との日々に思いを馳せ、生活の中で過去を回想する。

 これだけ書くと地味な内容だが、主人公の心情のうつろいが丹念に描かれており、訳文の文章は柔らかく流れるようで、読んでいて飽きさせない。大きな事件が起きるわけでもないのに、このストーリテリングの力は特筆すべきである。とりわけ私は、作中に登場する飲み屋(みぎひだり)で芸術や世相について仲間内でわいわい語り合うような日々に憧れる。彼の生きてきた世界の空気がなんとも「いい感じ」なのである。そうした清らかで格調高い空気感を楽しむ小説であろう。

 上品で繊細な心象風景には読む価値がある。他の作品も読みたくなった。