2017年10月31日火曜日

OK Computer


 「最初はわけわかんないと思うけど、何回も聴くうちに好きになるよ」と大学生の頃に友人に勧められて購入した1997年発売のレディオヘッド3rdアルバム。

 あれから10年近く聴き続けているCDだが、確かに、今はかなり好きだ。まず何よりタイトルとアートワークが格好いい。音楽的には、バンドサウンドのギターロックとコンピュータ処理された電子音楽の融合。冒頭の#1 Airbagのギターのイントロから始まりから、静と動の緩急をつけつつ、苦悩するトム・ヨークの呻吟と共に、全編を油断できない不穏な空気が貫く。1990年代の世界の、巨大に産業化され、効率化された社会に人間性を蝕まれ、内面が壊れていく個人の断末魔が表象される。この感覚が(国は違えど)時代性として、『ファイトクラブ』や『アメリカンビューティー』に繋がっていったんだろう、と想像できる。物質的には豊かだけど、心が死んでいる人たちの世界。

 とっつきやすいのは#5 Let down, #10 No surprisesだと思うが、聴き込めば全曲味わい深さがある。個人的にはレディオヘッドは本作~7th アルバム(In Rainbows)までのスタンスが好きだ。それ以前は青臭すぎるし、それ以後はやや迷走している感がある。実験性と娯楽性のバランスに関しては本作がベストであると思う。
   
   

2017年10月29日日曜日

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程

 ちょうど、山のそのあたりに、おびただしい豚の群れが飼ってあったので、悪霊どもは、その豚の中に入ることを許してくださいと願った。イエスはそれを許された。悪霊どもは、その人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れはいきなり崖を駆け下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ。
ルカによる福音書 8章32節-33節

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 当時の映像や新聞記事等の歴史的資料を交え、1972年2月の『あさま山荘事件』に至るまでの日本赤軍の軌跡の再現を試みた映画作品。2008年公開。監督は若松孝二。190分。

 観ていて思い出したのはドストエフスキーの『悪霊』。そして、その冒頭に引用されている悪霊に取り憑かれた豚が集団自殺する新約聖書の1節。共産主義思想というイデオロギーに取り憑かれ、人としての道を踏み外し、破滅へと至る彼らのストーリーには普遍性がある。生物学的な条件において彼らも同じ人間ではあるが、特定の思想体系や洗脳に近い社会装置(総括や自己批判など)によって非人間化され、やがて時代錯誤で、不合理で、倒錯した狂信者となった。

 実際、今の私から見ると、ただの滑稽で迷惑な連中なんだが、その度合いが強すぎて、世界中で多くの死者を出すほどのレベルでやらかしているので無邪気に笑うことはできない。政治的主張のための世界初の無差別テロ(テルアビブ空港乱射事件など)を行ったりする彼らに日本中の人々がドン引きし、団塊の世代が熱狂した全共闘の学生運動が収まる転換点となったそうだ。私はキューバ革命の闘志たちは心の底から格好いいと思うが、連合赤軍(日本赤軍)の人達はただの滑稽なバカだと思う。彼らの革命的信条や行動原理に足りていないのは、自らを客観視し、己の矛盾を笑い、赦す、ユーモアの精神に思えてならない。本作の終盤で「勇気がない!」という重要な台詞があるが、彼らに足りていない、自分の弱さを見つめ直す勇気の必要性を喝破した制作者の主張であるように思えた。

 「世の中には、どうしてこんなに酷いことができる人がいるんだろうか」と、そんな問いが浮かぶ度、いつも私が辿り着くのは、彼らの心に良質な物語が足りないせいではないかということである。ナラティブな豊かさ、と言い換えてもいい。固有名詞や人間的情感を排した抽象的な論理や教条のみを信奉する者は、他者の物語を尊重することができず、血を伴った他人の痛みや温もりを共感することができない。チベットを弾圧する中国の共産党、イスラムのIS、かつてのオウム真理教やポルポトもそう。良質な物語の拡散こそが世界平和に繋がるという信念に基づき、このブログは運営されている。残虐な彼らに足りないのは、素晴らしい物語で心を動かした体験であろう。
   

2017年10月23日月曜日

アメリカン・ビューティー


 アメリカの中流家庭の崩壊を描く映画。1999年作品。

 10年くらい前に観たときは意味がよく分からなかったが、今観直してみて、昔よりも理解できたと確信できる。20世紀までのアメリカの中流階級の伝統が揺らぎ、混乱のさなかにある人々の姿が閑静な住宅街に潜む狂気を通して描かれている。

 この映画で描く人々の歪みが、後のトランプ政権を生み出すことになるアメリカに堆積した不全感に繋がるんだろうと思った。物質的に満たされても得られない充足感、傷つく夫の自尊感情、飽くことのない妻の上昇志向、近所に住む同性愛者のカップルとそれを苦々しく思う軍人、信頼の置ける価値基準を持てないティーンズの葛藤、など。ステレオタイプに信じられてきたこれまでのやり方が通じない時代の変化に皆が戸惑い、出口のない閉塞感と寂しさを抱き、救いを求めている。

 そんな時代を包む不安と混沌を、頽廃的な美として映像的に表現した映画である。好きだ。
   

2017年10月22日日曜日

アメリカン・スナイパー


 実在した伝説の海兵隊の狙撃兵を生涯を描く映画。2014年作品。
 
 クリント・イーストウッドの映画を集中的に観たくなったのでDVDを購入。実在の人物の生涯を描く作品であり演出は控えめだが、不条理な世界の中で主人公が男を張る、というイーストウッド作品に通底するテーマは健在である。

 2001年の9.11の後にイラクに派兵された米兵の物語であり、まさしくアメリカのヒーロー像という描かれ方に違和感を禁じ得ない人もいると思われるが、良くも悪くも戦争の現実を描いている再現性の高い作品だと思う。DVD特典のメイキングのドキュメンタリーも観たが、製作陣の作り手としての真摯さ、誠実さには胸を打つものがある。制作過程において発生した偶発的な事件が、作品の意味性をより印象的なものにしているのだが、書くと興を削ぐので興味のある人は観終わったあとに自分で調べてほしい。

 控え目で余韻が残るイーストウッド映画。他作品にも期待。
   

2017年10月21日土曜日

CHOKE


 『ファイトクラブ』の原作の作者でもあるチャック・パラニュークの小説を映画した2008年作品。原題の”CHOKE”は窒息の意。医学部を中退したセックス依存症の青年の物語である。

 性的逸脱は愛着に関する心的外傷を予感させる。アメリカの疼痛医療学会(American Academy of Pain Medicine)、疼痛協会(American Pain Society) 、依存症医学会(American Society of Addiction Medicine)の3学会は「痛み」と「アディクション(依存症)」は別の診断カテゴリーではなく互いに重なり合う疾患概念である、という共同声明を2001年に発表しているそうだが、この主人公も多くの依存症者の例に漏れず、母親との関係に決定的なトラウマ(心的外傷)がある。痛みを鎮撫(numb)するための刹那的な快楽の追求。多くの芸術家や境界性パーソナリティ障害患者が抱いている普遍的な病理である。

 映画としての表現力や構成力はイマイチ。脚本で原作にある諸要素を統合できていない。映像として象徴的なシーンはいくつもあるが、ストーリーとして有機的に絡み合っておらずチグハグ。ただ、チャック・パラニュークの世界観にはレディオヘッドが親和性が高くていい感じだ(エンドロールの”Reckoner”がgood)。慢性的な心的外傷に苦しむ青年の物語を表現する創作として、世界観同士が共鳴しているんだろう。

 邦題については日本の配給会社が完全にやらかしてハズした感。
 筆者もDVDを買ってはみたが置き場所に困っているクチである。
   

Meeting people is easy


 1997年に発売された3rdアルバム”OK Computer”が世界中で絶賛され、世界ツアーを敢行したレディオヘッドのドキュメンタリー映画。

 最初はテンション高めだったメンバーが世界中でインタビューを受けまくり、祭り上げられて、どんどんうんざりしていく過程を描くというダークな内容である。他のロックバンドであれば残念な展開だが、このバンドに限っては現実世界に嫌悪を抱くその姿に存在意義があるため、あまり問題ではない。資本主義の原理に従い産業化された音楽業界や、マスメディアに洗脳された軽薄な一般大衆が悪いのだ。そんな状況への軽侮を込めた皮肉がこのフィルムのタイトルになっている。

 だがまあ、そういう巨大な敵に文句を言っていればいいというスタンスも90年代に特有なものだったんだろうな、というのが今観てみた感想。トム・ヨークの声は格好いいが、振る舞いはただの陰気でこじれたオタクだ。イケてない日本の都市の風景も含め、貴重な一つの時代の資料になっている。
   

2017年10月20日金曜日

スラムドッグ$ミリオネア


 5年ぶりくらいに観直した2008年作品。

 インドのスラム街育ちの無学な青年が、高額賞金が出るテレビのクイズ番組(日本でもやっていたクイズミリオネア)で何故、勝ち上がることができたのか…。主人公ジャマールの回想とともにその謎が明かになる。

 観ていて胸が苦しくなるほどのインドの不衛生と暴力が描かれる。おぞましいほどの汚さや残虐さとポップな疾走感の組合せが"Trainspotting"にも通じるダニー・ボイル節。残酷で汚穢に満ちた世界の中で、綺麗な心を持ち続ける人間の美しさが際立つ。暴力に生きざるを得なかった兄サリーム、慈愛と慎みに満ちた心優しい主人公ジャマール、そして、理不尽に傷つけ貶められる美しいヒロイン、ラティカ。熱気と人間の業(カルマ)が渦巻くインドの混沌の中で、彼らは必死に生きていく。

 そして、最後まで観た時に、不思議な気持ちで映画のストーリーの意味を考えさせられてしまう作品だと思うが、隠れたもう一つのテーマはユング心理学でいう布置(constellation)にある。一見関係のない、乱雑に配置されていた一つ一つの要素が実は意味を持っていて…という視点は大変ナラティブで味わい深い視点なので、本作の鑑賞を通してぜひ堪能していただきたい。

 そんな含蓄に富んだ、猥雑で不条理な世界に光るロマンスの物語である。素晴らしい。
 

2017年10月16日月曜日

最強伝説 黒沢


 共感性羞恥という言葉がある。「マツコの番組でやってたんだけど…」という振りで全然関係のない3人くらいの人に同じような話を聞いたので、最近流行っているらしい。他の人が恥ずかしい目に遭っているのを見ると、自分も恥ずかしさを感じてしまい辛くなるというタイプの人がいる…という概念のようだ。

 そんな共感性羞恥の強い人からすると、読んでいて最も辛い読書体験になるであろう壮烈な漫画作品がこの『最強伝説 黒沢』である。工事現場で働く、頑強な肉体以外になんの取り柄もない独身の44歳の男、黒沢。そんな彼が冴えない日々の中で自身と向き合い、絶望し、救いを求め、その多くが裏目に出る。そんな彼の惨めで哀しい闘いが綴られる単行本全11巻の記録である。

 前々から気になってはいて、この度手に取って全巻を通読してみたわけだが、「これほどまでに人間の尊厳に向き合った漫画作品がかつてあっただろうか…」と読んでいて感銘を受けた。洗練とは無縁な、粗雑でたどたどしい言葉で語られる黒沢の言葉には魂がこもる。共感性羞恥が強い人(私も)は読むと痛々しくて苦しくなる。しかし、真実の言葉が胸を揺さぶる。極めて実存主義的な、人間存在への根源的な問いを投げかける至高の作品である。私の中で、心の専門家を目指す人には是非読んでほしい本シリーズに追加された。これが人生だ。


★おまけ 心の専門家になる人に読んでほしい本★
最強伝説 黒沢   ←new!!
   

2017年10月13日金曜日

紙の動物園


 中国系アメリカ人作家ケン・リュウのSF短編集。文庫は2017年発売。

 又吉直樹がテレビで紹介して有名になったらしい表題作『紙の動物園』など7篇を所収。全体として、中国系のルーツを持つ人間がアメリカ文化に出会うことで直面する相克と葛藤がテーマが底に流れる。グレッグ・イーガンジェイムズ・ティプトリーJr.の系譜に連なる、異文化と出会うことで訪れるアイデンティティの危機を描くことが多い。

 好きだったのは『紙の動物園』と『文字占い師』。両作ともにファンタジーの要素(魔法や呪術)が登場するのも特徴的だが、それはさておき異文化の中で苦しんで生きる人間の描き方が素晴らしい。作者の実体験の影響が大きいのだろうが、日本人が大雑把に理解しがちな諸外国に住む中国系の人々の心情の機微を理解するのにこれ以上ない教材となろう。

 しかしまあ、同じ中国系ならテッド・チャンの方が好き。こちらは情に訴えるウェットな感じが強い。
   

2017年10月6日金曜日

アラビアのロレンス


 中東の砂漠でイギリス人将校が活躍する話。1962年作品。

 舞台は第一次大戦下のアラブ半島。広大な砂漠の景色や、放牧民族たちの野蛮で猥雑な振る舞いにアラビア世界の異国情緒が漂う。主人公は英国が統治するエジプト基地に滞在する青年将校。リベラルな夢想家であった男の栄光と挫折の物語でもある。

 1962年度アカデミー作品賞を受賞しているが、まさに古き良き大長編という感じがする。楽団編成のパーカッションとストリングスの映画音楽を聴くだけでわくわくしてくる。この空気感はドラえもんの映画などに受け継がれているんだろう。3時間40分という長尺だったがずっと楽しく観ることができた。
    

2017年10月1日日曜日

知識人とは何か


 1993年に英国BBCで放送されたパレスチナ出身の文学者の講演集。原著の出版は1994年。天童荒太と坂本龍一の対談の本で存在を知り、伊藤計劃の日記で言及されていたので読み始めた。

 これは今まで自分の中で漠然と考えていた「自分のあるべき姿」を筋道立てて説明し、その正当性を保証してくれる内容だった。人生の書にしたいくらいだ。今後も繰り返し読むだろう。

 内容はまさに題の通り「知識人とはどうあるべきか」の本である。一言でいうと「たとえ空気が悪くなっても、言うべきことを言う勇気を持てよ」って感じだろうか。嫌われても、疎まれても。辛くても、寂しくても。組織を追われ、汚名を着せられ、いなかったことにされ、触れてはいけない人になってしまうこともあるかもしれない。それでも、その生き方には意味があり、世界にいい影響を与える手段である。自分が密かに抱いていた理想の生き方をcheer upしてくれた1冊である。

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 知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である。(p20)
 このようないとなみを成功させるには、劇的なもの、反抗的なものに敏感に反応するような感性を養い、ただでさえすくない発言の機会を最大限利用し、聴衆の注意を一身にひきつけ、機知とユーモア、それに論争術で敵対者を凌駕するよう心がけねばならない。(p23) 

 知識人というものは、複数の異なる規範にのっとって生活するがゆえに、物語をもたないが、ただ、なにかをゆるがす効果を発散させるのだとおもんぱかることができる。知識人は地殻変動のようなものをひきおこす。人びとに衝撃をあたえる。だが知識人は、その背景を考慮しても、また友人たちをとおしても、理解することはできない。(p89)
 

 亡命者とは、知識人にとってのモデルである。…(中略)…。おそらく周辺では、これまで伝統的なものや心地よいものの境界を乗り越えて旅をしたことのない人間にはみえないものが、かならずやみえてくるはずである。
 周辺性という状態は、無責任で軽佻浮薄なものとみられがちだが、しかし周辺性はまた、ふだんの生活や仕事において、たえず他人の顔色をうかがいながらことをすすめたり和を乱さないかと心配したり同じ集団の仲間に迷惑をかけないよう気を配る生きかたから、あなた自身を解放してくれる。(p109) 

 わたしがいいたいのは、知識人が、現実の亡命者と同じように、あくまでも周辺的な存在でありつづけ飼い馴らされないでいるということは、とりもなおさず知識人が君主よりも旅人の声に鋭敏に耳を傾けることであり、慣習的なものより一時的であやういものに鋭敏に反応することであり、上から権威づけられてあたえられた現状よりも、革新と実験のほうに心をひらくことなのだ。漂泊の知識人が反応するのは、因習的なもののロジックではなくて、果敢に試みること、変化を代表すること、動きつづけること、けっして立ち止まらないことなのである。(p110)