2016年2月21日日曜日

エイリアン


 感想:「乗るやつもっと厳選しろよ」

 遅ればせながら初めて観た。内容は言わずと知れた有名作品で、宇宙船内で異星で拾ってきた地球外生命体が暴れるという話。1979年の作品。

 乗組員(クルー)は嫌なやつ多し。筆者は最近読んだ『火星の人』や『宇宙兄弟』あたりの影響で最近は宇宙飛行士ものブームであり、長期にわたり閉鎖環境で苦楽を共にするクルー達の適性審査みたいな話をよく目にして想いを馳せているが、本作での人々は、なんというか、浅はかで、薄っぺらいやつばかりだ。1970年代の人間観はそんなもんだったのか(ヒトのエゴや怠惰や誤謬への諦観があった?)、パニックムービーとしての体裁を取るためのご都合主義なのか(ホラー映画で殺されそうな奴ばっかりだ)、まあ、そのへんが観ていて大変気になった。クルーの人間性の適性のなさがリアリティを欠いているのである。

 映像技術はレトロで、今観ると歴史的名作の風情。宇宙船のテクノロジーへの愛着が散見され、監督のリドリー・スコットが約40年後に『オデッセイ』を作ったと考えると感慨深い。体液を撒き散らすことで怖さを表現するグロテスクな描写は、当時の制作者としては精一杯の想像だったんだろう。映画の発展と共に人類の世界認識も進歩しているんだな、と観ていて思った。
   

2016年2月20日土曜日

NOVA3


 大森望編集の短編集3冊目。ハードSF色強し。

 冒頭のパロディ漫画、とり・みき『SF大将特別編 万物理論[完全版]』がスマッシュヒット。元ネタのグレッグ・イーガンの長編を読んでいたので深く心に沁み入る。

 人工知能のバイクと管理コンピュータの友情物語『ろーどそうるず』(小川一水)は友情の描き方が模範的で、お約束の空気が漂い、分かっちゃいるが感動的。SF的な科学技術と伝統的日本文化の問題が融合して問題を提起する長谷敏司『東山屋敷の人々』みたいのはだいぶ好き。難解だけどハードSFの醍醐味が詰まっている瀬名秀明『希望』も繰り返し読みたくなった。

 個人的な好みからは円城塔は縁遠いなと思った。言葉遊びのための言葉遊びって感じが今イチ。あと東浩紀『火星のプリンセス』も、アニメに理想の自己を投影するようなオタク男子の気持ち悪さが想起され好きになれず。そういういびつな自己愛が生む過度な爽やかさみたいなものがなければ、もっと好きだと思う。(シュタインズゲートが好きになれないのと同じ原理。実社会でイケてない男の屈折した美学みたいのが気になって楽しめない)

 続けて読んでいると、自分のSF的な好みが把握できて非常に有意義なシリーズ。職場の昼休み読むといい感じ。続きも読まな。
   

2016年2月13日土曜日

ジョジョの奇妙な冒険 Parte 5 黄金の風


 舞台はイタリアへ。裏社会のギャング・ファミリーの話。

 主人公のジョルノ・ジョヴァーナはあまり目立たない。組織の幹部を目指す義と侠気の男ブチャラティの方が主役級の扱い。第五部で最も重要な台詞「アリアリアリアリ アリーヴェデルチ(さよならだ)」も彼のものである。

 ボスの娘トリッシュを送り届けるあたりまでは安定して面白い。ボスのスタンド(キング・クリムゾン)の能力が第三部のDIOとかぶるのは難点。ラストの「矢」を巡ったバトルは複雑過ぎてよくわからないから読み飛ばした。ああいうのはアニメで表現してくれると理解がはかどると思う。

 悲惨な境遇に生まれ育った者たちの戦い(運命の奴隷)というテーマがあるらしいが、作者の意気込みが強いせいか表現上の作為が過剰なのが気になる。しかしまあそれもイタリアンな伊達と考えれば本シリーズ特有の味か。各キャラクターの過去エピソードの挿入はいい感じ。
      

2016年2月11日木曜日

ダーリンは70歳


 50歳の漫画家・西原理恵子が交際相手である70歳の高須克也(イエス!高須クリニックの人、美容形成外科医)との日々を綴るエッセイ漫画。

 表紙の通り可愛い絵柄で、ほっこり温かいエピソードを交えてタブーとされがちな中高年の恋愛を描くーーーなんていう生やさしいもんではなく、エグい話題が多い。東京で一番安い風俗店で働く歯がぼろぼろの風俗嬢の話とか、女性器の美容整形の話とか、性に関しては露骨でかなりキツい描写が多い。でもそのくせ、マジでいい話を混ぜてくるニクい構成。

 しかしまあ、この人は何かと戦っている人なんだと思う。「そんなちっちぇーことで悩んでんじゃねえよ!!」とでも言いたげな、猥雑で猛々しい生きる力が溢れている。人間の醜さや滑稽さを誤摩化さず、それでいて愛がある。つまりまあ、ロックな作品である。
   

2016年2月7日日曜日

オデッセイ


 感想:原作の方が面白い。

 火星に一人取り残された宇宙飛行士が生存のために知力体力を尽くす…というアンディ・ウィアー原作のSF小説の映画化。火星の景色やNASAのガジェットの再現など映像は臨場感があり素晴らしい。しかし、弱点は原作の妙味である徹底的な理論構築の過程が割愛されていること。数式やディスカッションは映像化には不向きなんだろうが、カロリー計算やらジャガイモ栽培の方法論やら、物理、化学、情報工学、植物学、栄養学など縦横無尽に操りながら、生存および地球への帰還という解を導くために総動員される科学知識を追いかける知的興奮が味わえないのが残念。

 あと、主演のマット・デイモンは個人的にはミスキャスト。原作のイメージとしては、ジム・キャリーレベルの天真爛漫な陽気さが欲しかったところ。寡黙で燻し銀な男の皮肉なジョークは原作とはズレている。

 総括として、原作の理論的な説明やイベントを時間軸の関係でいろいろ端折って、アメリカンな娯楽映画に仕立てたという印象。映画も悪くないけど、理系の素地がある人には絶対に原作の小説がオススメ。映画は非理系の人も楽しめるように簡略化されている。
   

2016年2月6日土曜日

パニック・ルーム


 「パニックルーム」という防犯用の部屋に閉じこもって母娘が強盗と戦う話。
 
 今まで観たデイヴィッド・フィンチャー監督の映画の中では一番面白くなかった。映像的にはフィンチャー作品らしい雰囲気(暗い色調、控えめで暗いBGM)だけど、内容はB級のサイコホラーって感じ。物足りないのはゴーンガールファイトクラブのような底意地の悪い皮肉がないせいだと思われる。

 本作は凡作だと思うが、フィンチャーは風刺の効いたブラックジョークの名手だということを自分の中で再確認できた。その要素が抜けると、ただの暗い雰囲気の月並みな娯楽映画の人になってしまうらしい。ベンジャミン・バトンしかり。
   

2016年2月5日金曜日

 斬首ということは無機物を機械的に斬るのではなく、人間が人間を斬るのであるから、斬る人間と斬られる人間とのあいだに一つ一つの場合でそれぞれ異なった心理的触れ合いが生じるのである。したがってつねに偶発性をともなって斬り手の心理なり感覚を揺り動かす事件が絶えない。それに対する抵抗素がいくらできていたとしても、その衝撃はいつまでも尾を曳いて残るものであり、そもそもが人間としての反自然的行為なのであるから神経を昂らせる。とくに多量の血を見ることは本能の最も奥深いところにあるものを刺戟するらしく、生臭い血の臭いに触発されて、斬り手の全身を酩酊させる。それを<血に酔う>と言っている。

・・・

 元禄から明治初期までの7代250年にわたり処刑の斬首の専門家をしていた山田浅右衛門の一族の話。幕末の激動の時代、劇的に社会構造が変化する中で家業を失い、誇りを奪われ、運命に翻弄される一族の悲劇がメイン。7代目山田浅右衛門を襲名する吉亮を主軸に物語は進む。

 膨大な歴史的史料を参照しながら展開していく歴史小説のスタイルは司馬遼太郎に近い。可能な限り史実により沿い、所感や私見を織り交ぜつつ作者・綱淵謙錠が滔々と語る。漢文や文語体の引用が多く、重厚な内容だが慣れてくるとグイグイ読める。

 「国家に傷つき、社会に傷つき、隣人に傷つき、友人に傷つき、父母に、子供に、恋人に傷つき、それでもなおなにかを信じてじっと耐え忍んでいる方々」にこの本を読んでほしいと作者はあとがきで語る。一つの道に徹しようとし、時代や社会が変化する中でその正当性は揺らぎ、悩み苦しみ、それでも生きていく。普遍的な主題であり、それゆえに胸に響く。

 世間を知り、人生を知り、大人になるほどに深く味わえるようになるだろう。いつかまた読みたい。
    

2016年2月2日火曜日

アニー・ホール


 1977年ニューヨーク、偏執狂の変人男のロマンス。

 途中、何を表現したいのかよく分からなかったが、最後まで観てなんとなく分かった。女という理屈の通じない生き物の不条理と情愛を描きたかったんだろう。衒学的で神経症的なコメディアンの主人公の人物像は監督兼主演俳優ウディ・アレンの精神分析的な自己考察による産物であると推察される。まさに”A nervous romance”。

 精神分析が流行ってたんだな、という時代の空気が随所から伝わってくる。意味の分からないものを知った口して語るのが格好よかった時代なんだろう。

 ゴダール作品に似たわけのわからなさが溢れる作品であるが、いろいろ内包していて芸術的考察談義に花が咲く作品だと思う。不思議に観賞後感は良い。
   

2016年2月1日月曜日

カランコロン漂泊記 ゲゲゲの先生大いに語る


 水木しげるが2000年頃(1922年生まれなので70代後半くらい)に連載していたエッセイ&コミックエッセイ。文章と漫画が半々。

 主に幼少期や戦時中の思い出話など、ドライでユーモラスな作風で淡々と回顧が続くが、戦争で人の死を沢山見てきた人間の描写だと考えると凄味がある。顔見知りの兵士と共に敵襲に遭い「アンパンを分けてくれなかったのを思い出して助けるのをやめた」ら相方が死んだ話など、あっさりした語り口なのに凄惨な話が多い。

 本作はいかにして「水木しげる」という巨匠が誕生したか、という歴史的史料でもある。個人的に一番好きなのは「仕事以外は全て熱心だった」という氏の父親の話。父に育まれた芸術的素養と批評精神、山陰地方の鳥取の気候と文化、南方での強烈な戦争体験、それらが組み合わさり、あの作風とあの大人物は生まれたのだ。
 
 最近、筆者は奥田民生や水木しげるなど、脱力系の作品をチョイスすることが多い(去年は立川談志と一休宗純の反骨精神がブームだった)。難しい人生の問題に難しい顔して挑むのではなく、残る生涯できる限り、呑気に生きたい。そういう気分なのである。その重要性に気付いたのである。

 知れば知るほど、水木先生はマジですごい人だったんだと思う。合掌。