2019年8月1日木曜日

浮世の画家


 戦後の日本で暮らす引退した老画家の独白小説。1986年作品。カズオ・イシグロの出世作。

 舞台は1948年~1950年の日本。主人公の小野益次(オノマスジ)は、かつて世間で名声を得た画家であり、いまや引退して隠居生活を送っている。妻と長男を戦争で亡くし、嫁入りした長女との関係や、次女の縁談の進捗に気を揉みながら暮らしている。彼が日々の暮らしの出来事に際し、戦後の価値観の転換や、かつての弟子や仕事仲間との日々に思いを馳せ、生活の中で過去を回想する。

 これだけ書くと地味な内容だが、主人公の心情のうつろいが丹念に描かれており、訳文の文章は柔らかく流れるようで、読んでいて飽きさせない。大きな事件が起きるわけでもないのに、このストーリテリングの力は特筆すべきである。とりわけ私は、作中に登場する飲み屋(みぎひだり)で芸術や世相について仲間内でわいわい語り合うような日々に憧れる。彼の生きてきた世界の空気がなんとも「いい感じ」なのである。そうした清らかで格調高い空気感を楽しむ小説であろう。

 上品で繊細な心象風景には読む価値がある。他の作品も読みたくなった。
  

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