2019年7月28日日曜日

シュガー・ラッシュ


 Disney THATERにて。ピクサー作品と思いきや、ディズニー作品だった(ほぼ同じ会社だが)。2012年作品。

 舞台はゲームセンター。新旧のゲームキャラクターたちが共存する世界で、悪役だったはずの男ラルフが、自分もヒーローになりたいと訴え、割り当てられたゲームを飛び出して…という話。日本版タイトルの『シュガー・ラッシュ』はラルフがたどり着いた別のゲームの名であり、そこでラルフは不思議な少女ヴァネロペに出会う(英語の原題はラルフのゲーム名『Wreck-It Ralph』)。なお、シュガー・ラッシュはマリオカートがモデルになっているとのこと(Wikipedia調べ)。

 『トイ・ストーリー』と同じく、脚本の教科書に載ってそうな模範的なストーリー展開。大人世代にはたまらない懐かしいゲームの要素(ストリートファイターとかマリオとか出てくる)を配置し、適度なユーモアを織り交ぜつつ、ファミリー向け娯楽映画の王道を行くドラマが展開する。その主題はなんだろうか、というのを観ながら考えた。

 キリスト教における職業召命説や、インドのカースト制度のような、自分に生まれつき与えられた「役割」の話であることは疑いないだろう。主人公ラルフは悪役であることを運命付けられており(あらかじめプログラムされており)、少女ヴァネロペは不良品であるために表舞台のレースに出ることを許されない。この映画の主題は、犯罪者や障害者に貼られたレッテル、人為的に定められた社会的な階級/分類/制約を拒否して自己実現を望む実存的存在の話、であろうと思う。一言で言えば「差別」の話。テレビゲームのグラフィックスやお菓子の甘い成分でコーティングされているが、根底にあるのはの人為的な差別の残酷さと、その超克の話。ピクサーの所在するカリフォルニア州のリベラルな思想性を感じる。

 …などと考察しながら2回も観てしまったが、楽しかった。まったくもって優等生な作品であろう。
   

2019年7月27日土曜日

三体


 巷で話題の中国発のSF長編小説をついに読了。劉慈欣(りゅう じきん/リウ ツーシン)著。原作は2008年出版。英語版は2014年、日本語版は20197月14日に早川書房より発売。

 1967年、文化大革命の名の下に壮絶な知識階級への弾圧が行われる中国で、主人公の女性・葉文潔(よう ぶんけつ/イェ ウェンジェ)の父親の物理学者が紅衛兵に殺害されるシーンより物語は始まる。そして、現代パートと回想パートが入り混じりながら、現代社会で起きる不可思議な怪現象の原因とともに、人類が直面する未曾有の危機の正体が明らかになっていく…という話である。

 これだけ書くと世間に溢れる他のSF大作との違いがわかりづらいが、本作で特筆すべきは、中国人による、中国語で書かれた、中国世界の作品であるということにある。SFは本来、英語圏発祥であり、長年にわたり英語圏の作品(および作者、読者、作品世界も含め)が業界を牽引してきたが、本作は純正のメイドインチャイナである。舞台設定や登場する固有名詞が完全に中国語圏のそれであり、そして、内容自体が抜群に面白い。タイトルにも示されている通り、本作の核となるアイデアは天体物理学における難問として知られる「三体問題」に着想を得ており、精密に構築された世界観と衒学的な理論的解説を読みながら、知的興奮を味わえる。他にもVRのゲーム世界との往還や、悲恋やミステリ、人文科学的な思弁の要素もあり、娯楽作品として非常に贅沢な内容となっている。ヒューゴー賞をはじめ世界中の文学賞を総なめにしており、その面白さは折り紙つきである。

 科学技術や経済的な発展にとどまらず、文化や娯楽においても中国語圏の世界は進化している。良質なフィクションを堪能した若い世代は、やがて、さらなる高みを目指し創作を始めるだろう。長らくアジアの文化面を先導してきたという自負がある日本人としては悔しいが、この事実を認めなければならない。中国語圏の文化面での躍進は、本作を読めば疑うべくもない。

 これは全三部作の第一部に過ぎないらしい。続きが楽しみだ。
    

2019年7月25日木曜日

トイ・ストーリー

  
 今更ながら、我が家にDisney THEATERが導入されたのを機に初めて視聴。1995年作品。

 ずっと気にはなっていたが、なかなか観るチャンスがなかった。スティーブ・ジョブズの信奉者でもある私は、彼がしばしば言及するピクサー作品のマインドについての予備知識はあった。児童向け作品であろうと妥協せず、コンセプトを徹底的に練り、娯楽性とともに革新性と普遍性を追求する製作陣の熱い魂と高い技術によって、その時点における最高の作品を実現したのだろう…と予想して観始めた。

 ふつうに面白かった、というのがまずは最初の感想。娘の世話もそっちのけに展開に見入ってしまった。少し時間を置いて、本作品の歴史的意義に関して考えたのだが、これはハリウッドが培ってきたエンターテイメント映画の黄金律と最新のコンピューター技術の融合だった、というのが重要だったと思われる。手書きではなく、コンピューターにより、子供も大人も魅了する質の高い映像作品が作られることを世に示したのは、90年代当時においては、新時代の到来を告げる衝撃的な事件だったんだろう。今となってはフルCGのアニメーションは当たり前だが、その草分け的な最初の作品が圧倒的なクオリティだったのは特筆すべき点だろう。

 お調子者の西部劇のヒーローであるウッディと、最新のデザインながら柔軟性に欠けるバズ・ライトイヤー。旧と新、柔と剛、新参者への反目と、冒険を通して醸成される信頼関係。脚本の教科書に載りそうな模範的なプロットだが、時代の変化における混乱と適応など、人間社会における普遍的事象をおもちゃの世界を用いて描いた戯画になっている。基本設定は子供向けながら、随所に思想性を感じさせ、製作者の「哲学」が感じられる点が、批評家筋にもウケる理由だろう。パソコンやインターネットによる技術革新に直面した大多数の大人は、バズ・ライトイヤーに直面したウッディと似たような反応を示しただろう。

 観る価値のあるシリーズだとわかったので、続きも観たくなった。
   

2019年7月20日土曜日

7年目


 認知革命以降は、ホモ・サピエンスの発展を説明する主要な手段として、歴史的な物語(ナラティブ)が生物学の理論に取って代わる。キリスト教の台頭あるいはフランス革命を理解するには、遺伝子やホルモン、生命体の相互作用を把握するだけでは足りない。考えやイメージ、空想の相互作用も考慮に入れる必要があるのだ。
ユヴァル・ノア・ハラリ 『サピエンス全史』 p55

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 このブログの筆者である私は、ふだん精神科医の仕事をしている。基本的には医学的知識に基づいて診断や治療方針について判断するわけだが、精神医学という領域の特殊性として、患者の精神世界を適切に把握し評価する必要がある。だがしかし、例えば元暴走族のとび職のおっちゃんや、漁村の集落の人間関係に悩むおばあちゃんの精神活動の正常と異常の境目について、すべての精神医療者が適切な判断ができるのだろうか。勉強ばっかりしてきた温室育ちのお坊ちゃんお嬢ちゃんにはわからない力動が、この世界にはたくさんある。そうした、人間の心を理解しようとする試みの限界の自覚が、このブログを続ける動機の一つにはある。物語を読むことで知ることができるのは、自分以外の誰かの人生である。

 良質な物語は、苦しむ人の心を救うためのツールでもある。人生に思い悩み、現実世界の残酷さや退屈さに打ちひしがれ、蝕まれる心に活力や希望を与えてくれるのは、良質な物語である。私にとってもそうだったし、世界中の多くの人にとってもそうだろう。

 これらの話は以前にも繰り返し書いてきたので、もう少し前に進める。
 「道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」という二宮尊徳の言葉がある。このブログ(この研究会)の理念や目標については、過去に書いてきた通りだ。作りたいのは「物語のセレクトショップ」であり、店舗として具象化されたカフェである。何らかの方法で収益を上げることが持続可能性となり、ピュアな理念や目標をリアライズ(現実化)する。ではその「方法」とは何か。

 私が今考えているのはクラウドファンディングとアフィリエイトである。
 クラウドファンディングによりカフェの開始資金を集める…というのはこのブログの内容を武器に本気を出せば実現可能だとは思っているが、今の私にやり方を勉強したり、それらのリスクに対処する時間的余裕がないため、後者のアフィリエイトを考えている。

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 というわけで、少しブログをカスタマイズし、TwitterやAmazonアソシエイトと連動し、広告活動とマネタイズの要素も徐々に取り入れていきたいと思います。

 精神の健康、人生の充実、世界の平和と繁栄。
 それらに必要なのは、良質な物語である。
 そんな物語に出会える場所を作るための活動。

 それを、もう少し続けていきます。

 最近寂しいのでコメントも待ってます。

(追記:Twitterはhttps://twitter.com/narrativemasterAmazonアソシエイトは投稿記事の下の方に随時追加予定
(追記2:Amazonアソシエイトが承認してくれなかったので収益化はしばらくお預け
  

2019年7月4日木曜日

こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち

   
 昨年、大泉洋主演で映画化になって再度話題になったので気になっていた。「介護関係者のバイブル」という宣伝文句も目にした。電子書籍のDolyを導入したのを機に買って読んでみたが、成程、これはバイブルにもなるわ、と思わず膝を打つほどの名作だった。

 進行性の神経疾患である筋ジストロフィーという疾患に侵された鹿野靖明という男性と、介護のために集まったボランティア人々の物語である。全身の筋肉が萎縮し、人工呼吸器に繋がれ、自身では寝返りもできない鹿野だが、世間一般の「障害者」のイメージとは異なり、ワガママで、惚れっぽく、寂しがり屋の変人だった。そんな型破りな障害者である鹿野氏の闘いの日々と、奇妙な縁で集まったボランティアたちの心情の変化が、ドキュメンタリー風の文体でだらだらと続く。

 本作は2004年の大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。作品の主題については、障害者のノーマライゼーション、というのが当てはまると思う。読みながら、『リアル』のヤマは鹿野と同じBecker型の筋ジストロフィーだったんだな、と遅ればせながら気づく。彼らは物言わぬ慈しみの対象ではなく、生々しい欲望や感情を持った普通の人間であるということ。世間の目の届かないところに押しやられた生者の叫びを、この作品では活写している。

 舞台が札幌で、部活の先輩も出演しており味わい深かった。介護関係者、医療関係者は読んでおくといいだろう。現場で直面する答えのない問いに、何がしかのヒントを与えてくれる。
    

2019年7月1日月曜日

ジェネレーション〈P〉


 読書好きの同年代のロシア人に勧められた本。「現代ロシアで最も支持される作家の代表作」という宣伝文句にも後押しされたんだったか。ヴィクトル・ペレーヴィン著。原作は1999年発刊。日本語訳は2014年発刊。

 難しすぎてよく分からんかった、というのが正直な感想。舞台は1990年代、ソヴィエト崩壊後の混乱の最中にあったロシアで、主人公の青年タタールスキィが広告会社で働くことになり…という話である。共産主義に生きていた人間が資本主義的活動の最たるものである広告宣伝の仕事をする…というところに面白みがあるわけだが、ソビエト社会の細部にわたる予備知識がないと深くは楽しめないのではないかと思われる。

 日本語として読みづらく、悪文という気がするが、訳がまずいというより、ロシア語自体がこんなノリの言語なのではないかと思われる。厳めしく衒学的な語り口でエグいジョークをかまし、冷徹に笑う。そんなロシア人の精神構造が垣間見えた気がする。膨大な情報量と、シニカルな批評精神の横溢。

 21世紀のロシア精神への理解はまだ遠いな、と思わされた1冊。マジで分からんかった。