2018年2月28日水曜日

「空気」の研究


 山本七平著、初出は昭和52年(1977年)、日本人の思考および行動に強く束縛を与える『空気』に関する論考の書である。佐藤優が薦めていたので昔買ったものを再読。

 私個人の考えだが、人を動かすのは「論理」と「空気」であると思う。「論理」は学校の勉強の延長上にあるものであり、合理的に説明可能な情報の連結、といえようか。しかし、「論理」の力で一生懸命説明しても世の中の大部分の人は動かない。正当な根拠に基づき論理的な説明をしているにも関わらず相手の良好な反応を得られないために憤慨したり落胆したりする、というのが、勉強が得意な人達が社会に出てしばしば陥りがちな敗北や挫折のパターンである。特に日本においては。

 そこで「空気」の話である。太平洋戦争の時に日本軍が沖縄への無謀な特攻出撃で戦艦大和を失ったことについて当時の司令長官が述懐し、「(あの会議室の空気では)ああせざるを得なかった」と語ったエピソードが紹介されている。今考えると(当時としても)作戦はあまりに無謀であり、一言でいうとただのバカである。しかし、そのバカのせいで数千人単位の死者を出したり、戦局が大きく劣勢に傾き日本が敗戦国になったりするわけだが、賢い人達がなぜバカな判断をするのか、という不思議な現象の仕組みを、本書では豊富な具体例を提示し、作者の宗教・歴史・社会学などの潤沢な知識を駆使して論考している。

 結論としては「空気」の存在に気付き、その性質、特に影響力と対処法を理解することが社会生活においてうまくやっていく秘訣であろう、ということ。ノリや雰囲気などが大事なのである。おそらく、電通や糸井重里あたりはそういう戦いをしている。
   

2018年2月22日木曜日

ハーモニー


 健康的な生を強制されるディストピアを描く伊藤計劃の長編小説。2008年作品。

 舞台は2070年。21世紀の初頭に起きた〈大災禍〉(ザ・メイルストロム)という人間同士が大規模に殺し合った暗黒期(おそらく『虐殺器官』と関連)を経て訪れた世界が描かれる。”生命主義”と呼ばれる思想に基づき、互いの生命を最大限に尊重しようとする空気が世界を覆っている。そこで人々は血管内に取り込まれた医療分子(メディモル)により構築された”WatchMe”というシステムにより健康状態を監視され、嗜好品の摂取や偏食など、肉体に危害を及ぼす恐れのある行為を禁じられている。日常生活においても精神衛生に害を及ぼす過剰な刺激な取り除かれ、メディアや学校や家庭での会話には耳あたりのいい言葉が溢れる。そして、そんな「優しい世界」に息苦しさを感じた少女たち3人がこの小説の主人公である。

 その息苦しさをなんと説明すればいいかと考え、ふと思いついたのが、最近、オリンピックの選手が試合後のインタビューで「応援してくれた人々への感謝」しか話さなくなった現象についてである。一見、謙虚で対他配慮に満ちた優しい世界の構成員として模範的な発言ではあるが、その実態は、たぶん、感謝を述べないと袋叩きにあうという世間の空気を表しているのだと思う。善意の皮を被った精神と行動の支配。一見もっともらしい正論で個人の自由を奪う世界の息苦しさ。本作が描いているのはそういう世界の究極形であるように思う。そして実際、現実社会も着実にそんなディストピアに近づいていると思う(ネット炎上のクソさよ)。

 もう一つ、作品の背景として、作者が骨の悪性腫瘍で入院中に一気に書き上げた作品であるという事実が、作品に宿る身体性へのリアリズムを裏打ちしている。化学療法の副作用に苦しみ、肺を切除し、足を切断し、身体的な要素にセンシティブにならずにはいられなかったであろう、と推察できる。その心境はいかなるものか……。ネット上に残されたウェブ日記などを読みながら、私はしばしば考える。

 作者生前の最後の作品となった本作には、透徹した理系の視点と遊び心が詰まっている。ぜひ一読を勧めたい。
   

2018年2月20日火曜日

J・エドガー

 
 FBIに約50年君臨した長官J・エドガー・フーバーを描いた映画。クリント・イーストウッド監督。レオナルド・ディカプリオ主演。2011年作品。

 基本的には老人の映画だ。80歳のイーストウッドが何を想って撮ったのかはわからないが、娯楽としてあまり面白くない映画作品ではあると思う。LGBTの要素もあり私の趣味ではない。格好よさ、美しさ、面白さ、カタルシスがあるわけじゃない。ただ、老醜と、惨めさと、築き上げた組織への執着や一面的な価値観では割り切れない様々な関係性が描かれる。

 イーストウッド作品の多くは不条理な世で男が孤独に筋を通す作品であり、この作品もその類型に当てはまると言えなくもない。社会に許容されない性的嗜好や吃音に悩まされた幼少期の体験が、男の権力や秩序への執着を生み出した…という月並みな分析が思い浮かぶ。

 「これが生きるということだ」というイーストウッドのメッセージだったと受け取っておくことにする。面白い話ではない。
   

2018年2月16日金曜日

FISHPEOPLE


 2017年、パタゴニア制作のドキュメンタリー映画。48分。邦題の「フィッシュピープル 海が変えた人生ついての映画」が示す通り、海と深く関わって生きる人々の暮らしを追うインタビューからなる。

 登場するのはハワイで暮らすスピアフィッシャーの父と娘、競技を捨てたサーファー、元炭坑夫の海景写真家、孤独な遠泳者など6人。彼らに共通するのは、巨大な海と一体化する体験に魅せられ、そのために生きているということ。美と残酷さを併せ持つ海の中で遊ぶことで、社会や肉体の制約を一時忘れ、心を無に近づける。環境保全の重要性を伝えるとともに、禅の悟りに近づくような思想的な側面が強い内容となっている。

 iTunesで購入してみたが、字幕音声ともに日本語訳がついていないのが難。それでも、美しい海の映像と、歓びを享受して活き活きと生きる人々の姿が、自分のライフスタイルを再考するいい機会になった。頭の中の汚れを洗い落とす手段として、彼ら彼女らの生き様を覚えておきたい。