2015年11月28日土曜日

ソラリス


 惑星を覆う海のような生き物がヒトに干渉して幻覚を見せ、基地隊員の皆が混乱する話。
 
 SF小説のオールタイムベストに選ばれるほどの作品だが、いかんせん難しくて読者を選ぶ。訳者である沼野充義の解説にある通り、主題は人間以外の知的生命体とのコンタクトであり、人間形態主義(anthropomorphism)へのアンチテーゼである。つまり「宇宙人はヒトの想像を越えた形や行動様式を持っている可能性があって、コミュニケーションをとるのは難しいかもね」という、偏屈で聡明な20世紀SF界の巨人スタニスワフ・レムの宇宙進出を始めた人類への警句が込められている(初出は1961年、ロシアの人工衛星スプートニク打ち上げ成功は1957年)。

 初読で理解できるかどうかは別として「これぞSFだ」というエッセンスが詰まっている。作中で繰り広げられるソラリス学の衒学的な議論から、主人公ケルヴィンとハリーの悲恋の物語まで、知的刺激と人文学的な感傷を味わえる。

 タルコフスキーとソダーバーグの監督で2回映画化されているが、レムはどちらも「全然分かってない」といって不満を爆発させている。安易な単純化を許さない知的営為としてのSF。内容は複雑で難解だが、理解しようとし続けることで成熟した人間観や世界観を得ることができる。そういう作品…だと思う。
   

2015年11月23日月曜日

め組の大吾


 スポ根系成長物語な消防士の漫画。

 御都合主義が強く、突っ込み所は沢山あるが面白かった。見ていて気恥ずかしくなるような主人公の純粋さ、普段は嫌な奴だがいざという場面で頼りになる好敵手、など、サンデーの少年漫画の様式美や哲学が凝縮されている。

 正直、主人公の朝比奈大吾はやり過ぎで、現職の消防士が読むと失笑や怒りが抑えられないんじゃないかと推察される。しかし、危機察知能力と機転に長け、リスクを恐れず暴走しながら成果を挙げる型破りな天才に振り回される周囲との軋轢や葛藤など、人情の機微がうまく描けており、純粋に王道の娯楽として面白い。少年漫画だしこれくらい分かりやすくていい気もする。

 ミームは伝達する。五味所長から大吾、大吾から甘粕士郎や落合先生へ。
 人から人へと波及する勇気や情熱が、読む人の心を動かす。
 単純に読んでいて楽しい佳作だった。
      

2015年11月10日火曜日

ルシファー・エフェクト ふつうの人が悪魔に変わるとき


 人間の悪はいかにして生まれるか、を徹底的に考察した大著。

 スタンフォード監獄実験で有名になった心理学の教授が、自身が行った監獄実験で得た知見を敷衍し、膨大な研究報告や人文学的な資料を参照しながら、「どこにでもいる普通の人」をいじめ、テロ、虐殺、拷問などの残虐行為に駆り立てる共通の因子を解き明かしていく。後半では実際に起きた軍事スキャンダルである、イラクのアブグレイブ刑務所での米兵による捕虜虐待について検証を進める。

 結論を言ってしまえば、人間の悪性を引き出す要素は、行為者の没個性化、攻撃対象の非人間化、傍観者の黙認、に還元できる。ヒトは時代や場所を越えて、普遍的に向社会性をもつ生き物であり、「集団に打ち解けたいという欲求」に駆られ行動し、「いくらやってもおとがめを受けない」と分かったとき、攻撃性や残虐さが増幅する。

 匿名性とレッテル貼り。耳触りのいい言葉の置き換えによる行為の正当化。学校や職場でのいじめや人種差別、近年のマスメディアやネット住民による特定の相手への集団リンチのような個人攻撃はこの原理によるものだということが容易に分かる。誰かを皆で攻撃することで一体感を得られる状況、いくらやっても自分の評判を傷つけることがない状況になると、人は残酷になるのだ。

 この本の主張の特筆すべき点は、個人の特性にかかわらず、取り巻く状況とシステムが被影響者の残虐さを引き出すということ。人の善性や悪辣さは状況に左右されるものであり、つまりは「いい人も悪い人もないっていう理論」(REM)なのだ。近所や職場で評判の良き家庭人さえ、状況が変われば無慈悲な虐殺者に変貌する、ということが人類の歴史では繰り返されてきた。同じ状況に置かれたら、誰だって加害者になりうる、という警鐘を鳴らそうというのが作者の意図である。

 そして、個人を変容させる巨大な力に立ち向かう方法にも本書では触れている。その内容は、、、このブログで目指すものに近いと思った。自分の好悪の感覚を研ぎ澄ませ、心を言葉で表現し、自らの名の下に表明し、共鳴する仲間を見つける、というものである。自分がいいと思ったらいいと言う。イケてないと思ったらイケてないと言う。言いづらい雰囲気の時こそはっきり言う。その勇気があれば、集団力動が生み出す悲劇を防ぐことができる。

 主張は明快で、しっかりと腑に落ちる良著だった。
 世界平和の実現のためにこのブログも続けねばなるまい、と思った。
     

2015年11月4日水曜日

レベルE


「あいつの場合に限って 常に最悪のケースを想定しろ
 奴は必ずその少し斜め上を行く!!」

・・・

 筆者が中学生の頃に出逢い感銘を受けた漫画だが、今読んでも最高だった。

 宇宙一の頭脳とひねくれきった性格を持つドグラ星の王子が地球を訪れ、彼の退屈しのぎに周囲の人々が巻き込まれ、騒動が起きる。異星人との交流というSF的な舞台装置を使いつつ、ミステリ要素の強い会話劇がメインで、基本的には1話完結のショートショートな形式。
 
 何がいいって、やはり富樫節ともいえる登場人物の掛け合い。チンピラな雪隆、苦労人の護衛隊長のクラフト、悪ガキなのに分別があるカラーレンジャーの小学生らと、他人を玩具にして愉しむ外道である王子との熾烈な応酬が楽しい。もはやネットで定型句となっている「予想の斜め上をいく」というフレーズの元ネタなど、会話中で入り乱れるキレのある言葉のチョイスがひたすら心地よいのである。

 作者30歳の時の作品らしいが、王子は作者の理想像を具象化したオルター・エゴなんだろう(『ファイトクラブ』のタイラー・ダーデンのような)。筆者が今読み返して感じたのは、王子の圧倒的な悪ふざけの底には、諦観ともいえる、ある種の達観した生物観や宇宙観があるのではないかということ。形骸化した道徳や、硬直化したシステムが生む閉塞感、矛盾と対立に満ちた現実の諸問題を解決するために、道化に徹するあのスタイルに辿り着いたのではないか。作者の意図があったにせよそうでないにせよ、作者は直感的に、真実を炙り出すための道化の必要性を感じているように思う。観る者の認識を引きずり回す悪ふざけと風狂は欺瞞の仮面を剥ぐ。最近サンデーとチャンピオンの少年漫画を読んでて足りなく思ったのがこの要素。表層的な理想だけじゃ足りないのだ。強い知性をもつ人道主義者は、しばしば偽悪や道化に至る。封神演技の太公望のように。

 笑いと問題提起に満ち、読んでいて楽しい。皮肉が利いていて、底には深い愛がある。大人の知的娯楽の一つの完成形に思える。プロットが練られ過ぎていて初読で理解が困難でも、読み返す程に味が出る。筆者はこの作品の面白さが分からない人とは友達になれない自信がある。
   

2015年11月1日日曜日

うつうつひでお日記


 『失踪日記』の吾妻ひでおの漫画絵日記で綴る日常。

 漫画を描き、麺を食べ、SFを読み、お笑いと格闘技をテレビで見るだけの日々がただ延々と続く。行動範囲の9割は自宅と図書館と書店のループ。時々、喫茶店で漫画で編集者と打ち合わせが入る。あとは治療中のうつ病の病状の話など(診断、処方は前時代的だ)。挿絵で執拗に描かれる十代少女には偏執狂的なこだわりを感じる。

 目黒考二『笹塚日記』にも通じる筆者の理想のライフスタイルの一つである。40後半くらいになって馬力がなくなってきたらこの生き方にシフトしたい気もする。読んで、食べて、他人の仕事に文句つけて、自分は少しだけ働く。なんと羨ましい。

 自分に正直。ある意味非常にロックだ。