医師になってから読むと、医学部時代に再読した時とはまた違う発見があった。
全か無か思考、独善性、特定の患者以外の他者への共感能力の乏しさ、衝動制御能力の乏しさ、など、学力偏差値は高いんだろうが(たぶんモデルは慶応の医学部)社会人としての協調性やバランス感覚を欠き、認知や行動の偏りが年齢不相応に著しい。偏りが大きい人(「変わった人」と言われがちな人)というノイズを混入させることで、腐敗した医療現場の実体を浮き彫りにし、硬直化した権力構造に瑞々しい変化を誘発させる触媒にする…という意図が作者にあったことは明白だが、一言で言うと「パーソナリティ障害っぽい」のである。正義漢と言えば聞こえがいいが、実際にはうまくいってるものまでぶち壊すトラブルメーカーとしての側面が強く、実際職場にああいう人が1人居ると雰囲気は悪くなりっぱなしだろう。
この作品には「大学病院の医師は絶対悪である」というテーゼがある。「医者なんて保身と出世が最優先の俗物の集まりだ」という制作者の揺るぎない信念があり、私に言わせればそうした表現は大学病院で懸命に研究や臨床に取り組んでいる医師を侮辱している。確かに、人間として尊敬に価しない医師はいるだろうし、中には全力で糾弾すべき職業倫理に欠けた俗物や極悪人もいるだろう。しかし、この漫画のように揃いも揃ってイヤな感じに描かれるほどかというと甚だ疑問である。
ちなみに、この漫画の連載直前の2000年にWHO(世界保険機構)から日本の公的医療制度は世界最高の評価を受け、OECD諸国でも最高水準の健康指標(寿命、乳児死亡率)を達成していた。「大衆は豊かになると左傾化する」という仮説を私は常日頃いだいているが、世界最高レベルのアクセスとコストパフォーマンスで現代医療の恩恵を享受できていた日本国民が「この国の医療は腐ってる!」と叫ぶ漫画に熱狂したことは意義深い点だと思う。そりゃ村上先生だって怒るよ、てなもんである。
旧日本軍とか、大蔵官僚とか、経団連とか、反日教育とか、どこかに絶対悪がいることを想定しないと成立たない自我に危うさを感じる。大きい声で悪口ばっかり言っている一部の民主党議員や人権活動家や隣国の人に通じる、内省に欠けた空虚で他責的なパーソナリティを彷彿とさせるのである。
感動的な話もあるし、考えさせられる話もある。抗がん剤と家族の話はとりわけ痛々しくて胸に迫る。(視点に偏りはがあるにしても)新生児医療の話は現場の過酷な実情を丹念に描き、生命倫理の問題意識を人口に膾炙したという点においてその意味は大きい。何より、医療の問題を漫画という形式でジャーナリスティックに取り上げるというこれまでにない形式を確立したという業績は重要である。精神科患者への偏見(スティグマ)がテーマの精神科医療の話も描写や説明に違和感はなく、よく調べて描いているように思う。絵とストーリーで表現する漫画という形式は分かりやすくてインパクトが大きく、一般大衆への訴求性がハンパ無いのである。
「新」の移植に関する倫理委員会とか学内政治とか、現実ではどうなのか気になるところ。
返信削除マンガの序盤のシーンにあったように、外科は超体育会系っていうのはO君の結婚式の余興の裸踊りを見て確信した。
新の方は読む機運が高まったらチェックするかな。自分も腎移植の術前の精神科的な評価はやったことあるので、読んだらツッコミは入れられるかもしれない。
返信削除漫画の裸で乾杯よりもっとエグく汚いエピソードは沢山あるよね。品や道徳を重んじる良い子には厳しい世界なんだとつくづく思います。