2016年11月11日金曜日
2016年11月9日水曜日
ピダハン 「言語本能」を越える文化と世界観
アマゾンに住む400人弱の少数民族ピダハンの言語と文化の話。
ピダハン語には抽象言語が存在しない。だから、数がない、右と左の区別もない、色もない、神もいない、挨拶や感情表現の言葉もない。彼らは直接体験を重視し、言語表現は主に質問、宣言、命令に限られる。そんな言葉を操る彼らは人生全般の苦悩や葛藤とは無縁で、朗らかで、活発で、不安や慢性疲労やパニック障害に悩む人間は皆無だという。MIT(マサチューセッツ工科大学)の脳と認知科学の研究チームに「これまで出会ったなかで最も幸せそうな人々」と評されたりする。
言語の構造は使用者の意識を規定するが、ピダハン語では語る者の「直接体験」が重視されることの影響が大きいように思える。禅の発想に近く、言葉にとらわれて原始的な生命の機能を損なっていない感じ、といおうか。読んでいて筆者は、パニック障害の生涯有病率は先進国で発展途上国の5倍近いという疫学調査を思い出した。
ピダハン語の研究のために約30年にわたるフィールドワーク(ピダハンの村で実際に生活)の結果、キリスト教の宣教師だった著者も無神論者に転向してしまう。キリスト教の教義は抽象的で、罪悪感を植えつける社会装置であるという側面があり、ピダハン語が形成する文化社会とは馴染まなかったということだろう。
魚を獲って、隣人と遊び、そのうち死ぬ。それだけで人生は素晴らしい。
2016年11月8日火曜日
ミッション:インポッシブル
ここに来て初めて観た。1996年作。トムクルーズのスパイ映画。
前情報一切なしの感想としては、英国007シリーズへのオマージュとして米国ハリウッドで制作したのかと思った。スパイ映画の王道の展開にアメリカンな要素が入っている。チームの絆とか、SFXの派手なアクションとか。
で、調べてみると、アメリカのテレビドラマの『スパイ大作戦』(というのは日本語訳で、原題は MISSION:IMPOSSIBLE)の映画版らしい。そして、『スパイ大作戦』は1962年に初めて映画となった007シリーズを真似てアメリカで作られたシリーズっぽい(ネットで得た情報)。007は英国の諜報機関(MI6)のジェイムズ・ボンドの話、ミッションインポッシブルは米国の諜報機関(CIAの中にあるIMFというチーム)のイーサン・ハントの話。どっちも制作は米国。でも、お互い無関係。なんたる分かりづらさ。
細かいことを気にしなければ楽しめる。まあ、いっぺん観とけばいいと思う。
2016年11月6日日曜日
魔法つかいプリキュア!奇跡の変身!キュアモフルン!
娘とイオンシネマで観てきた劇場版である。
プリキュアをじっくり観るのは初めてだが、なかなか発見が多かった。
まずは商業主義が生み出した作品という印象が強い。『ドラゴンボール』や『セーラームーン』などで先人のクリエイター達が手探りで見つけた感動の黄金律みたいなものを抽出し、いいとこ取りで組み合わせている。そして、幼稚園児、小学生、父母世代、アニメオタクのおっさん、まで広くマーケティングして徹底的に研究し、消費者のツボを押さえる要素を丁寧に配置した優等生的作品という仕上がりになっている。魔法、少女、友情、慈悲、自己犠牲、他作品へのオマージュ、みたいな。路線は違うが制作者側の原理は『妖怪ウォッチ』に近いと思われる。
結果としてどうなるかというと、展開はお約束の連続で読みやすく、もはや定型となった萌え要素や感動の記号に既視感が生じる。キラキラした可愛い雰囲気で豪華絢爛だが、なんともいいようのない空虚さや無機質さがある。優秀なAI(人工知能)に大ヒットするアニメを作れと命じたら、きっとこういう作品ができるんだろう、という感じ。
などと筆者が考える横では、娘は夢中でモフルンライト(劇場特典)を振って楽しんでいた。娘とこのような作品を休日に楽しむという体験は、『ボウリング・フォー・コロンバイン』的な悲劇の対極にあるように思う。あざといコマーシャリズムが生み出す娯楽に満足できないとしても、蔓延するヘイトや戦争よりはよっぽどいいものではあるんだろう。
P.S. キュアモフルンが可愛かった。
2016年11月3日木曜日
ボウリング・フォー・コロンバイン
動画サイトで見つけて10年ぶりくらいに観た。1999年のコロンバイン高校銃乱射事件に材を得たマイケル・ムーア監督のドキュメンタリー。2003年作品。
「どうしてアメリカでは大量の銃による殺人事件が起こるのか?」という問いの答えを求め、監督が自らアメリカと隣国のカナダを駆け回る。テロ事件の犯人の家族、町行く人、事件の被害者、アメリカ銃協会(NRA)の会長など、突撃インタビューで生の声を集め、真相に近づこうとする。
しかし、映画の結論としては「よく分からん」。タイトルが暗に示しているのだが、アメリカで銃による殺人が突出して多いことの直接的な単一の原因は見つからない。とはいえ、監督の頭の中ではその原因はほぼアタリがついている。経済格差や人種差別が生み出すヘイト(憎しみ)やマスコミが植えつける恐怖、そこに銃器への容易なアクセス(手に入れやすさ)が加わると多くの銃犯罪が起きる。(編集による印象操作もあるらしいが)本作品はそれを明示しているように思える。
凝縮した憎しみor恐怖or絶望+簡単に手に入る銃=犯罪。それが明白な答えに思えても、立証は難しい。無差別の大量殺人が起きるのはいつも、どこでも、似たような原理なのだと思う。
2016年11月2日水曜日
真実 新聞が警察に跪いた日
新聞社と警察の腐敗を暴く元記者のノンフィクション。
今年は警察の不正関係の本(参照 その1、その2)を読むことが多かったが、これも中々。北海道新聞社(道新)の元記者らが中心となって2003年から2005年にかけて調査報道した北海道警察(道警)の裏金問題と、それに対する報復の話。
警察、新聞社いずれの側も、個人を潰す組織の論理は残酷で、狡猾で、知るほどに暗澹とした気持ちになる。作者は「(組織人ではなく個人としての)悪人はどこにもいない」と考える場面があるが、本当にそうなのかもしれない。ここでも『ルシファー・エフェクト』、すなわち、個人が集団に帰属することで悪へと傾く普遍の原理が働く。役職と組織の名で加担者を没個性化して罪悪感を軽減し、集団への帰属を強化させ、傍観者は黙認する、ということ。
たぶん、この本のようにありのままの事実を書籍化し、世間の日の目を当てさせる、というのが一つの正解なんだろう。組織の闇に巣食う嫌気性の怪物を倒すためには、光を照射すべきなんだろう。このような裏金作りや恫喝などの悪事は、インターネットの登場により露呈しやすくなったが、昔はやり放題だったんだろうなと思い知らされる。
組織と戦う個人への教訓のテキストとして、本書は普遍の価値を持つだろう。
アンモラル・カスタマイズZ
この仕事始めてから「自然体」がいかに不自然かがよくわかったぜ
・・・
世の女性のオシャレを斜に構えて見る漫画。全1巻。
月刊牛丼、週刊風俗大王などを出版するグリズリー出版(社員は全員男)が女性ファッション誌を創刊し、悪戦苦闘する話である。本ブログ筆者がcakesで連載中の作者カレー沢薫のコラム(ブス図鑑)を愛読しており、本業が気になったので買ってみた。
全編を通し、『銀魂』のノリでオシャレな人達をディスる感じ。(たぶん)成人女性向けのギャグ漫画だが、筆者としては20代の女性が駆使するトリックに翻弄される男性諸氏に奨めたい。「ああ、そういう仕組みだったのか」と腹落ちを繰り返し、夢から醒め、諦観に至る。それがいいことなのか悪いことなのかはわからないが、深く成熟し、成人女性に対する透徹した視座を獲得できるだろう。峰なゆか『アラサーちゃん』と並び、心の専門家を目指す人に奨めていきたい。
別件だが、同作者の 「”美人は三日で飽きるがブスは三日で慣れる” はブスが考えた言葉」という格言は圧倒的に含蓄が深いと思う。
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