Here in my mind.
You know you might find.
Something that you.
You thought you once knew.
But now it’s all gone.
And you know it’s no fun.
Yeah I know it’s no fun.
Oh I know it’s no fun.
(俺の頭の中に、見つかるかもしれない。
君がかつて知っていたはずの何かが。
だけど、それは今やなくなってしまった。
それじゃ楽しくないって分かっているのに。
そう、それじゃ楽しくない。
そう、そんなんじゃ楽しくないんだ。)
Whatever/oasis
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「将来、漫画喫茶をやりたい」という表明は今も続けている。大学生の頃から抱いている理想の軸の部分は全くぶれていない自信があるが、どうしても譲れない信念(というと大袈裟だが)を生み出したのは、筆者自身のほぼ心的外傷ともなっている実体験によるものが大きいと思う。
「好きな本や漫画や映画の話をできる相手が欲しい」と切実に思ったのが大学の最初の2年間くらいだった。筆者自身、友人や兄妹や出逢って日が浅い相手でも、そういう話題を共有できた時が幸せだったし、その後、現在に至るまで仲良くやれているのはそういう趣味が合う人たちだと思う。しかし、大学の最初の2年間くらいは周囲に(すなわち大学構内に)そういう仲間を見つけることができず、日々孤独を深め、貴重な青春時代が空費されていくことへの焦燥が募るばかりだった。
で、当時の私なりに必要なものを考えた末、辿り着いたのはこれだった。社交性や美的感覚に欠けるオタクの集団とは違う。どこかの雑誌から拝借したライフスタイルを背伸び気味に着飾る薄っぺらい生き様とは違う。自分の好きな物を偽らず、共有できる相手が見つかる場所。心から愛せる漫画や映画や小説が置いてあり、そうした作品を心から愛する人たちに出逢える、そういう空間。
漫画『金魚屋古書店』やスティーブン・キングの中編『マンハッタンの奇譚クラブ(原題:The Breathing Method)』がイメージに近い。一気飲みを強制される飲み会や、大学デビュー勢の安っぽい色恋や馬鹿騒ぎに馴染めない人たちがやって来て、自分の趣味嗜好を再確認できる場所。仕事で忙しい社会人がサボって一息ついたり、日々を放漫に過ごす夢追い人が毎日通って自我を保つのに一役買うかもしれない。そういう心のオアシス(陳腐だが、敢えてこう喩えよう)を具象化する方法を考えた結果、これしかない、と大学4年生頃に辿り着いた結論が漫画喫茶の経営だったと思う。学生時代の筆者自身がそういう場所を、ひたすら欲していたのだ。
立地(北大の近く)、予算(数百万円?)、内装(シンプルで快適)、維持費(テナント代や光熱費)、食べ物(ドーナツ)、飲み物(コーヒー)、雇用(学生バイトは必須)、利益を得る手段(古書の売買とか)など、素人なりにボチボチ調べつつ、実現可能な範囲内で構想は進んでいる。
コンセプトの一つは「すごくセンスのいい友達の部屋」。そいつがお勧めしてくる本や音楽や映画にハズレはない。毎日通っても、久しぶりにお邪魔しても、居心地がよくて、ついつい長居してしまう。そういう友人が学生時代に欲しかったし、今も欲しいし、できるものなら自分も誰かにとってそういう友人になれればいいと思っている。
…なんていう夢を、いい大人がガチで追い求める。そんな社会実験の試みの記録の一形態として、このブログは存在している。退屈で、大変で、息苦しくて、摩耗しがちな社会生活に休息を与える場所を作り出すために。『ショーシャンクの空に』のアンディみたいな感じで淡々と、揺るがずに、準備を進められればいいと思う。数年続ければ実現できる気がしてならない。引き続き、御笑覧いただければ幸いです。