2015年8月29日土曜日

地獄


 開高健が人生相談(風に訊け)で「自慰に使う本はなんですか?」という読者の問いへの回答として書いていた本。曰く「吉行淳之介もそうだと言っていた」。フランス人作家アンリ・バルビュス作の小説。

 青年がパリの安宿に泊まると、部屋の壁に小さな穴を見つけ、隣の部屋の様子が覗き見できることが分かった、、、という変態エロチック小説。と期待させておいて、割とヒューマンに若造が人間の真実に思いを馳せるという青春小説。

 様々なバリエーションの男女の秘め事を覗き見て、青年が考えに耽る。前半はエロがメイン。中盤には死が絡む。性と死と懊悩。まさしくフランス文学。

 面白いかと問われると、やや難はある。


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 人生の秘密が知りたい。ぼくは多くの人々や群衆や仕草や顔つきを見た。華やかな光栄のなかにあって「わしはほかの連中よりも勘がいいんだ、わしは!」という口を見た。人を愛し、人から理解されようとする戦いも見た。話しあうふたりが互いに相手を受けつけまいとする拒絶や、恋人同士の争いも見た。その恋人たちは互いに釣りこまれて頬えみあいながらも、名ばかりの恋人で、接吻に憂身をやつし、悩みをいやすために傷口と傷口で抱きあうが、ふたりのあいだにはなんの愛着もなく、表向きは有頂天にのぼせていながら、実は月と太陽のように赤の他人なのだ。ぼくはまた恥しいみじめさを告白するときだけわずかに心の平静を得る人々の話を聞き、蒼白な顔に目を薔薇のように泣きはらした人々も見た。 
 ぼくはそういう連中をみんないちどきに抱きしめてやりたい。あらゆる真理はただひとつの真理に帰する。(ぼくはこの単純な事実を悟るのに今日まで生きてこなければならなかったのだ)僕に必要なのはこの真理のなかの真理なのだ。 
 それは人に対する愛のためではない。われわれが人を愛するというのは真実ではない。誰も人を愛したことがなく、いまも愛していず、将来も愛さないだろう。一種の死のように、あらゆる感動を、平和を、生命をさえも踏み越えた、この総合的な真理にたどりつきたいとぼくがあせっているのは、ぼくのためなのだ。---ただぼくひとりのためなのだ。ぼくはそこからある方法を、信念を汲みとりたい。そして、それを自分の救いのために使いたい。
     

2015年8月15日土曜日

銭ゲバ


 拝金主義への風刺漫画。

 主人公・蒲郡風太郎(がまごおりふうたろう)は、醜い容姿を持ち、幼少期より貧しい家庭に育った。貧困の中で家庭は荒み、父親の暴力を受け、母を病気で失い、やがて、復讐心を燃やし、金儲けに固執するようになる。人を殺め、裏切り、人の道を外れた汚い手段を使ってのし上がっていこうとする。

 はっきりいって、内容に特別な深みはない。筋は明快で分かりやすい。金儲けにかまけ、人間としての情を失う、古典的な人間性喪失の話。筋立てには時代背景の影響もあるだろう(高度経済成長期の1970年頃に掲載)。

 無駄に理屈をこねないので読みやすい。が、ちょっと物足りなくもある。
 良くも悪くもオリジナルな古典という感じ。
   

海辺のカフカ


 15歳の少年が家出する話。

 全編を通し、神話っぽい不条理さがある。『世界の終わりと~』で確立した(作者が味をしめた)二つの物語が交差する手法をとっている。ナカタさんのパートに出てくるジョニー・ウォーカーは皮剝ぎボリスに通じるものがある。残虐無比で暗い情熱を持った悪の象徴。図書館の司書・大島さんの「うつろな連中」あたりの考察もいい。

 わけのわからん話だが、小説の構成要素に思いを巡らせ、ストーリー展開に込められた意図を想像しながら読み進めると、読んでいて楽しかった。15歳の時に読んでも分からん気がするが、30近い今なら分かる気がする。これは少年が自身の闇と向き合い、痛みを伴って成長するイニシエーション(通過儀礼)の物語だ。なかなかいい感じだ。一人でしばらく筋トレと読書と音楽鑑賞をして暮したくなった。

 『ねじまき鳥』と並び好きな作品になった。
    

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?


 名匠フィリップ・Kディックの哲学的な近未来SFの古典。1968年の作品。文庫版の表紙が格好いい。

 放射性物質で地球が汚染された近未来、主人公リックは人間社会に紛れ込んだヒト型機械(アンドロイド)を破壊することで懸賞金を稼いで生計を立てている。そんな彼に最新のネクサス6型のアンドロイドの抹殺の依頼が入り、、、という話。

 人 vs. 機械という単純なアクション活劇だけではなく、作り込まれた世界観が本作品の魅力。情調(ムード)オルガン、機械仕掛けの動物を飼い生身の動物に憧れる人々、マーサー教とエンパシーボックス、アンドロイドの人間性、、、などの舞台装置が示唆する隠喩は豊かで、読み込んだディープなPKDファン同士の議論に花が咲くのは容易に想像できる。

 まさに金字塔という感じがする。読んで損なし。
   

2015年8月11日火曜日

誰も懲りない


 虐待を受ける女の子と、その家族を描いた漫画。

 登場人物の屈折の仕方が妙にリアルで、細かな台詞や行動に違和感がない。創作の部分も大きいようだが、ネット上の情報によると、作者の実体験を交えているよう。現代社会のどこか目に見えない所に存在する心理的虐待の連鎖。タイトルの「誰も懲りない」が主題を言い当てている。業の深い人間達が、傷つけ合い、慰め合い、攻撃と欲望への逃避を繰り返す。その渦中には、この世の地獄を味わう高濃度の特異点がある。それが主人公の人生。

 こういう胸糞悪い物語は何のために存在するか。その生々しさが現実味を帯びる程、同様の体験を経た者にとっての救いになる。精神科医や心理士の想像力を補完し、診療におけるパフォーマンスを高める。事実を再構成して語り直すことで作者が救われようと試みている(ナラティブ・セラピー)。

 パーソナリティ障害が生まれる過程を学べる。その痛みの物語を。
   

2015年8月9日日曜日

逃げるは恥だが役に立つ


 経済的に困窮した主人公(20代女)が恋愛に消極的な文科系男子(30代男)と契約結婚をする漫画。タイトルは結婚についてのハンガリーの諺から(らしい)。

 基本は、実験的な共同生活を通して「結婚とは何か?」と問いかける。収入や支払いの共有や配偶者控除などの経済的な利点、家事の分担など実務的なメリットと、社会的な体裁や、うつろう恋愛感情の危うさに主人公達が思いを馳せる。雇用に関する社会学的な議論や草食男子の心理学的な考察も交えられる。

 登場人物ではプライドの高さ故に30代まで童貞のままの平匡さん(夫)と美人なのに処女のまま閉経してしまった百合ちゃん(伯母)が重要。女目線で構築された男の造形は甘いと思うが(汚さが足りない)、それはそれで女流漫画家の様式美とも言える。平匡さんに萌える女性層がターゲットと思しい。連載誌はKissだし。

 「金と仕事の問題もあるけど、やっぱ生身の人間が恋しいよね」という話になりつつある目下刊行中の5巻目。筆者はスキンシップが生み出すホルモン・オキシトシンに思いを馳せた。結婚はただの契約だが、共同生活することで情緒的交流が生まれる。

 ちなみに、結婚は最強の自殺予防因子の一つである。
   

2015年8月7日金曜日

NOVA 2


 日本人作家によるSF短編アンソロジーの企画『NOVA』の2冊目。好きだったのは以下。

•バベルの牢獄(法月綸太郎):お馬鹿でメタな本格SF。オチのトリックに頬が緩む。
•東京の日記(恩田陸):戦時下の東京と和菓子の味わい。儚げ。
•クリュセの魚(東浩紀):火星が舞台の優等生なジュブナイルのセカイ系SF。
•五色の船(津原泰水):異形の者達の伝奇物。東洋的な幻想世界。
•聖痕(宮部みゆき):ミステリ要素強し。罪と裁きに関する寓話。

 SFという縛りを活かしたり、まるでとらわれなかったり、それぞれの作家のスタイルで創造性を発揮している。書く側も、編集する側もなんだか楽しそう。読み慣れぬ作家との出逢いも楽しい。
   

2015年8月6日木曜日

日々コウジ中


 副題は「高次脳機能障害の夫と暮らす日常コミック」。
 40代でくも膜下出血を発症し、高次脳機能障害を呈した夫の話。

 日本の文化圏の強みはこういう漫画エッセイが存在することだと思う。ユーモアと日常の感覚を交えて、愛らしい絵とキャラクター達と共にストーリー仕立てで病気の当事者とその周囲の状況や経過を知ることができる。症状や病態、病院での急性期治療からリハビリを経て社会復帰までの流れ、社会福祉サービスの活用法、など当事者が経験する一連の内容を過不足なく、分かりやすく追える。

 実体験を漫画エッセイとして出版するという行為が、障害を負った夫の妻である作者の現実受容のための手段だったんだろう。辛い体験や未来への不安と逃げずに向き合い、事実を再構成することで希望を見出す。物語として語り直すことで作者自身の救いとなり、読み手に届けることで他の誰かの救済への祈りになる。最近読んでいたナラティブ・セラピーの本の内容を思い出した。

 うつ病の『ツレがうつになりまして』、統合失調症の『私の母はビョーキです』と並び、当事者や家族へおすすめできるクオリティ。高次脳機能障害に興味をもった方はまず一読を。きっと全体像が見えるはず。